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デザイン=配慮する

パリのギャラリー・クレオからやっと届いたハンガー掛け。以前にエントリーしましたが、2ヶ月経って届きました。(船便で遅いのではなくUPSで先週発送してます)発送用の箱が大きかったので、開けてみたら実物は思っていたよりも小さくてびっくり。
 
深澤直人氏の限定50のアートピースです。深澤といったら、アートピースとしては確かヴィトラのエディション椅子とこれしかまだ手がけていなかったと思います。
写真のようになんて事は無い板に釘を打ち付けただけのものなんですが。
 
年末にデザイナーのF城さんとお昼を食べた時に、この作品を買った事に興味がとてもあると話していました。

僕はこの作品に何か清さのようなものを感じていました。
デザインってぶっちゃけていうと、そんなに多くは必要に迫られない。例えばカトラリー。多くのデザイナーがナイフやフォークをデザインするけど、ベースになっているデザインがあまりにも完成度が高いから、そんなに多くは変わっていないし、古来からあるものより良くなっているとも思えない。デザインはもともとできない事を可能にしたり、さらに良くするために生まれてきたものだと思うのですが、振り返ってみると多様性のためのバリエーションという要素が強く、概念を超えることはもうそんなに生まれないかもしれません。
ハンガー掛けだって、数えきれないデザインは存在しますが、本来はもっとプリミティブな「生活の知恵」から生まれてきているように思います。ウチの実家でも柱に釘を打ち付けてフックとして利用しています。その打ち方も柱に対して垂直ではなく、やや斜めにして引っ掛けやすく、落としにくくする工夫をしています。誰もが持つそういったクリエイティブな感覚。デザイナーの発想の根源とモノのルーツ、そして生活の知恵への敬意の念。なんかそんな清さをこの作品に感じてしまったのです。もちろん、深澤さんは策士ですし、アート品である以上、こういったことを念頭に置いたコンセプトをあえて利用したはずです。まあ、僕はもともとレディメイドが好きですし、他にも細かく言えばこれを選んだ理由もある訳ですが。
 
しかし、驚くのはこの作品、よく見るとただ板に釘を打っているだけではありません。釘はすべて鋳型で作ったもののように見えますが、触ってみると絶対に引っ掻く事が無いように面取りされているのです。本物の釘だったら根元まで打ち付けるようになっているので、もっとエッジが鋭角になっています。この辺がアーティストではなくデザイナー的な配慮だととても感じます。もしかしたら、デザインってそんなもんかもしれません。何かをリ・デザインし形状を探求することではなく、ベースになるものに配慮していく事ではないか?と。こんな単純な作品でもいろいろ想像をかき立て、もの作りに関わる僕自身も大変勉強になります。


板の裏面にはシリアル番号と深澤さんのサインが入っています。
| Design | 23:04 | comments(4) | - |
イメージのギャップ
このところプロデューサーとしてプロダクトデザイナーと接する機会が多いです。
再三、デザイナー達と話したり、伝えているつもりなのですが、あがってくるラフを見るとイメージ(方向的な)とのギャップを感じます。
 
それは何なのか? もちろん、僕の伝え方が悪いというところもあるかと思います。
ただ、僕自身が感じるのはデザイナー個々の「譲れない」何かなのです。
現在やりとりしている10人ほどのデザイナー。若手と呼ばれる20代後半から30代前半がほとんどです。そのほぼ全員が最近の雑誌で「注目すべき若手00人」なんかとして紹介されています。
注目はされていますが、実績はまだまだありません。それ故に「やりたいこと」がはっきりしています。その多くの「譲れない」何かが、デザイナーとしてのアイデンティティの部分です。
 
今回のプロジェクトで考えている僕の方向性はどちらかというとMUJIのようなもの。もちろんMUJIと違い、デザイナーの名前は出すのですが、そういったところでないある意味広い層に受け入れられ、こういうのが欲しかったというユーザーのツボにハマるもの、デザインを意識させないものを希望しています。
しかしデザイナー達が求めているのは「デザインしたもの」なのです。自分の個性を主張できるような、インテリアショップに置かれているようなものです。
 
僕が感じているのはデザイン意識の無いデザインこそ生活の中に入り込んでいくと思います。信号や交通標識なんかによって事故が起らず助かっていますが、それをデザインとはあまり言いません。ダイエットをしてスリムになってモテることもデザインだけどデザインと言う人はいません。そのくらい日常的な中にデザインが入り込んでこそマイノリティからの解放なんだと思うんです。僕たちがいくら「デザインを良くしよう!」なんて言ったって多くの人は誰も聞いてはいません。
 
ある人が「デザインで彼氏を選ぶ」というフレーズに過敏に反応していましたが、あえてデザインって言葉を出しただけで、誰だってデザイン(本来設計と言う意味なので、容姿や、収入、人生設計もデザインのうち)を重要視して選んでいるんだと思うんですけど。
 
僕は当初、若いデザイナーは実績は無いけどよりユーザーの気持ちを理解できる(いい意味で素人な)存在として「いいものを作ってくれる」と期待していました。もちろん今も変わっていません。しかし、実際デザイナー達は「認めてもらいたい」ゆえにトリッキーになりがちです。デザインで認めてもらいたいという意識が強いのか、客観的に考えるとあまり必要でなかったり、欲しい人を限定してしまう結果になっています。
先日SLOWのHさんと話した時にデザイナーからアートディレクターのスタンスに移って初めて客観性に気づき、デザインという中で今まで考えすぎていたことを理解したそうです。やはりデザインの中に入ってしまうと俯瞰で見れなくなるのでしょうか?逆にベテランデザイナーの方が素人目で見れるのでしょうか?
 
また、違う観点では「理想的イメージを強く持っている」ということもあります。プレゼンシートにはポエティックな解説が入れられています。そのポエティックな感じが現実に結びつける想像性だったらいいのですが、内向的なものが多く、非現実的であったり、そもそも自分だけが酔っている感じも見受けられます。コンセプトは必要でしょうが、商品が一人歩きした時にユーザーが感じる物でなければならないのではないでしょうか? それはまさにメーカー側が「定番品」と言っているようなものです。定番になるかどうかはユーザーが決める事です。
 
ここんところ、そういうやりとりをしている中でつくづくMUJIの凄さを感じずにはいられません。また深澤さんの立ち位置の取り方(ある時はアーティスト的に、ある時は有名デザイナーとして深澤デザインならではのフォルムを、ある時はアノニマスとして作家性を隠すことができる)などプロジェクトによって切り分けられる能力は、日本を代表するデザイナーと言われるだけのことはあるなあーと思います。
 
若いデザイナーにこんな事を要求するのは難しいのかもしれませんが、本当にデザイナーとしてやっていきたいならば、素人に戻って何が必要か? そのためにデザインがどう関われるのか? そして、何のためにデザインが必要か?を客観的に考えることも今後必要になってくるでしょう。
 
このことを考えるのは仕事の中だけではありません。特に建築家の話を聞くと、とてもやりたい事が理解できて、そうあるべきなんだろうなあと思う事が多いのですが、いざ作ったものを見てみると「こういうことなの?」とイメージのギャップを感じる事が多々あります。例えば地域の人達とのコミュニティづくりのために、内外の関係性があいまいになるガラス壁にするとか。空間は解放されるのだろうけどそれで心は解放されたことになるのだろうか?人とふれあいたい気持ちを持っている人であれば、どんな厚い壁があってもふれあうだろうし、僕は気持ちの中に有る公的な部分と私的な部分のバランスが重要だと思っているんですが、何でもかんでも公的にすることもどうかなと(例えば最近なんでガラス張りのトイレが多いのかとか)素人目線では感じてしまうのです。考え方は公的なのに作品は私的な感じ。それでも僕がアート品を買うように、施主が満足すればそれでいいんですかねー。

ここのところ若いデザイナー達と仕事をやっていて素人目線を持つ重要性をとても感じます。デザインなんて言葉が無くなる日が来るのでしょうか?(そのときはじめてデザインが日常のものになる気がします)
| Design | 23:00 | comments(16) | - |
僕らの空想日記

昨年末、Landscape ProductsのN原さんからの依頼で東京電力主催の「僕らの空想日記」というプロジェクトに参加することになりました。そして今日からブログがスタートしました。
 
TEPCO銀座で3月イベントを予定しています。これはN原さんの友人・知人のコミュニティから僕を含めて何人か選出され、個人個人が「こんなものがあったらいいなあ」というモノを具現化していくといった内容です。そして、そのメイキングをブログで紹介していくというものです。N原ネットワークとしてN原さん本人の他、お菓子研究家のF田里香さんこどもビームスのM野さん、アーティストのK賀君YARDのU津さんgrafのH部さん空想生活を運営するエレファント・デザインのN山さん、そして僕というメンバーです。
 
3月のイベントでは実際個々のアイデアで生まれた商品のモックアップ(ものによっては販売することもありそうです)の展示と僕も参加するトークイベント(追って詳細はお知らせします)などが予定されています。
 
僕のアイデアも進行中。最近のテーマは混沌のマネージメント(編集)。情報やライフスタイルの多様化によってモノごとは混沌としているのが現状。グーグルなんかはそれをキーワードで整理することによって、サービスを提供しています。こういう時代には「どうマネージメントするか」が重要な要素になっています。中には見苦しいから隠してしまう。とか、一回捨ててもう一回構築し直すなんて意見もあるようですが、僕にとってはそれって根本的な解決になっていないし(臭いものに蓋をする感じ)、今更モダニズム的な整理って、管理されているみたいで好きになれません。僕が考えているのは多様性を許容する事。島国ニッポンにある根深い問題の一つかもしれません。
混沌をすっきり整理するのではなく、混沌を編集することによって新たな価値観を見いだす方に現実的な可能性を感じています。
具体的な内容は今後の空想人ブログをチェックしてください。
| Design | 13:02 | comments(0) | - |
待ちを愉しむ

パリのギャラリー・クレオから1冊の本が届きました。サンジェルマン地区に引っ越し、新しいスペースになったのに併せて16名のデザイナーによって制作された限定家具をまとめたものです。
実はその中の1人である深澤直人氏のハンガー掛けを注文していて、その発送の準備ができるまで本を見て愉しんでくれというギャラリー側のはからいのようなもののようです。
 
日本は大抵コストを下げるために大量生産をベースにしています。値段は下がるけど在庫は大量になる。全部捌ききれればいいけど、結構在庫は残る。メーカーは間髪入れず次から次へと市場に少し変えただけの新しい商品を投入する。コンビニのようにいつでも、安く買えるのはとても便利で嬉しい。でも、それによって僕たちは「待つ」ことが出来なくなってきているようにも思います。
 
海外、特にギャラリーみたいな所に行くと大抵、サンプルが展示されています。これが欲しいと言うと「じゃあ、これからメーカーに発注(製造依頼)するので、3、4ヶ月待ってね」と返事が返ってきます。ヨーロッパなんかは家具とか高いけど、無駄打ちしない(不良在庫を抱えない)ようにしていて、お金持ちはこういう品物が出来るのを「待つ」こともステイタスのうちに入っています。日本では少なくなったテイラードの洋服もそうですね。
 
以前、AMEXのゴールドカード以上の顧客に配布されている機関誌の編集担当と話した際に「誌面でサヴィル・ロウのスーツを販売したけど全然受けなかった。日本人は待てない。」と言ってました。「セミオーダーで納品1、2週間にしたら劇的に注文が増えた」そうです。
 
あまりに便利になって、心の余裕が無くなってきてしまった。僕は小学校の頃から海外通販をしていたけど、今みたいにインターネットじゃないからやりとりに凄い時間がかかった。届くか届かないか不安になりながらも、いつもそんな時間が愉しかったように思います。今でも買うものの半分くらいは待つものが多いかな。
 
そんな待たせている時間をさらに愉しませるために、こういう本を送ってくれるお店の心配りがニクいです。
 

しかも、僕が注文している商品のページにはギャラリー側のメッセージが差し込まれています。
| Design | 23:31 | comments(0) | - |
ハイモードな農村スタイル

STUDIO JOBから明後日始まるDesign Miamiの案内が届きました。案内にはヨブとニンケの二人がマトリョーシカになったようなイラスト(写真)が。
これまで同様、NYのデザインショップ「moss」プロデュースによるリミテッドエディション。今回はシボネで春にやる予定だった幻の展覧会「農村」の発展バージョンで、17~18世紀のバーバリアン(ドイツの田舎)スタイルをモチーフにしたものです。ただ当時は絵付けで装飾したのだろうけど、JOBの作品はレーザーカットによる象嵌と超高級仕様。値段は「時価」だけど大体1アイテム一千万円オーバーでしょうね。
今トレンドのフォークロアをデザイン・アート調にやるとこんな感じになるのでしょうか。
 
これが幻の「農村」展
シボネはキャンセルされたので、ベルギーで行なわれたそうです。

 
そして下が今回発表される「バーバリア」コレクション



 
しかし、JOBの作品然り、今年のDesign Miamiはこの景気の悪いアメリカでどんなもんなんでしょうか? ここ最近の海外家具オークションも史上最悪の売上げになっています。サブプライム問題はまだまだ頭のところが見えた程度らしいし、公的資金も今の額じゃあ全然足りないようです。
でも、景気も悪くなっていないのに買い控えして逆に景気を悪くしている日本に比べると、お金を動かそうとするアメリカの気持ちはまだ評価できます。
| Design | 23:52 | comments(0) | - |
感性のデザイン、理性のデザインはどこから生まれるか?
今月から大阪のサントリー・ミュージアムで「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代」展がはじまりました。BRAUNのプロダクトが中心ですが、懐かしいものばかり。僕も2005年にAXISで行なったブラウン展にも関わり、そのスタッフで京都の建仁寺で行なわれたラムス展と講演会に行きました。AXISのS野さんとはドイツ本社にも行きました。
BRAUNが歴史に残る企業になったのは絶妙のタイミングがあったわけです。(自著「Design=Social」でも触れてます)
創業者のマックス・ブラウンが急死し、世襲で息子2人が会社を継がなくてはなりませんでした。でも若くて右も左も分からない。そこで、戦友として知り合ったフリッツ・アイヒラーという人にプロデューサーをしてもらうことに。彼のコネクションはバウハウスまで及び、ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルドマックス・ビルなんかに相談をするんです。ビルは近々学校を設立(ウルム造形大学)するので、その辺のスタッフも協力するよ。と応えます。そのスタッフが初期のプロダクトをラムスといっしょに手がける事になるハンス・ギュジョロと初期の展示会の構成や販促ツールの開発を行なったオトル・アイヒャーがいました。つまり、戦後のモダンデザイン移行期の絶好のタイミングで保守的な父の死をきっかけに若きブラウン兄弟は若いなりの革新をしたわけです。もし、あと10年父が生きていたら時代は既に進んでいたはずで、ブラウン伝説は生まれなかったに違いありません。
 
ラムスはこの革新をする上でインハウスのデザイナーが必要ということで採用された人物でした。アイヒラーは彼の経歴であったインテリア・デザイナーという部分に惹かれたようです。アイヒラーはライフスタイルシーンをメーカーが提案するというものをこの時代既に想定していました。そのためにはいくらプロダクトが素晴らしくても、ライフスタイルに根付かないのでは意味がないと考えていました。そのため、プロダクトデザイナーではなく、インテリアデザイナーを採用したのです。まず、アイヒラーはアメリカの家具メーカー「Knoll」のカタログをラムスに渡し「これに合うオーディオを作ってくれ」と頼んだそうです。56年には多分世界で初めてだと思うんですが「グルッペ21」という集まり、つまり同じ思想を持ったメーカーがライフスタイルシーンにおいてコレボレートして空間で展示会をおこなうことをします。「グルッペ21」にはオーディオ家電でブラウン、家具はKnoll、食器はアラビア、イッタラ、WMFなどなどそれまで商品を陳列するだけの展示会だったものをインテリアコーディネートした空間で見せたのです。1つのメーカーがこういった展示をおこなう事はその前からあったでしょうけど、21社が同じ空間で演出する事はこれまで無かったでしょう。
 
展覧会を行なう前、M井先生宅へ行って当時のドイツデザイン思想を聞いたのですが彼の話から何度も飛び出すワードが「オーダー(秩序)」「フリーダム」でした。ドイツにおけるモダンデザインは一見相反しそうな「秩序」と「自由」によって成り立っている事がよく分かりました。
そこ頃僕もある雑誌の取材でドイツデザインは「ケチ」から生まれたと言いました。つまり「ケチ」だからこそ丈夫で長持ちし、シンプルなデザインで飽きないことが重要になってくるわけです。これを良く言うと「質実剛健」になります。この精神はドイツ人の根底に流れるプロテスタントの生活スタイルがあると思います。
ドイツのデザインは理性的モダンデザインといえます。
 
それに対して同じ時期に登場したオリヴェッティのデザインは同じモダンデザインでもちょっと違います。マリオ・ベリーニのデザインによる計算機「ディヴィズンマ18」のラバーで出来たキー部分を見ると、つい触ってみたくなります。ラテンのデザインの根底には感性に訴えかける部分を多く持つ感性的モダンデザインがあります。
 
では、この理性と感性はどこからやってくるのか?
ある飲み会で聞いた話でとても興味深いものがありました。
その彼の会社でカーデザイナーとして有名な奥山さんの講演会があったそうです。彼はアメリカの大手自動車メーカーGM社で働いていました。当初は文化の違いで四苦八苦していたそうですが、その後、彼らにプレゼンテーションする時の文脈の作り方を学んだそうです。それはデザインに理屈をつけること。例えばこのラインは空気抵抗を良くするためのものだとか、良いデザインはいかに機能的であるのかを説明すれば大抵の場合理解してくれるそうなのです。そしてこの活躍が功を収め、イタリアのピニンファリーナに引っ張られます。そこで、彼はアメリカ時代と同じプレゼンテーションをしました。しかし、相手から返ってきた言葉は「そんなもん、見りゃー分かるよ」でした。イタリアでは機能デザインは当たり前で、いかに感性に訴えかけるコンセプトや思想をプレゼンテーションできるのかが問われるのです。
 
この話を聞いていて先日エントリーしたマライエの食デザインが思いつきました。
僕は食文化がデザインに密接に絡んでいると思います。
食に疎い国は、理屈で物事を考えます。でも、食文化の豊かな国は理屈なんか要りません。美味けりゃいいんです。(何でも良い訳では無いと思いますが、美味いものはシェフの腕だとか食材の良さだったりとかに裏打ちされている結果があるはずなので)ドイツ、オランダ、アメリカ、イギリスなど食文化に疎い国は機能的なデザインが生み出されていることを感じます。逆にイタリア、スペイン、フランスなどは感性に訴えかけるデザインが多い。僕は日本は後者だと思うけど、最近は頭で考えがちになっている気はします。(ただ、深澤さんなんかの作品を見ているとドイツっぽいシンプルデザインでありながら絶妙なカーブなんかに日本人的感性を感じますけど)それは食に豊かさを求めなくなってきているからでは?とも思ってしまいます。若いデザイナーと仕事で会う機会が増えましたが、そういう人にはなるべく美味いもんを食べて欲しいと思います。仕事で感性を発揮するには、日頃の生活の中で刺激を受けていないとならないのだと感じています。
| Design | 23:54 | comments(3) | - |
How Very Tokyo

明日ルイ・ヴィトンから「東京ガイドブック」が発売されます。ホテルや有名レストランはもちろん、日本らしさを持つカプセルホテルや神田の古本屋などが紹介される。
それを意識している訳ではないでしょうが、クラスカが来年出版するそうです。デザインイベントの見学に今日はクラスカを訪れたのですが、そのガイドブックの選定協力をO熊さんとU久保さんに依頼されました。他の皆さんは名建築やデザインショップなどを選定するでしょうから、僕はデザイン的でありながら、日常に埋もれてしまった場所を紹介したいと思っています。ウチの近所を歩いていると40年くらい前に建ったおしゃれだけれどどこかユルいロゴを使ってるマンションがあったり、バルコニーの柵のパターンやタイルの模様がいい感じのところを結構見かけます。こういった東京に住んでいても楽しめる場所を選ぼうと思います。
 
と、話は最初に戻ってクラスカにやってくると、1Fのカフェでお茶をしているOさんに遭遇。その後Y嵜さんが合流。Y嵜さんは元ヴィアバスストップのバイヤーで今は特に日本の工芸とデザインの橋渡しをやっている人。昨年の燕子花の輪島プロジェクトや今年のシボネのコミッティの漆作品なども彼女のサポート。
お二人に解説してもらいながらOさんの作品を見学。
それから、フライターグのK家さんにご挨拶。クラッシュしたトラックを製作中でしたが、数日前にクラスカ前でトラックのクラッシュがあったそうです。ギゼの亀甲縛りランプもおバカでなかなか良かった。出展していた人には悪いけど、デザインウィークの会場から離れてユルくやってる感じが一番良かったです。100%やTideは売りに必死ですからね。
 
その後、青山に移動しスタイリストのN山さんお勧めのリチャード・ウッズの展示をやっているポールスミスへ。彼の家具はエスタブリッシュド&サンから昨年発表されていますが(日本代理店のBALSでももうじき取り扱いが始まるそう)今回の展示はワンオフとリミテッド満載。
 
それからH.P.FRANCEのB場さんがやってる表参道アートフェアをまわり、ドリアデ(今回でクローズしてしまうそう)、HOYAクリスタルのパーティをはしごし、アッシュコンセプトで生ハムを堪能。それからシボネのパーティへ。シボネもだいぶパーティ経費を削減しているそうで、数年前のような2千人規模、500人も外に並んでるようなことはありませんが、それでも盛り上がりは都内一でしょう。噂を聞きつけている不良外人がとても多いです。今回からシボネで展開されるH中さんの作品のために本人が東京に来ているというので、会場を探してみるとアシスタントの子と2人で孤立している感じ。もっともアウェーだし、シャイだし、山口ではパーティなんてそんなにやらないでしょうから(しかも東京でも大規模な方)無理もない。僕が横について会う人、会う人を紹介しまくりました。東京では始めて見る人も多かったのですが、かなり評判はよかったです。シボネにはオリジナルでもっと面白い事をやって欲しい(時間が無くて間に合わなかったようなので)と期待してます。
 
こんな一面も東京の顔。How Very Tokyoです。
| Design | 23:26 | comments(0) | - |
Design Tide
今回はミッドタウンで行なわれたDesign Tide。オープニングにお邪魔しました。
結構早い時間に行ったにも関わらず、入り口は行列。中に入っても既に人でごった返し、入場規制が始まっていました。
入り口にはE&YのM澤氏CIBONEのY川氏TIDE実行委員のA木氏、カタログの編集をしたBACHのH氏、アートディレクション担当のSoup DesignのO原氏、Tide Marketのディレクター、methodのY田氏と若手ディレクター達がお出迎え。インテリアスタイリストのFジヤさんがスタッフで動いていて、プレスということで行列をかき分けて先に入れてもらいました。
 
入ってすぐに「柳本さん!」と声をかける人物が。今回の会場構成を担当した建築家のT尻さんでした。前から知ってはいますが、今回お会いするのは始めて。やわらかな布で会場を仕切っているのは分かりましたが、それを風船でつり上げているのは彼の説明を聞くまで気づきませんでした。会場を引いてみると、集落のような感じもします。
 
another work*sで作品を発表したMile100%のT井君も出展。T井君のプロダクトでも僕は特にマグネットタックが好きです。
そういえば原宿のKスタでこの前のCEATEC JAPANで発表された彼らの携帯のプロトタイプが展示されているので、是非みてみてください。
 
僕はY川さんにも言っていましたが、Tide自体は面白いけど、実の方に結びつかないのをとても感じていて、「じゃあ、また来年ね!」みたいな学芸会ノリがどうしても抜けない気がしていました。もちろん彼らも分かっていて今年はTideを辞める方向にまで発展していました。それがミッドタウンでやること、M澤くんらの若手にディレクションを委ねた事で新たに再生しようとしたのです。8月だったかDesign Tideのメンバーと別件であった際に、M澤くんと話しました。学芸会ノリの件を彼に言うと、今年は実に結びつける方向にしたいとかなり熱く語っていて、その通り今回のTideは誰が見ても実の方向になっていると思います。ただ、前のエントリーで話したようにお祭り色がなくなってしまうのも個人的には寂しいです。
 
そして、会場を出て渋谷の雑踏に戻るとこんなお祭りのことなんか誰も知らないように日常が動いています。つくづくデザインのニッチさを感じてしまいます。もっとホテル業界やら飲食店やら、タクシーやバスなどの交通機関やら他産業も巻き込んで街が総ぐるみになっていかないと、本当の意味でのデザイン振興はまだ始まってもいないのかもしれないと思ってしまいました。

| Design | 23:59 | comments(2) | - |
日本史

今の僕たちの生活があるのは、先人もしくは自分たちが未来をよりよくしようと思ったからで、過去の判断は必然として起っているはず。だから今を後悔して「あの頃は良かった」その当時に戻っても、大抵は同じ事(今に繋がる選択)を繰り返すだろうと思う。
 
大政奉還もまた必然的な政治転換だったんだろうと思う。そのきっかけとなる尊王攘夷を推進した井伊直弼は当時の保守派に敵視された事は理解できる。しかし、その後の歴史の中においても悪人としてみられているのは不思議だ。これは過去の古き良き時代にノスタルジーを持つ人々が今生きる時代に憂いでいることのためにスケープゴートを見つけているのだと思う(江戸の古き良き時代から開国し、文明開化の悪しき時代になったのは井伊直弼のせいだ。と)。しかし、本当は過去より今の方がよりよくなっているはずだし、何より皆が望んだから変わったに違いない。この矛盾点は僕たちが生きる今も同じなのだと思う。物質と情報にかけては必要以上に豊かになったが、何も無かったけど昔は良かったなーと、今を憂う人が多いだろう。多分そういう人がいいと思っている昔に戻ったら我慢できないと思う。20年ほど前、文明に逆行し、心の豊かさを求めて脱サラしてペンションオーナーになっていった人達は今どうしているだろう。過去のように戻るには大きなリスクを覚悟する必要がある。(ムラ社会故に起きた津山事件のような人情の裏には閉鎖されたコミュニティもあるし、今と比べ物にならないほどの犯罪率、食べる事さえ困っていた貧困、教育の未発達など時代の裏をちゃんと見る事)そんな決断を迫られたら、やっぱり今の方がいいと思うかもしれない。
 
僕は正直、O田さんの企画した「日本史」展にそれほど期待はしていなかったし、S水さんの作品も2点と事前に聞いていたので、たいした事は無いと思ってました。しかし、100%デザインの帰りに「ついで」に寄ったつもりの当展示が、早くも今回のデザインウィークの個人的ベストワンになりそうです。もしかしたら、100%デザインの前に見たらもう少し印象も変わっていたかもしれないけど、それもまた必然なのかと思う。
 
この不景気の最中、今回のデザインウィークでのイベントは全体的にとても堅実で、サスティナブルやエコ、フェアトレードなどがベースになっている。それはそれで実の有る取引に結びつきとてもいい事だと思う。でも個人的には物足りない、暗い時代だからこそバカなものが見たい!
そんな展示会を見た帰りの「日本史」展はひときわおバカで衝撃的だった。それにただのバカじゃあなかった。
 
より良い今を選択した(未来は今よりもっとよくしたいと思った)はずなのに過去へのノスタルジーに浸る矛盾はデザインにおいても共通の認識がある。そして教科書の中でしか知る事のなかった井伊直弼の時代と同じ感覚を、僕たちは今感じていて、それで何か歴史上の物事(日本史)がリアルにみえてくる。
さらに展示されている鏡の作品「井伊直弼(大)」に写る自分に対し、今この瞬間を客観的に感じてみる。「自分は矛盾に生きていないか」と。
髷は切り取られ、白い台座の上に置かれた。武士の時代から既に新しい文明への選択をしている。でも皆、髷の時代を求める。巨大になった過去へのノスタルジー「髷貯金箱」を振り返ってみても、そこには空虚な(中身がからっぽな)安っぽさ(プラスチックの髷)があるだけなのです。
 
この作品を見て、今日見てきた展示会を振り返ってみると、虚と実が入り交じり矛盾と空虚に満ちあふれていないか?と、何か今やっているデザインウィーク全体にテーゼを投げかけている気がしてしまいました。そして、白いこのギャラリーの中に、居心地悪くぽつっと置かれている作品を前にして傍観者はまるで自戒を求められているかのように困惑し、あの間の悪さはそれを計算しているのだと感じてしまう。
僕たちは今とこれからを生きるしか無い。悪い事が起ってもそれはそれで今考えうる正しい選択なんだと思う。斬り落とされ未来へとスタートした井伊の髷はそう語りかけているように思えました。
 
豊かさを求めるが故に自ら消費社会を選択した産業と社会に対し「昔の方が良かった」と今を否定する僕たちへの批判的なものでありながら、今や未来のために新しいものを生み出す意味の肯定でもあると、S水さんの置かれているスタンスを理解できました。
そして、ここまで考えさせるのはやっぱり作品の仕上がり完成度の高さにもあると思います。もの作りの姿勢をとても感じます。作品が陳腐だったら、それこそそのもの自体が空虚になってしまうからです。
| Design | 23:20 | comments(0) | - |
今回一番欲しかったもの

マリアUSBメモリー(@スペイン大使館)
パーティも大盛況でした。
| Design | 23:06 | comments(0) | - |
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