header
CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< June 2009 >>
SPONSORED LINKS
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
Less and More?

遅ればせながら、府中市美術館で行なわれている「純粋なる形象」展を見に行ってきました。
府中は20年くらい前に1年ほど住んだ事があります。しかし、この物覚えがいい僕が全くと言っていいほど駅前の雰囲気を覚えていないんです。もちろん20年で駅ビルなんかなど相当変わってはいるものの、街並まで変わるはずないのですが。。。
 
この展覧会は昨年大阪のサントリーミュージアムから始まったものです。ご存知の方は多いと思いますが、BRAUNでデザイナーをやっていたディーター・ラムスの作品を中心に展示しています。
 
BRAUNやディーター・ラムスといったらこのブログでも何度となくエントリーしてきました。人は置かれている状況などによって物事の受け取り方が変わりますが、僕もその度にい受けた想いが変わっています。今現在、僕はデザインという枠から一歩足を出したスタンスにいること、と言いながら様々なプロダクトデザインの開発でデザイナーと交流が密になっていること、それと散々デザインを見たり使ったりしてきたことなどもあり、2005年にアクシスで行なったBRAUN展に関わった時と変わらない想いもあれば、変わっている部分もあることに気づきます。
 
ディーター・ラムスは凄いと思います。また彼のデザインポリシーはBRAUNという組織とそれを取り巻く人々がいたからこそ生み得た奇跡だとも思います。
デザイン10か条は重みもあるし、納得できる。それを前提としてあえていうと、ラムスにあまりにも傾倒する危険性もあります。
60年代にひげそりメーカーであるジレット社にBRAUNは買収され、90年代位からジレットの影響力が高まり、ラムスは経営者と折り合いがつけられずに退社しました。現在ジレットはさらにP&Gに買収され、より大衆的なアプローチになっています。
ここまで多くの人に絶賛されるBRAUNデザインが何故無くなったのでしょうか?
 
初期のBRAUNは市場の4%シェアを(それもトレンドリーダー)握ることを考えていました。4%には有名デザイナーや建築家が該当しました。彼らが実際使ったり、自らの空間で用いたりすることによってその周りの20%位のフォロワーを囲い込んだのです。今でいう「セレブ御用達のこだわりの逸品」みたいな売り方をしていたわけで、これがラムスの嫌ったマーケティングそのものでは無いでしょうか?
 
それが利かなくなった大きな理由はリーダーからユーザー側に主導権が変わったからです。これは豊かさと時代の流れです。要は昔は物が少なかったのでリーダーの視点などが選択肢の支軸になっていましたが、物が多くなり、生活スタイルも様々になってくるとスタイルに応じたものの選択が要求されます。この流れについていけないものは淘汰されていくのです。同じ方向のデザインでもアップルはちょっと違います。アップルはプロダクトだけではなく、それを取り巻くツールやアプリケーション、ソフトで世界観を作っています。
IBMはハード権利を売ってしまった。オリヴェッティも失敗し、スティーブ・ジョブスが作ったNEXTも失敗しました。ハードだけ作っていたデザイン企業は衰退していったのです。これが時代の潮流です。
先人のデザインをちゃんと評価するのは重要ですが、どこかしこりが有る感じがします。もしかすると「あの頃はこんないいものがあった」というどこかノスタルジックな気持ちがそうさせているのかもしれません。
 
現にラムスの作品も皆、50~60年代の作品に注目しますが、現代の作品に対しコメントしている人を知りません(誰か好きな人がいたら教えてください)。
同じデザイナーが同じ哲学を持ちデザインしているのであれば現在の作品も評価できるはずです。でも近作を僕は良いと思わない。
多分復刻したとしても余り売れないと思います。もうすでにアップルが現代的な展開をしているのですから。
 
 
それとよく見るとわかってくるのですが、ツマミやボタンの配置が限りなく規則的に、そしてデザインコンシャスにまとめられています。シンプルながらも僕たちがBRAUNのデザインに魅了されるのは視覚的な法則をふんだんに使っているからです。
 

BRAUNで最も有名なプロダクトでもあるSK4ポータブルプレーヤー。これはウルム造形大学の工業科部長だったハンス・ギュジョロとラムスの合作ですが、赤線で引いたように空きの間隔や配置がグリッドによって決まっている。プロダクトデザインでありながらグラフィック的な処理をしていることが分ります。これがカッコいいと思わせる秘密。
装飾をシンプルにするという装飾がBRAUNのデザインに見ることが出来ます。決して装飾が無いわけではないのです。 
 
グラフィック的な視点からBRAUNを分析している人は余りいないと思いますが、そこには当時のスイスやドイツで盛んだったモダニズムの哲学が踏襲されています。多分、その後多くのデザイナーがこのBRAUNプロダクトを模倣する際に、その哲学的部分を切り捨ててしまったと思います。それがモダニズムの劣化です。シンプルゆえ簡単に模倣できますが、コクのないスープのようにモダンデザインはどんどん生み出されます。その嫌気が60年代末のラディカル運動やその後のポストモダンを盛り上げるきっかけになりました。
奇しくもBRAUNを生み出したウルム造形大学は68年に閉校します。こういった流れもBRAUNのデザインを存続していけなかった理由ですが、この劣化が起らなかったとしても、しょっぱいものをずっと食べていたら甘いものが食べたくなるように、人々は本能的に変化を求めていたのでしょう。
 
今の僕の見方からはデザイン10か条では足りない要素がまだあると考えます。
僕はモダンもポストモダンも好きです。だからロバート・ベンチューリが「Less is Bore(少ないことは退屈だ)」と言った言葉とミースの「Less is More(少ないことは豊かだ)」、そしてラムスの「Less and More(より少なくより良いものを)」とのバランス加減が重要だと思っていて、ラムスの言葉やデザインをそのまま鵜呑みにしてはいけないなと感じるのです。
| Design | 23:23 | comments(2) | - |
手放せない日本勢と見せるに徹する外国勢

iidaのプロジェクトでもお世話になっているMileやH本さんが参加するトークセミナーがあるということで、会場のIIDに出かけてきました。
彼らのトークはもちろん、今回のテーマが「WHY MILAN? なぜミラノを目指すのか?」という興味深いものだったからです。
 
日本の市場向けに展示会を行なっても、反応が無いというのは僕も分っていますが、実際現場で発信している側の内情をもっと知ってみたくなったからです。
それと最近、海外で展示会をやりたいと相談される企業があり、どういう反応が海外でやるとあるのかも知ってみたかったのです。
 
トークセッションはMileのM尾氏、フーニオデザインのH本氏、PoreのN本氏、Mikiya Kobayashi DesignのK林氏の4名で行なわれました。
それぞれの個別トークでは、実際参加した際の苦労話や反応など、特にお金にまつわる部分などあまりこういったイベントでは聞く事の出来ない内容でとても参考になりました。
しかし、いろいろ疑問に思う事も出て来て、トーク終了後、下のカフェでその辺をぶつけてみました。
 
一番の疑問は展示したプロトタイプを手放さない事。話によると、ミラノに展示品を持っていくだけで、送った場合、最低50万円ほどかかるそう。持って帰るとなると倍の経費がかかります。一応会場は展示なので販売する事は禁じられていますが、海外のデザイナーは買ってくれる人を最終日までに探しておいて、極力手ブラで帰るようにしています。大抵プロトタイプだから量産品よりはるかに高いのですが、アートを買うのに馴れた海外のバイヤーは高額なプロトでも購入してくれるのです。ところが、日本人のデザイナーでプロトを売るという人をほとんど聞いた事がありません。多くのデザイナーが何回も作った試作品を律儀に取っているそうなのです。
 
また、これは以前聞いた話ですが、100%デザイン東京Established & Sonsのオーナーが訪れた際、気に入った家具があってデザイナーにそれを売って欲しいと交渉したところ、デザイナーは「これはプロトタイプで1つしかないから売れない」と言ったそうです。
彼は何のためにプロトタイプを展示していたのでしょう。僕だったら自分のデザインした家具をどこかのメーカーさん、採用してくれないですか?という気持ちだと思います。
Established & Sonsといえばジャスパー・モリソンザハ・ハディッドなどのデザイナーを起用しアート家具を世に出しているメーカーです。そこのオーナーに気に入られたという事は、そこからリリースされる可能性もあるはずです。そのきっかけを切ってしまって「誰か採用してください」は本末転倒の気がするのです。
 
僕は海外でコレクターと知られているので、多くのデザイナー(それも誰もが名前を知っているような)が、こんなプロトがあるけどいらないか?とか見せたいからアトリエに来いだとか誘ってきます。彼らはプロトなんか大事に取っておきません。プロトはプロトでマーケットがあり、そういうアート家具マーケットをちゃんと分ってビジネスをしています。
 
そういうこともあって、今回のデザイナー達に「どうしてプロトを取っておくのか?」を質問したのですが、「試作品なので不備があり売れない」とか「いつか製品化される時のために」という意見が多かった。僕は前者として「アート家具やプロトは使えない事を前提で買う人は理解している。また購入者は高く購入することによってそのデザイナーの活動資金を捻出できるよう間接的にパトロネージュしている」ことと後者としては「デザインは生み出す側も買う側も時代のタイミングに乗っていて、今売れないという事は今後売れる可能性も低くなる。もしデザイナーがまた出したいタイミングになったらまた作ればいいじゃん」など結構勝手な事を言いましたが、僕は言うだけの人と違ってガンガン買うし、そういう人の気持ちは相当分っている方だと思う。
 
では、外国勢はどうか?
海外は学費がかからないなんてことが多く、40歳になっても学生をやっている人や6校めの大学に行ってるなんてことも良く聞きます。CIBONEが取り扱っているヴィカ・ミトリチェンカも何校も渡っている学生で、奨学金などもらっていることからビジネス的な展開がしづらかったりする。あと、助成金なんてのも簡単におりるので、展示会なんかもお金をかけずに出来たりする。彼らもまた展示会を行なう意味は「私のアイデアを採用してもらえる方いませんか?」だと思うんです。でも、具体的に「君のデザインがいいから日本のマーケットで売ってみないか?」と声をかけると、多くのデザイナーが「今は展示会で忙しいから」と断ってくる。日本人だからということだけでなく、海外のバイヤーやプロデューサーにも同じ事をきいたことがあります。ということは、彼らは展示会をしたいだけで(助成金で生活できてしまうから)実際ビジネスをするという感覚を持っていないのです。
 
有名になるデザイナーは何社も契約し、話題になる一つの理由はセルフマネージメントにあると思います。名前が知れているから他の会社からも声がかかるのではなく、交渉が上手いのです。
サローネに出展しビジネスに結びつけたいと思うのであれば、海外の事情や買い手側の事情をを理解し、セルフマネージメントをしっかりしないと結果的に費用対効果を得る事は出来ないのではないかと思いました。
 
それとは別に、日本の展示会そのものを変える事は出来ないのかと思います。
日本は圧倒的にトレードショー(出来上がっているものを何個買うか商談する場所)だし、デザイナーがプレゼンテーションしても、展示会を見て声をかけ製品化するストーリーをほとんど聞いた事がありません。
 
トーク後の会話の中で「日本で家具デザイナーは育たない。家具をやりたいのであれば海外に行くしか無い」などの話が出ました。ホウトク天童カリモクなどなど考えてみると日本には家具メーカーがほとんど無い。しかも今のデザイナーな感じは受け入れにくい。そういった意味でもそもそも日本にデザイン展示会は根付くかという根深い問題が出て来てしまうのもどうしたものでしょうか。
 
7月23日から今回のトークイベント参加デザイナーのミラノサローネ出展作品の展示がおこなわれるようです。トークイベントなども。詳しくはここ→「Japan Design in Milano Salone 2009
| business | 23:23 | comments(0) | - |
10年ぶりのHawaiiへ

ここ最近海外旅行の頻度が落ちてきました。禁断症状でいつも頭の中は海外を歩いている事を妄想してしまいます。
で、クレジットカードのポイントが結構たまっていたので、ポイント消化として航空券に変え、ヨーロッパのように時間(移動時間・滞在時間)のかからないハワイに夫婦で行く事にしました。
 
実に10年ぶりになるハワイ旅行。意外に思われる方も多いのですが、僕は今まで行った回数が多いのがハワイなんです。だから、もう庭みたいに路地まで知っています。
ただ、10年ぶりです。10年前の最後のハワイの時も大型のショッピングセンターが建設中でした。ご飯もお世辞にも美味いというお店が少なかったのですが、今やカフェやら本格的なイタリアン、フレンチまで食べられると聞いています。10年分の変化に期待と不安を持ちながらの出発です。
 
今回、航空券入手の関係でJALで行く事になりました。出発は僕の好きな第一ターミナルではなく、第二ターミナルです。第一の方は出国ゲート前後どちらも施設が充実していて楽しいので、3時間ほど前にチェックインしてしまいます。それに比べ第二は・・・と思っていたのですが、小粒ながらも出国審査後の施設は結構充実していました。
上の写真もそこのアジアンカフェのようなところで撮りました。これからあのモノレールに乗って出発ゲートまで移動します。
 
まだ夏休みには早い時期なのにも関わらず、飛行機は満席状態。人の話に聞き耳を立てていると広東語やハングル語ばかり、どうやら日本人ではなく香港や韓国からのトランジットが多いようです。10年前なんかハワイに行くのは日本人くらいしかいなかったので、時代の流れを感じました。それと先日フェース6(パンデミック)が発令されたインフルエンザの厳重検査があると思っていたのですが、意外にユルく、マスクをしている人もパラパラ程度でした。
 
JALといえば忘れていたんですが、先日展覧会を開いたT山さんの会社「Soup Stock Tokyo」がハワイ便往路の機内食を提供しています。パッケージはD-BROSが担当。これが機内食としては格段に美味かった!多分、この機内食はSoup Stockが作っているんではなく、通常JALの機内食を作っている会社が作っているはずです。頑張ればこんなに美味くなるんだったら、もっと他の会社も努力して欲しいです。
 
そんなこんなしている間にホノルル空港到着。飛行機か降りる時に感じる湿度と気温が、とても懐かしい。ああ、ハワイに来たんだと最初に実感する瞬間です。
僕は大抵ハワイはレンタカーを借りて周ります。今回も空港からレンタカーを借り、まだホテルにチェックインするには早い(朝の8時)ので早速ドライブから開始。
ハワイの道路は片面3車線から5車線あるので、とても運転しやすく、ゆっくり走っていてもそれだけ車線があるため、追い越してくれるので気が楽です。
しかし、10年ぶりに来たハワイ、道は大抵知っているはずだったのにどうしても思い出せず、一つ前で右折してしまったり、全然違う道に入ってしまったりといった状態。車線が反対なのも昔はすぐに馴れたんですが、今回はなかなか勘が掴めない状態でした。
 
まず、空港からHW1に出て、HW3に乗り換え、カイルアへ。でも、後日来る予定なのでそのまま、またHW3に乗って、HW1からHW2に乗り継ぎドールのパイナップル畑を通り抜け、ノースショア、ハレイワへ。
気候の関係で午前中は雨が降る事が多いのですが、ハレイワの先のラニアケアビーチに着く頃には灼熱の太陽が照らしています。
僕たち、ハワイにも関わらず水着を持っていかず、今すぐにも海に飛び込みたい気分を我慢。
 
その後ハレイワの方に戻り、マツモト・シェーブ・アイスを食べる事に。
日系2世のマツモトさんがはじめた雑貨店で、プランテーションで働く日系労働者の喉の乾きを癒すために売り始めたそう。現在は息子さんが経営しているそうですが、今ではハワイのマスト・イートになっています。(ちなみにシェーブ・アイスとはかき氷の事)
 
海外で行列ができるなんてことはあまり経験がないのですが、ここには長蛇の列が。
近隣にもシェーブ・アイスを売っているお店はあれど、行列はここだけです。
 
20分ほど待ってようやく入手したシェーブ・アイス。
かき氷の氷がきめ細やかで美味しいのがここの選択理由。他店では少し違います。色が派手ですが、味はナチュラル。でも舌が紫になります。
 
その後、ワイキキへ。ホテルにチェックインしました。
昨年だったか?に出来たデザインホテル「Waikiki Parc Hotel」です。
ワイキキで一番高級な「ハレクラニ」の系列で、海沿いでは無いのですが、シェラトンロイヤルハワイアン、ハレクラニに囲まれた好立地にありながら、ビジネスホテルばりに安いのが嬉しいです。
しかし、ちょうど僕たちが滞在している期間にインターネット環境が工事中で、何のために重い思いをしてパソコンを持って来たのか分りません。
 
夕方、ホノルル近辺を歩きました。大まかな風景は10年前とあまり変わっていませんが、小さいお店はかなり入れ替わっているようです。アップルストアも無かったし。
DFSも以前あったウールワースの建物まで広がっていましたが、恐らくお盆の観光者向けに工事中でほとんど機能しておらず、まあ、ここで買うものといったら大体下着類なので、後日アウトレットで買う事にしました。
その後いつも行くFood Pantryへ。24時間やっているスーパーで、大体ひと通りのものはここで見る事が出来ます。僕たちの旅行ではとりあえずスーパーが一番大事。
何時間でも居られますが、今日は2日ぶっつづけで動いているので、1時間ほどで退散しました。
| Life | 23:15 | comments(0) | - |
FOLK TOYS NIPPON
先日コラムを寄稿させていただいたK戸さんの著書「FOLK TOYS NIPPON」の見本誌が届きました。K戸さんとはエイ出版で「北欧スタイル」の編集をやっている頃からおつきあいがあり、その後Xナレッジで「Design Addict」の編集長を務めた時も何度かお仕事をさせていただいた。今はフリーエディターをしています。
 
1年ほど前だったか、K戸さん彼女が民俗学の研究をしているとかという話を聞いたことがありました。その影響もあるだろうし、今のトレンドが地方や民俗性がキーワードということから編集者の鼻が利いているところもあると思うけど、数年前までデザイン・アートにハマっていた人とは思えないほど(もちろん今も興味あるでしょうが)、真逆なユルユル郷土玩具がテーマになるとは。
 
過去に民俗学的にまとめられた本はたくさんあれども、若者のトレンドを意識しながら民芸品を取り上げた本は無かったんではないでしょうか? 興味をそそるというアプローチで開かれているという印象を持ちます。(一部のお堅い人には軟派だと思われるでしょうが、コンセプトを理解させながら誰でも分るように啓蒙していく事はとても評価できます)
 
最近、地方やクラフトのブームです。誰かに聞いたのですが、松本で5月に行なわれている「松本クラフトフェア」が2年前は3万人、昨年は10万人、今年は15万人の来場だったそうです。この数字を見ても分る通り、ここ最近の集客の過剰さはブームと断言できます。それも2年前までは業界っぽいトレードショーだったのが、今ではほっこり女子が大半に変わっています。人によっては「伝統の大切さ」「手作りの暖かさ」が認められたと言うけど、同じようなことを25年くらい前にも聞いた事があります。あの時の言葉はどこにいってしまったのか? 

僕はこの本のコラムで、何故僕がフォークアートに興味を持ち、イームズやジラルドがフォークアートを何故集めたのか?という仮説深層心理、それとモダニズムの「劣化」と「再生」に民俗意識が深く関わっている事を書きました。
あくまで仮説ですが、時代背景とタイミングを重ねていくとあながち信憑性が無いわけではありません。
 
ここで言いたかったのは、周期的にクラフトや地方のブームが訪れ、去っていくという事を繰り返している事。多少は理解されているだろうけど「伝統の大切さ」「手作りの暖かさ」なんて今の理屈にしかすぎない。それに反論する人がいるとしたら、5年後にここを読み直してみてください。クラフトなんて言っている人はいなくなってるかも知れませんから。
もちろん形が変化して現在の生活スタイルに合わせて変化し、生き残っていくものもあります。エネルギー問題や温暖化など世の中の環境や風土に対する意識も今までと変わっていることもあるでしょうから。
 
アメリカに「ホールフーズ」というオーガニック・スーパーがありますが、これは60年代末のヒッピーブームの時に彼らが育てた農作物を直売するマーケットから始まっています。(店舗化したのは70年代後半)ヒッピーはいなくなったけど、思想は時代に適応して現在も生きています。
 
しかし、この本にも書かれていますが、昔は現代よりかなり多くの郷土玩具が存在していました。売れなかったり、継ぎ手がいなくなったり、様々な理由で消えていったのです。そして時代に合わせた民族性はクラフトからプロダクトへ大きく移行しています。「ご当地キティちゃん」なんてのは新しい郷土品(その土地で作られているものではないかもしれませんが)になり、ユルキャラグッズは郷土玩具の動物にとって変わり、本来の手間がかかるクラフト品は更に無くなっていくでしょう。
それを悲観的に捉える人もいますが、時代が変われば物の形も変わるのは当然で、形が変われどそういった郷土品に惹かれる気持ちは永遠に続いていくものだと思うんです。
 
良い言葉が無くなってしまう。古き良き情景が失われてしまう。良い雑誌が休刊になってしまう。とみんな感情論(特に日本人は大好きなので)で話しますが、良いものが残っていくには前提が必要で、それは求めている規模(ニーズ)だったり、経済性だったりするわけです。古いものでもちゃんと時代に適応して残っていくものもあります。昔からある言葉って言っても生まれて100年くらいしか経っていないものもあるから、戦後に生まれた和製英語だって、今生まれた言葉だって残っていくものもあるということをちゃんと認識しなくてはなりません。
 
僕はこの本を今の時代のトレンドの瞬間を切り取ったように思えました。それはそれで良いんですが、もう少しプロローグとして過去にどう来て今何故郷土玩具なのかとエピローグとしてこの瞬間が未来にどう続いて、変化していくのかの考えを知りたかった。(僕のコラムがそれに近い話だったので、それで補完していると考えたかも知れませんし)これは僕の個人的な欲求かもしれないので、K戸さんに今度会った時は、もう少し突っ込んで聞いてみたいと思います。


Folk Toys Nippon オフィシャルページはこちら
 
《追記》
文中で民族と記した部分、変換ミスで民俗の間違いです。オフィシャルHPに記載があり気づきました。(本文中は修正しました)


| Culture | 23:12 | comments(3) | - |
PASS THE BATON

代官山ヒルサイドフォーラムで「遠山正道の仕事」展オープニングパーティが開かれました。大雨でしたが、自宅から数分の場所なので、ちょっと早めに顔を出したのですが、既に数百人の人で賑わっていました。入り口の所でユトレヒトのE口さん、T口さんと遭遇。このイベントのプレスを担当している4KのK村さんにもご挨拶。
 
スマイルズT山さんSoup Stock Tokyoの社長さんであり、ネクタイブランドgiraffeもやっています。僕の本Design=Socialでも対談させていただきました。
アートやデザインにも深く、いつもパーティでお会いします。そして今回のイベントのメインはPASS THE BATONのロンチでした。
PASS THE BATONはこの秋から立ち上がるリサイクルプロジェクトです。著名人やクリエイターの愛着の一品やリメイク品を売っていく(バトンを渡していく)というもので、丸の内にリアルショップもオープンします(インテリアデザインはK山正道、グラフィックはD-BROS、WebデザインはN村勇吾が担当)
 
もちろん、リサイクルのあり方はこれは正解でないかもしれないし、これだけでは無いかもしれない。でも、T山さんなりの立ち位置で、僕が前から言っている社会的構造に取り込んでいく過程の中ではこういったことも必要なんだと思っています。0を1にするのはとても難しい事。評価よりもまず、一歩足を踏み出すことにはとても共感できます。仕組みを分りやすくする所に、クリエイティブの力の可能性をつぎ込んでいく、T山さんの今までの集大成になりそうですね。今後に期待してます。
 
僕も早ければ今年の年末くらいに社会貢献をクリエイティブな力を使って啓蒙していく大きなプロジェクトを立ち上げる予定です。これはまたおいおい話します。
 
それにしても、パーティには建築家、アーティスト、デザイナー、料理研究家、キュレーター、編集者などなどあらゆるクリエイターが集まり、大雨にも関わらず500人も集まったそう。こんなところにもT山さんの人柄が垣間見れます。
フクヘンS木さんにも遭遇。S木さんとは来月末ちょっとあることを予定してます。詳しくは後日。いろんな人に会い、話しましたがimaのK林さんから今年もAOBA+ARTをやる事を聞きました。地域とアートを巻き込んでいくイベント。これも注目ですね。K林さんからはここのブログで最近やりとりのあったデザインジャーナリズムの話が面白かった、と。
最近会う人は大体このブログを見ているそうで大変恐縮です。
 

| Culture | 23:12 | comments(5) | - |
Midnight airport 09 関空ツアー

先日もエントリーした神戸のショップ「NOTAM」の5周年イベント「Midnight Airport 09」が関空で開かれました。
2周年の頃だったか、関空の展望フロアでイベントが出来るかもしれない。それこそネーミング通りのイベントになると話していたことが、5年目で実現しました。
まあ、今回はミッドナイトならぬ早朝イベントだったのですが。。。
 
しかも、今回はトークイベントだけではなく関空さんのご好意で特別ツアーを行ないました。まずは参加者が集合し、NOTAMプロデュースのネックストラップ型ツアーIDを配布、
タイ航空の広告入りバスに乗り込みました。
 

バスはもちろん満席。写真のように補助席も埋まっています。そして空港内ツアーの始まりです。
 

一般には入れない空港の施設内を移動。これは機内食を作っている施設で、それをトラックに積んでいるところです。
 

これも施設内で限られた人だけが利用するファミマ(コンビニ)です。この辺は主に貨物や大型トラックの運転手が出入りしている事が多いため、看板でわかるようにコンビニ内にシャワールームが設置されています。また弁当も大盛りガッツリ系が多いのだとか。
 

貨物倉庫や空港警察、給油タンクなどをまわり、いよいよ滑走路の方へ。ここは普段フェンスで遮られていますが、ゲートをガイドさんが開け、進みます。
 
関空は開港当初に作った1期空港島と新しく作った(現在も一部工事中)2期工事空港島があり、場所によって地盤沈下の度合いが違うため、分けて開発しているのだとか。主に1期の滑走路は離陸用、2期は着陸用に使われています。
その2期滑走路の真横に作られた高見やぐらのような所へ案内され、みんなでそこへ昇りました。国際空港は大体午前中に離着陸が多いため、5分おきくらいに飛行機が離着陸してきます。僕らは間近で飛行機が着陸してくるのを見れました。

その中でミラクルが! 航空会社の中でも人気の高いルフトハンザが着陸してきました。
何故、ミラクルかというと通常ルフトは8時くらいに関空に入ってくる予定。しかしこの日は到着が3時間遅れたのです。本来は見れないはずのルフトが見れて一同感動。
 
関空はアジア、特に中国系の航空会社が多く出入りしています。成田では見れないレアな航空会社が見れて良かったです。
 
ここで、いつもイベントに参加してくれているヒゲさん大活躍です。
管制塔通信をいち早く聞き取り、次は○○が離陸します。次はヘリがやってきます。という感じ、手には離発着の予定リストのプリントが握られ、イベントメンバーの管制塔になっていました。しかも耳にかけたイヤホンはエールフランスのロゴ入り。生粋です。
 
みんな大満足のバスツアーを終え、展望施設内にあるレストラン「コンコルド」へ。
関空は開発の際、パリ空港公団に協力を依頼しました。それもあってフランスと様々な交流が見られます。コンコルドの最後の就航地が何故か関空なのも、先日新ロゴに変わったエールフランスの初機体が関空に最初に来たものそういう繋がりがあるからなのでしょう。
そしてこのレストラン「コンコルド」もまた、図面やらいろいろ展示物を提供してもらっているそうです。

そしてテーブルの形もまたコンコルド。そしてテーブルにはツアーメンバーのための機内食が用意されていました。
 

意外と無難だった機内食。航空会社の人に良く「作り立ての機内食って美味いんですよ!」と聞く事があり、期待していたんですが、これは作りたてでなく、機内で食べるような保温した温かさでした。ちょっと残念。
 
そして、食事後はいよいよトークイベントです。

詳しくはHaraxさんがレポートしているので、そちらをご覧ください。
豪華オミヤゲの様子もここを。ツアー、食事、トークとオミヤゲで3千円なら超お買い得イベントです。
簡単にトークでは空港あるあるを。
リチャード・ロジャースI.M.ペイノーマン・フォスタージャン・ヌーヴェル菊竹清訓など錚々たる巨匠の関空コンペ・ボツ案の話やマニアックな空港、空港のグラフィック(フルティガーと言う書体はもともとパリのドゴール空港のために作られたとか、最近リニューアルしたロンドンのヒースロー空港はフルティガーに書体が変わったが、ややカスタマイズしBAAフルティガーというものを使っているとか、名古屋のセントレアは遠くで見る文字の書体はフルティガー、手前で見るものはヘルベチカと差別化しているとか、そもそも世界のサイン計画がヘルベチカからフルティガーに変更されている理由とか)などO前さんとしゃべっていて、マニアックすぎるんじゃないかと思ったほど。でも後で聞くとみんな面白かったと言ってくれました。
 
トーク後一時解散。例のごとく神戸に場所を変え、2次会(早朝5時までコース)を決行。毎度のごとく20人以上の人が集まってくれました。
O前さん「5周年を終えたので、次は10周年」と言ってましたが、これってもうすでに年一回方々から集まる定例のオフ会みたいになっているので、やめられないと思いますよ。僕もこういう機会でないとみんなに会うタイミングが無いので、来年も是非お願いしますよ。
| Culture | 23:59 | comments(0) | - |
前乗り大阪

明日の関空で行なわれるイベント「Midnight Airport 09」が朝ということもあり、前乗りで大阪入りしました。ビッシリ詰まった予定も無いので、今、気分の民博に行くことにしました。
とりあえず、民博のある万博記念公園へ。
写真は言わずと知れた岡本太郎の「太陽の塔」。何となく形状やペイントは知っているけど、よくディテールを見ると面白い。
 

太陽の塔の後ろにちょっとだけ残っている、丹下健三大屋根。ジョイント部はソ連のヴォストークみたいです。骨格も58年のブリュッセル万博のアトミウムっぽい。オリンピック時期然り、丹下のこの時代の設計はどこかしらブリュッセルのパビリオンなどのニュアンスが感じられます。
 
とりあえず、大阪日本民芸館へ。

向かう途中に変なオブジェが。
これも万博の時に「天の池」という中にあったイサム・ノグチの作品で「Moon World」
 
民芸館では柳宗悦のコレクション展示をやっていました。あえて言う事もありませんが、さすがに良いもの持ってます。個人的には17世紀のマヨリカ皿なんかが欲しかった。
そして、メインの民博へ。

リンク画像が小さいのでこちらを
顔の部分が大貝で隠れてます。貝って内側が真珠みたいに七色に光るからまた凄い事になっています!まるでウルトラセブンに出てきたボーグ星人プラチク星人みたい。手に持つ杖にはサメの歯が植え付けられています。
 
その次はすかさずガーナのエビ棺桶!と木彫り人形の新旧対決。ガーナっておバカ棺桶で有名な国で巨大携帯電話型の棺桶やら魚の形の棺桶なんかがありますが、その中でもこのエビ棺桶はスーパー級です。
 
この辺の冒頭の見せ方にキュレーター力が光っています。
 
そして本編はエリアごとに区切られて紹介されているんですが、その圧倒的な物量には感服させられます。そしてビンビン伝わるのは学芸員のマニア度。ここに関わっている人達って相当酷いですよ(いい意味で)。愛情なんか通り越して変執的であります。
 
その中でも個人的にルーマニアのマスクは相当好き。
 
ここの凄いのはいわゆるフォークアートや民族衣装なんかだけでなく、現在も垣間見れる事です。具体的に言うとアフリカの床屋の看板だとかアフリカの水汲み用ポリタンク、インドの映画ポスターや、トルコの露店を再現(食品など店内のものも全部本物)なども展示されています。
つまり、過去の民族的側面だけでなく、文明が発達した現在の生活も垣間見れるのです。ガジェット好きの僕にはとてもたまらないものばかりです。
キャプションには収集年も記述されていますが、最近ものも相当多いです。それもみんな個人の寄贈者。みんな愛がありますね。
 
そういえば先日anzaiさんと会った際に、世界の地域文化を研究する大学教授はどのほとんどが建造物や遺跡などから分析しているそうで、現行品、特にスーパーで売られているような食品パッケージなどから地域の文化性や民族性を分析する人はほとんどいないそう。僕はまさにその後者に興味があるため、ここの展示品には非常に興味を持ちました。僕の持っているものも、管理とスペースを確保してくれる所があったら寄贈するのに。と思っています。
僕のガジェットコレクションは、物としてはゴミみたいなもんですが、デザイナーとかには相当な重要な資料になるはずだと思うんですがね。
 
とりあえず、トークイベントの前にいいもの見せてもらいました。
関西のデザイナーは是非行くべきです。
| Culture | 22:45 | comments(2) | - |
現実性、軽さ、そしてコミュニケーション
ここによくコメントをいただくミラノ在住のanzaiさんが、日本でセミナーを開くということをご本人に紹介していただき、挨拶も兼ねて参加しました。
 
会場にはanzaiさんとも面識があり、僕もiidaのプロジェクトでお世話になっているH本さんも居た。H本さんに関しては議題に取り上げられていたので、後半くらいで書きます。
 
まず、セミナーの結論から先に言わせていただくとデザイン関係者というよりはネクタイを締めたビジネスマンが多く、相互理解が未消化のまま終了してしまったように思えました。
僕は常日頃、文化や歴史、精神性などやや社会学的な視点からデザインやさらにはビジネスに落とし込むことを考えているため、非常に興味の有る話題でした。
しかしながら恐らく多くの人はanzaiさんが話したヨーロッパ人の視点(ものの考え方)や日本人の持つ視点、同講演者で社会学者の八幡さんの言う、精神性に頼ろうとする日本人の危機感と論理的思考の重要性というお二人の話がどうビジネスに直結していくかが、意識の無い人には全く分らないだろうなあと思いました。
 
anzaiさんが日本人はディテールにこだわり、世界観やコンセプトが不明瞭というところを批判されていますが、今回の話はディテールとコンセプトは理解できたが、世界観(文化とビジネスのリンクとしての)が不明瞭だった気がします。もう一つ、今回の話題のキーワードでもあった日本の文化の持つ「軽さ」という部分に関し、論理的に説明が出来なかった事も一因はあると思いました。
 
現にセミナータイトルが「欧州市場の文化理解とビジネスへの活かし方」というものだったのに対し、最後の質問者から「お二人の話とタイトルが全く繋がりが見えなかった」と少し批判的な意見が出ました。それ以前に質問された方も内容に関し批判しないまでも全体を包括したものよりも議題の中のそれぞれの小話題(ディテール)に対した質問が多かったように思います。
(相手はそもそも理解していないというところに立ち位置を見いだすのはなかなか容易ではなりません。僕自身もこのセミナーに参加していない人にちゃんと伝わっているかどうかを意識しながらも疑問に思いながらここに書いています)
 
そんな批判批判と書くと、あんまりいい内容じゃなかったのかと思われてしまいますが、僕にとってはストレートな共感を抱くものであったことは間違いありません。
 
僕が理解するに、anzaiさんは「現実性」をもっと要求するべきと思っていたのではないかなと考えます。
ミラノ・サローネにおける毎年恒例になったレグサスの展示を例に挙げていました。
レグサスの哲学がとても日本人的な侘び寂びのような感性。感性というものは相互理解が難しい。欧州で成功させるには欧州人の文脈に合わせなければならない。との見解。
僕もごもっともだと思います。でも、レグサス自体にそのような戦略意志がそもそもあるとは思えないんです。レグサスだけでなく日本企業のサローネ出展全般に感じる事です。
僕のイメージは、海外の有名展示会で発表しましたという実績で箔を付け、市場は日本国内を狙っているように思えるのです。日本でしか使えない家電や携帯をわざわざ海外で展示するのも同じ事でしょう。
そもそもそこに「現実性」が無いように思えるのです。
レグサスも本気で欧州戦略を考えるであればサローネではなくフランクフルトの自動車ショーに出すでしょうし。
何か何億円も使ってPRという名を借りた消費・消耗をやっているように感じています。
もちろん文化的発信は必要ですし、必ずしも利益に直結することだけが「現実性」ではないとは思いますが。

 
でもって、H本さんの話。
anzaiさんは講演の中でH本さんが2008年、2009年とサローネで発表した椅子について取り上げました。



上は2008年発表のうすいいす、下は2009年発表のくものすのいすです。
H本さん曰く「批評家受けは上が良くその年は賞を獲った。下は賞を獲らなかったが一般客の反応は良かった。」そうです。
anzaiさんはこの2つの椅子の評価と「軽さ」という価値観の違いに注目しました。
下の方が欧州的「軽さ」だと。
 
僕もそう思います。日本人が考える「軽さ」は圧倒的に上だと思います。日本国内の評価も上の方が高いと思います。では何故上は賞を獲っているのに日本的で、下は賞を獲っていないのに欧州的なのか?
 
これも個人的な見解ですが、一つは日本人が考える軽さ、デザインはマイナス思考だと思います。極限までマイナスすることにより生み出される美意識。逆に欧州はプラスすることにより「軽さ」を表現しようとする。複雑に絡む針金を構造計算により機能を持たせるまさに下の椅子の方に近いです。上は何度も言うようですが、日本人の美意識が反映されています。海外の人にとって僕はそれを神秘的だと思うように感じます。つまり東洋の持つ神秘性、オリエンタリズムです。
オリエンタリズムもれっきとしたビジネス戦略になっていると思うんですが、西欧人にとっては神秘的なものに惹かれる気持ちでしか無いように感じる事がよくあります。結局日本のデザインはオリエンタリズムという漠然としたカテゴリーになんでも入れられてしまっていると考えます。
FUKASAWAYOSHIOKAも海外は本気で受け入れていないかもしれません。
俺たちは日本人の美意識が分ってるんだよ!と言わんばかりの海外批評家は絶賛(というモーションかもしれない)するけど、マーケットには乗っからない。
あえて相手の分る足し算的なデザインで「軽さ」が表現された下の椅子は、欧州ではスタンダードな思考なのであえて賞を獲るまでもないと判断されるでしょうが、一般受け(一般理解)はされるわけです。
 
H本さんの椅子には当てはまらないかもしれないけど、もう一つは講演者の八幡さんが言っていた「時間の重さ」も「軽さ」の判断基準になっていると僕も思います。
歴史を考え、日本と欧州ではどこが違うかと自分なりに考えると、占領というキーワードが出てきます。長い歴史の中でヨーロッパはローマに占領されたり、トルコやイスラム、チンギス・ハーンによる征服など土地はおろか、もともと持っていた文化や思想など自分達のアイデンティティを脅かされる経験を積んでいます。だからこそ今存在する喜びを歴史と重ね合わすのではないかと思うんです。これによって古いものを大事にする欧州的な思考が生み出されているような気がします。逆に日本はアメリカの統治下になったことなど多少あっても、本気で植民地になったことは無く、多くは内戦による領地の取り合いで、国内ですから文化まで変わる事は無かったことがあまりモノに歴史的重みを求めなかったのではないかなと漠然と思います。伊勢神宮などに見られる式年遷宮(定周期で建物を壊し、また作り直す)のようなものはモノに歴史的意味を持たず、形式に伝統を求めている例だと思います。日本人の潜在宗教ともいえる八百万の神は形の無い存在で、たまたま何かに宿っているだけで、モノが新しくなったらヤドカリのように神様が引っ越すと考えているフシがどこかあります。だからこそ「軽い」のではないでしょうか?
 
本気に欧州で正当な評価、ビジネスを考えるのであれば欧州的な「軽さ」の概念やオリエンタリズムからの脱却、欧州人の文脈に沿った戦略を根本から理解しなければなりません。多分anzaiさんも同様のことを考えておられると思います。
 
また、八幡さんの言う論理的なものの考え方にも賛同します。
僕は感情や感覚といった漠然としたものに、実は非常に高いビジネス戦略があると思っていますが、その感情や感覚を論理的に説明できるようにこのブログでも極力やっているつもりですし、常日頃の仕事でも努力しているつもりです。
僕は自分自身、物書きやジャーナリストなんて思っていませんが、少なからず書いたり、喋ったり、モノやデザインと人を結びつける仕事をやっている以上、好き、嫌いと言った主観的な感情であっても、極力、具体的に、論理的にどうしてそう思うのかを説明しているつもりですし、そういう立場にいる人は皆、論理的に説明する義務があると思っています。それこそが、デザインそのものに一般理解が得られない唯一の打開策(言葉を使う表現の範疇内で)だと考えています。

 
| business | 23:53 | comments(18) | - |
| 1/1PAGES |