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CLASKA 2009

金曜日の夜、クラスカでパーティが行なわれ、打ち合わせもあったのでお邪魔してきました。ちょうど1年くらい前にオーナーが変わったことによる大リニューアルが行なわれましたが、今年になりさらにフロア変更などのマイナーチェンジが行なわれ、そのお披露目が目的です。さらに、以前もエントリーした上の写真のクラスカ編集による東京ガイドブック「Tokyo by Tokyo」が完成。受付でいただきました。僕は最終的に江戸時代のテーマパーク3カ所を紹介しました。現在の大商業都市東京は最近になって出来たのではなく、既に江戸時代から存在しました。江戸の人々は街をどう楽しんだのか?今も残る東京の場所と江戸の文化をリンクさせてみました。その中の1つで取り上げたウチの近所の代官山ヒルサイドテラスあたりから広重が描いた浮世絵を使用してもらいました。
この本、3月から一般の書店でも販売するそうです。
 
かなり話題性が強いパーティだったのか、お客さんもたくさん。
DoではBRUTUSの巻末でK端君が連載している「みやげもん」の展示販売が行なわれていました。K端君はreraxが全盛期だった頃のメイン編集者で、僕がBRUTUSに連載していた時の担当編集兼ライター。TITLEのエアライン特集の時も一緒にやりましたが、その後たまに偶然遭遇する程度。最近は民芸品に夢中のようです。この日は会えるかと思っていたけど人が多かったのか、本人がいなかったのか会う事は出来ませんでした。
会場ではauでもお世話になっているNosigner、今月からフリーになった元CIBONE副社長のA野さん、燕子花のS水さん、Knot JapanのY嵜さん、最近いろんな所でお会いする山櫻のU田さん、久々に会ったO咲さんや東京ピストルK藤さん、K彅さん、formさんに紹介いただいた建築家のK沢さんやその他ちょこっと話した人、話し中で挨拶だけした人だけでもかなりの量になる。ここではデザインや民芸熱は高いようですが、そのまわりにどう派生するでしょうか?そもそもこの日はエディターのK戸さんがやっている本のコラムをお手伝いする事で、formさんを含め話をするのが一番の目的でした。内容はこの日クラスカで行なわれていた事に近い。K戸さんがここに取り巻く熱みたいなものをどれだけ外側に発信出来るか期待がもたれます。
| Life | 16:28 | comments(4) | - |
3月のトークショー第一弾

以前エントリーした「僕らの空想日記」イベントが3/5〜3/29の間、TEPCO銀座館で開かれます。今やっている空想日記ブログで進行レポートしている商品を会場展示します。
僕のアイデアもだいぶ形になってきました。
 
3月は今のところ3本のトークショーを予定していますが、その1本目がこのイベントにあわせて行なわれます。
3/5(木)の18:00~19:00 TEPCO銀座館4Fの展示会場です。このトークは空想生活の代表であるエレファントデザインのN山さん、ランドスケーププロダクツのN原さん、そして僕の3人によるセッションになります。デザインに関わりながらもそれぞれ立ち位置が微妙に違うので、ぶっつけ本番ですが、どんな話が飛び交うか参加する側も楽しみです。
 
尚、トークは定員40名の予約制だそうです。
ここで応募受付していますので、ご興味ありご都合がつく方は是非!

| Culture | 23:40 | comments(0) | - |
現場を生きる人
某ビジネス雑誌の企画で良品計画無印良品)のK井社長と対談をしました。詳細は追って報告する誌面を楽しみにしていてください。ビジネス的な視点からいろいろ聞いてみたのですが、まあ僕という事で、名前を伏せているデザイナーとの関係や先日のトーネットの話、ナガオカさんのやっている無印リサイクルなどなど個人的に聞きたかったデザインに関する話をかなり突っ込んでみましたので、終了後広報の方に「今まで聞いた事の無い話だったので、興味深かったです」と言われました。
対談をして感じたのは、これだけ突っ込んだ話をしているにもかかわらず、社長自らが全て答えてくれた事です。多くの企業では社長は個々のプロジェクトの詳細を知るはずも無く、恐らくこんな質問をしたら「追って広報の方から資料をお送りします」なんて言われかねない。今回この全ての質問と詳細が返答され、この社長は現場をちゃんと見ていると思いました。10年くらい前、デフレなんかの社会情勢に合わせて、MUJIっぽくない(ブレた)ことをやりましたがその頃はやはり経営危機に立たされていました。今、この不景気の中でも安定していて、出店する新店舗もすぐに黒字になるところをみると、この現場主義の社長と無印良品の強さがとてもよく分かりました。
 
その対談終了後、急いで移動し次の打ち合わせへ。某企業のプロジェクト会議へ参加。そこではシンガタのM田さんS田さん達と関わらせてもらっています。ご存知の方は多いと思いますが今広告業界といったらシンガタかドラフト(OBも含め)かという感じ。
 
シンガタがこれまでやってきた事と言えばJR東海「そうだ、京都行こう」、トヨタ「ECOプロジェクト」、サントリー「BOSS」「モルツ」「DAKARA」その他たくさん。数え上げたらきりがないけど、誰もが知っている広告成功例を次々に作ってきた会社。M田さんもau「Design Project」などを行ない、傾きかけた会社を業界第2位まで押し上げ、その後Softbankで「ブラピ」や「犬のお父さん」の戦略で契約数業界一位の会社にした凄腕の人。やることなすこと全部成功させているのだから企業の社長クラスに絶大な支持を得ていて当然、それでもいたって本人は気さくなのですがこの人も何事も現場で自らが動いている。ちゃんと現場を知っている人だから微笑みながら話す言葉は、一言一言がとても重い。リアルだ。
 
そしてS田さん。シュウウエムラの業態開発から、傾いたロッテリアを再生、地方でバラバラだったJOMOを統一したサービスにし、新業態を手がけたりした。最近はフード関係のブランディングや社員教育などを行なっています。彼女も営業マン一人一人の声を聞いていたり、流通に何が必要か現場を歩いて自身のコンテンツにしている人。
 
僕も出来るだけ現場を見て、そこで体験した事を生かしたいと今年最初の抱負でも言ってきています。
時代を動かす今日会った人達はみんな現場主義に生きている。金融崩壊や表示偽造など虚が多かったここ最近、ほとんどの人達は信じられる(リアル)なものを求めています。地に足がついているからこそみんなを理解させられるし、みんなを共感させられる。それが結果企業利益や社会を動かすきっかけにもなるはずだと僕は確信しています。

| business | 23:16 | comments(2) | - |
デザイン=配慮する

パリのギャラリー・クレオからやっと届いたハンガー掛け。以前にエントリーしましたが、2ヶ月経って届きました。(船便で遅いのではなくUPSで先週発送してます)発送用の箱が大きかったので、開けてみたら実物は思っていたよりも小さくてびっくり。
 
深澤直人氏の限定50のアートピースです。深澤といったら、アートピースとしては確かヴィトラのエディション椅子とこれしかまだ手がけていなかったと思います。
写真のようになんて事は無い板に釘を打ち付けただけのものなんですが。
 
年末にデザイナーのF城さんとお昼を食べた時に、この作品を買った事に興味がとてもあると話していました。

僕はこの作品に何か清さのようなものを感じていました。
デザインってぶっちゃけていうと、そんなに多くは必要に迫られない。例えばカトラリー。多くのデザイナーがナイフやフォークをデザインするけど、ベースになっているデザインがあまりにも完成度が高いから、そんなに多くは変わっていないし、古来からあるものより良くなっているとも思えない。デザインはもともとできない事を可能にしたり、さらに良くするために生まれてきたものだと思うのですが、振り返ってみると多様性のためのバリエーションという要素が強く、概念を超えることはもうそんなに生まれないかもしれません。
ハンガー掛けだって、数えきれないデザインは存在しますが、本来はもっとプリミティブな「生活の知恵」から生まれてきているように思います。ウチの実家でも柱に釘を打ち付けてフックとして利用しています。その打ち方も柱に対して垂直ではなく、やや斜めにして引っ掛けやすく、落としにくくする工夫をしています。誰もが持つそういったクリエイティブな感覚。デザイナーの発想の根源とモノのルーツ、そして生活の知恵への敬意の念。なんかそんな清さをこの作品に感じてしまったのです。もちろん、深澤さんは策士ですし、アート品である以上、こういったことを念頭に置いたコンセプトをあえて利用したはずです。まあ、僕はもともとレディメイドが好きですし、他にも細かく言えばこれを選んだ理由もある訳ですが。
 
しかし、驚くのはこの作品、よく見るとただ板に釘を打っているだけではありません。釘はすべて鋳型で作ったもののように見えますが、触ってみると絶対に引っ掻く事が無いように面取りされているのです。本物の釘だったら根元まで打ち付けるようになっているので、もっとエッジが鋭角になっています。この辺がアーティストではなくデザイナー的な配慮だととても感じます。もしかしたら、デザインってそんなもんかもしれません。何かをリ・デザインし形状を探求することではなく、ベースになるものに配慮していく事ではないか?と。こんな単純な作品でもいろいろ想像をかき立て、もの作りに関わる僕自身も大変勉強になります。


板の裏面にはシリアル番号と深澤さんのサインが入っています。
| Design | 23:04 | comments(4) | - |
Paul Rand

DTP WORLD最新号サンプルが届きました。今月の連載Design=Socialではポール・ランドを取り上げました。今回の原稿にはしていないんですが、先日亡くなった福田繁雄さんにランドの話を聞いた事がありました。


 
ある日、福田さんの自宅に電話がかかってきました。出るとなんとポール・ランドだったそうです。当時のランドといったらデザイナーの神様みたいな存在なので、舞い上がってしまったそう。電話の内容は、ランドが定期購読している「アイデア」に福田氏の玩具展の記事が載っており、それを是非ウチのギャラリー(NYのIBMギャラリー)でやらないか?というお誘いだったそう。
もちろん、それまで先輩デザイナーでさえそんなお声がかかったことが無かった。福田さんはそれをランドを最大にリスペクトする亀倉さんに話した所、相当嫉妬されて、半年ぐらい話してもらえなかったそうです。
写真は1967年にIBMギャラリーで行なわれた福田繁雄展のパンフレットです。トリックアートの得意な福田氏ならではのしかけがあるパンフ仕様です。


 
福田さんにはコネチカットの駅にランドが車で迎えにきてくれたこと、車中でかけていた音楽が気に入ってカセットを無理矢理譲ってもらった事。ギャラリーで設置中、猫のても借りたいのにその場にいた警備員が全然手伝わなくて、その憤りをランドに話したら「私たちはこれを設置する役割。彼は警備をする役割。それぞれの役割を全うするのが役目だ」とアメリカ文化の違いをランドに説教されたこと。イエール大学でランドの講義がある前日にはNYからボストンからそのエリアの書店からランドの本が一斉に消える事(ランドの人気は凄まじく、サインを求めるために学生が買っていくそうです)など、文献になっていない出来事をいろいろ教えてもらいました。(もちろんムナーリとか他のデザイナーの事も)
こういった話を聞くと、ちゃんと後世に伝えたいなあと思うのでした。そして、時代を作ってきた人達と実際会う事の大切さを実感します。


これはIBMギャラリーで当時販売された「Bird Tree」という木製玩具。
当時ギャラリーで購入したNYの人から譲ってもらい、福田さんに会った時にサインをしてもらったものです。
| Graphic | 23:15 | comments(0) | - |
空気のてざわり
天童木工PLYにて秋田さん写真展がはじまり、そこで秋田さんとFORMさんのトークショーが開かれるということで聞きに行ってきました。
 
秋田さんとは面識がありませんでしたが、何度かこのブログを紹介いただいていたり、僕自身もブログはチェックしていました。正直、僕は秋田さんのプロダクトはデバイスタイルのイメージが多かれ少なかれあって、格好良すぎて趣味ではありません(スミマセン)。もちろんイオンとやっているハイアールなど奇を衒って無いプロダクトもあるんですが、おおまか僕のイメージとしてはそういうスタンスがありました。今回のトークを聞かせてもらい、もう少し踏み込めた気がしました。やはりキャリアのあるデザイナーさんなので、ハイアールみたいなアノニマス感あるものから、デバイスタイルのようなカッコいい系、LED信号機なんかのインフラ系、そして自らメーカーとして売っている80mmカップなどデザイナー色を足したり引いたり様々なことをやっており、それぞれの持ち回りを聞けた事が良かったです。
 
そして、展覧会の写真。僕も海外に行く時はバシバシ写真を撮りますが、その気持ちがとても僕に近い所がありました。僕なんかはもっと雑食でゴミなんかも積極的にとりますからその辺も感化されるのか聞くのを忘れてしまいましたが、僕の旅行の目的は「空気感を掴みにいく」ことなので、何か今回のタイトルもうなづける感じはしています。
 
FORMさんの公開トークは初めて聞いたのですが、スムーズな進行でなかなか司会なんか頼まれるんじゃないかと思ったほど。
秋田さんとの対話もまとまってはいました。しかし、もう少し客観的に考えてみると、話の内容は噛合っていない(というかそれぞれが独自のスタンスをもっている印象)がありました。
 
例えば、FORMさんが小学校にもデザイン教育が必要。というのに対し、秋田さん側は、自然に身に付いていく事なのでいらない。(秋田さんとはちょっと理由が違うけど僕も(教育は必要だけど)デザイン教育はいらないと思います。そもそも公的にデザインは主張するものでは無いと思うから)
また、昔ながらの都市が変貌していくのは悲しいと言うFORMさんに対し、秋田さんは変貌と思うのは原体験に基づいた過去の事で、懐かしい過去の風景もまた、その前の時代を壊して生まれてきているもの。過去であっても例えば江戸時代を見たところで壊れた実感は生まれない。だから変わって当然だという意見でした。(僕もまったく秋田さんと同じ感じを持っています。世代や時代によって残したい原風景も違うでしょうし、それに今があるのは僕らが少なからず過去の風景を壊す事に加担しているはずなので)
全てではありませんが、そんな感じの意見の相違が終始あったように思います。
 
どちらかというと進行がFORMさん聞き手、秋田さん話し手の構造になっていて、こういった相反する2人の考えが出てきても、その意見の違いが見えただけで、お互いの突っ込んだ主張(議論)に発展しなかったのが惜しいと思いました。まあ、もともと30分としていた立ち話ではそこまでの事は無理なんでしょうけど。
 
今度この話を踏まえて、お二人にもう少し突っ込んだそれぞれの主張を聞いてみたいと思います。それでも今回のイベントでもう少し秋田さんというデザイナーと作品の輪郭が膨らんだことは収穫でした。
| Culture | 23:11 | comments(0) | - |
イメージのギャップ
このところプロデューサーとしてプロダクトデザイナーと接する機会が多いです。
再三、デザイナー達と話したり、伝えているつもりなのですが、あがってくるラフを見るとイメージ(方向的な)とのギャップを感じます。
 
それは何なのか? もちろん、僕の伝え方が悪いというところもあるかと思います。
ただ、僕自身が感じるのはデザイナー個々の「譲れない」何かなのです。
現在やりとりしている10人ほどのデザイナー。若手と呼ばれる20代後半から30代前半がほとんどです。そのほぼ全員が最近の雑誌で「注目すべき若手00人」なんかとして紹介されています。
注目はされていますが、実績はまだまだありません。それ故に「やりたいこと」がはっきりしています。その多くの「譲れない」何かが、デザイナーとしてのアイデンティティの部分です。
 
今回のプロジェクトで考えている僕の方向性はどちらかというとMUJIのようなもの。もちろんMUJIと違い、デザイナーの名前は出すのですが、そういったところでないある意味広い層に受け入れられ、こういうのが欲しかったというユーザーのツボにハマるもの、デザインを意識させないものを希望しています。
しかしデザイナー達が求めているのは「デザインしたもの」なのです。自分の個性を主張できるような、インテリアショップに置かれているようなものです。
 
僕が感じているのはデザイン意識の無いデザインこそ生活の中に入り込んでいくと思います。信号や交通標識なんかによって事故が起らず助かっていますが、それをデザインとはあまり言いません。ダイエットをしてスリムになってモテることもデザインだけどデザインと言う人はいません。そのくらい日常的な中にデザインが入り込んでこそマイノリティからの解放なんだと思うんです。僕たちがいくら「デザインを良くしよう!」なんて言ったって多くの人は誰も聞いてはいません。
 
ある人が「デザインで彼氏を選ぶ」というフレーズに過敏に反応していましたが、あえてデザインって言葉を出しただけで、誰だってデザイン(本来設計と言う意味なので、容姿や、収入、人生設計もデザインのうち)を重要視して選んでいるんだと思うんですけど。
 
僕は当初、若いデザイナーは実績は無いけどよりユーザーの気持ちを理解できる(いい意味で素人な)存在として「いいものを作ってくれる」と期待していました。もちろん今も変わっていません。しかし、実際デザイナー達は「認めてもらいたい」ゆえにトリッキーになりがちです。デザインで認めてもらいたいという意識が強いのか、客観的に考えるとあまり必要でなかったり、欲しい人を限定してしまう結果になっています。
先日SLOWのHさんと話した時にデザイナーからアートディレクターのスタンスに移って初めて客観性に気づき、デザインという中で今まで考えすぎていたことを理解したそうです。やはりデザインの中に入ってしまうと俯瞰で見れなくなるのでしょうか?逆にベテランデザイナーの方が素人目で見れるのでしょうか?
 
また、違う観点では「理想的イメージを強く持っている」ということもあります。プレゼンシートにはポエティックな解説が入れられています。そのポエティックな感じが現実に結びつける想像性だったらいいのですが、内向的なものが多く、非現実的であったり、そもそも自分だけが酔っている感じも見受けられます。コンセプトは必要でしょうが、商品が一人歩きした時にユーザーが感じる物でなければならないのではないでしょうか? それはまさにメーカー側が「定番品」と言っているようなものです。定番になるかどうかはユーザーが決める事です。
 
ここんところ、そういうやりとりをしている中でつくづくMUJIの凄さを感じずにはいられません。また深澤さんの立ち位置の取り方(ある時はアーティスト的に、ある時は有名デザイナーとして深澤デザインならではのフォルムを、ある時はアノニマスとして作家性を隠すことができる)などプロジェクトによって切り分けられる能力は、日本を代表するデザイナーと言われるだけのことはあるなあーと思います。
 
若いデザイナーにこんな事を要求するのは難しいのかもしれませんが、本当にデザイナーとしてやっていきたいならば、素人に戻って何が必要か? そのためにデザインがどう関われるのか? そして、何のためにデザインが必要か?を客観的に考えることも今後必要になってくるでしょう。
 
このことを考えるのは仕事の中だけではありません。特に建築家の話を聞くと、とてもやりたい事が理解できて、そうあるべきなんだろうなあと思う事が多いのですが、いざ作ったものを見てみると「こういうことなの?」とイメージのギャップを感じる事が多々あります。例えば地域の人達とのコミュニティづくりのために、内外の関係性があいまいになるガラス壁にするとか。空間は解放されるのだろうけどそれで心は解放されたことになるのだろうか?人とふれあいたい気持ちを持っている人であれば、どんな厚い壁があってもふれあうだろうし、僕は気持ちの中に有る公的な部分と私的な部分のバランスが重要だと思っているんですが、何でもかんでも公的にすることもどうかなと(例えば最近なんでガラス張りのトイレが多いのかとか)素人目線では感じてしまうのです。考え方は公的なのに作品は私的な感じ。それでも僕がアート品を買うように、施主が満足すればそれでいいんですかねー。

ここのところ若いデザイナー達と仕事をやっていて素人目線を持つ重要性をとても感じます。デザインなんて言葉が無くなる日が来るのでしょうか?(そのときはじめてデザインが日常のものになる気がします)
| Design | 23:00 | comments(16) | - |
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