今月から大阪のサントリー・ミュージアムで「純
粋なる形象 ディーター・ラムスの時代」展がはじまりました。BRAUNのプロダクトが中心ですが、懐かしいものばかり。僕も2005年にAXISで行なった
ブラウン展にも関わり、そのスタッフで京都の建仁寺で行なわれたラムス展と講演会に行きました。AXISのS野さんとはドイツ本社にも行きました。
BRAUNが歴史に残る企業になったのは絶妙のタイミングがあったわけです。(自著「
Design=Social」でも触れてます)
創業者のマックス・ブラウンが急死し、世襲で息子2人が会社を継がなくてはなりませんでした。でも若くて右も左も分からない。そこで、戦友として知り合ったフリッツ・アイヒラーという人にプロデューサーをしてもらうことに。彼のコネクションはバウハウスまで及び、
ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルドや
マックス・ビルなんかに相談をするんです。ビルは近々学校を設立(ウルム造形大学)するので、その辺のスタッフも協力するよ。と応えます。そのスタッフが初期のプロダクトをラムスといっしょに手がける事になるハンス・ギュジョロと初期の展示会の構成や販促ツールの開発を行なったオトル・アイヒャーがいました。つまり、戦後のモダンデザイン移行期の絶好のタイミングで保守的な父の死をきっかけに若きブラウン兄弟は若いなりの革新をしたわけです。もし、あと10年父が生きていたら時代は既に進んでいたはずで、ブラウン伝説は生まれなかったに違いありません。
ラムスはこの革新をする上でインハウスのデザイナーが必要ということで採用された人物でした。アイヒラーは彼の経歴であったインテリア・デザイナーという部分に惹かれたようです。アイヒラーはライフスタイルシーンをメーカーが提案するというものをこの時代既に想定していました。そのためにはいくらプロダクトが素晴らしくても、ライフスタイルに根付かないのでは意味がないと考えていました。そのため、プロダクトデザイナーではなく、インテリアデザイナーを採用したのです。まず、アイヒラーはアメリカの家具メーカー「
Knoll」のカタログをラムスに渡し「これに合うオーディオを作ってくれ」と頼んだそうです。56年には多分世界で初めてだと思うんですが「グルッペ21」という集まり、つまり同じ思想を持ったメーカーがライフスタイルシーンにおいてコレボレートして空間で展示会をおこなうことをします。「グルッペ21」にはオーディオ家電でブラウン、家具はKnoll、食器はアラビア、イッタラ、WMFなどなどそれまで商品を陳列するだけの展示会だったものをインテリアコーディネートした空間で見せたのです。1つのメーカーがこういった展示をおこなう事はその前からあったでしょうけど、21社が同じ空間で演出する事はこれまで無かったでしょう。
展覧会を行なう前、
M井先生宅へ行って当時のドイツデザイン思想を聞いたのですが彼の話から何度も飛び出すワードが「オーダー(秩序)」「フリーダム」でした。ドイツにおけるモダンデザインは一見相反しそうな「秩序」と「自由」によって成り立っている事がよく分かりました。
そこ頃僕もある雑誌の取材でドイツデザインは「ケチ」から生まれたと言いました。つまり「ケチ」だからこそ丈夫で長持ちし、シンプルなデザインで飽きないことが重要になってくるわけです。これを良く言うと「質実剛健」になります。この精神はドイツ人の根底に流れるプロテスタントの生活スタイルがあると思います。
ドイツのデザインは理性的モダンデザインといえます。
それに対して同じ時期に登場したオリヴェッティのデザインは同じモダンデザインでもちょっと違います。マリオ・ベリーニのデザインによる計算機「
ディヴィズンマ18」のラバーで出来たキー部分を見ると、つい触ってみたくなります。ラテンのデザインの根底には感性に訴えかける部分を多く持つ感性的モダンデザインがあります。
では、この理性と感性はどこからやってくるのか?
ある飲み会で聞いた話でとても興味深いものがありました。
その彼の会社でカーデザイナーとして有名な
奥山さんの講演会があったそうです。彼はアメリカの大手自動車メーカーGM社で働いていました。当初は文化の違いで四苦八苦していたそうですが、その後、彼らにプレゼンテーションする時の文脈の作り方を学んだそうです。それはデザインに理屈をつけること。例えばこのラインは空気抵抗を良くするためのものだとか、良いデザインはいかに機能的であるのかを説明すれば大抵の場合理解してくれるそうなのです。そしてこの活躍が功を収め、イタリアの
ピニンファリーナに引っ張られます。そこで、彼はアメリカ時代と同じプレゼンテーションをしました。しかし、相手から返ってきた言葉は「そんなもん、見りゃー分かるよ」でした。イタリアでは機能デザインは当たり前で、いかに感性に訴えかけるコンセプトや思想をプレゼンテーションできるのかが問われるのです。
この話を聞いていて先日
エントリーしたマライエの食デザインが思いつきました。
僕は食文化がデザインに密接に絡んでいると思います。
食に疎い国は、理屈で物事を考えます。でも、食文化の豊かな国は理屈なんか要りません。美味けりゃいいんです。(何でも良い訳では無いと思いますが、美味いものはシェフの腕だとか食材の良さだったりとかに裏打ちされている結果があるはずなので)ドイツ、オランダ、アメリカ、イギリスなど食文化に疎い国は機能的なデザインが生み出されていることを感じます。逆にイタリア、スペイン、フランスなどは感性に訴えかけるデザインが多い。僕は日本は後者だと思うけど、最近は頭で考えがちになっている気はします。(ただ、深澤さんなんかの作品を見ているとドイツっぽいシンプルデザインでありながら絶妙なカーブなんかに日本人的感性を感じますけど)それは食に豊かさを求めなくなってきているからでは?とも思ってしまいます。若いデザイナーと仕事で会う機会が増えましたが、そういう人にはなるべく美味いもんを食べて欲しいと思います。仕事で感性を発揮するには、日頃の生活の中で刺激を受けていないとならないのだと感じています。