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How Very Tokyo

明日ルイ・ヴィトンから「東京ガイドブック」が発売されます。ホテルや有名レストランはもちろん、日本らしさを持つカプセルホテルや神田の古本屋などが紹介される。
それを意識している訳ではないでしょうが、クラスカが来年出版するそうです。デザインイベントの見学に今日はクラスカを訪れたのですが、そのガイドブックの選定協力をO熊さんとU久保さんに依頼されました。他の皆さんは名建築やデザインショップなどを選定するでしょうから、僕はデザイン的でありながら、日常に埋もれてしまった場所を紹介したいと思っています。ウチの近所を歩いていると40年くらい前に建ったおしゃれだけれどどこかユルいロゴを使ってるマンションがあったり、バルコニーの柵のパターンやタイルの模様がいい感じのところを結構見かけます。こういった東京に住んでいても楽しめる場所を選ぼうと思います。
 
と、話は最初に戻ってクラスカにやってくると、1Fのカフェでお茶をしているOさんに遭遇。その後Y嵜さんが合流。Y嵜さんは元ヴィアバスストップのバイヤーで今は特に日本の工芸とデザインの橋渡しをやっている人。昨年の燕子花の輪島プロジェクトや今年のシボネのコミッティの漆作品なども彼女のサポート。
お二人に解説してもらいながらOさんの作品を見学。
それから、フライターグのK家さんにご挨拶。クラッシュしたトラックを製作中でしたが、数日前にクラスカ前でトラックのクラッシュがあったそうです。ギゼの亀甲縛りランプもおバカでなかなか良かった。出展していた人には悪いけど、デザインウィークの会場から離れてユルくやってる感じが一番良かったです。100%やTideは売りに必死ですからね。
 
その後、青山に移動しスタイリストのN山さんお勧めのリチャード・ウッズの展示をやっているポールスミスへ。彼の家具はエスタブリッシュド&サンから昨年発表されていますが(日本代理店のBALSでももうじき取り扱いが始まるそう)今回の展示はワンオフとリミテッド満載。
 
それからH.P.FRANCEのB場さんがやってる表参道アートフェアをまわり、ドリアデ(今回でクローズしてしまうそう)、HOYAクリスタルのパーティをはしごし、アッシュコンセプトで生ハムを堪能。それからシボネのパーティへ。シボネもだいぶパーティ経費を削減しているそうで、数年前のような2千人規模、500人も外に並んでるようなことはありませんが、それでも盛り上がりは都内一でしょう。噂を聞きつけている不良外人がとても多いです。今回からシボネで展開されるH中さんの作品のために本人が東京に来ているというので、会場を探してみるとアシスタントの子と2人で孤立している感じ。もっともアウェーだし、シャイだし、山口ではパーティなんてそんなにやらないでしょうから(しかも東京でも大規模な方)無理もない。僕が横について会う人、会う人を紹介しまくりました。東京では始めて見る人も多かったのですが、かなり評判はよかったです。シボネにはオリジナルでもっと面白い事をやって欲しい(時間が無くて間に合わなかったようなので)と期待してます。
 
こんな一面も東京の顔。How Very Tokyoです。
| Design | 23:26 | comments(0) | - |
Design Tide
今回はミッドタウンで行なわれたDesign Tide。オープニングにお邪魔しました。
結構早い時間に行ったにも関わらず、入り口は行列。中に入っても既に人でごった返し、入場規制が始まっていました。
入り口にはE&YのM澤氏CIBONEのY川氏TIDE実行委員のA木氏、カタログの編集をしたBACHのH氏、アートディレクション担当のSoup DesignのO原氏、Tide Marketのディレクター、methodのY田氏と若手ディレクター達がお出迎え。インテリアスタイリストのFジヤさんがスタッフで動いていて、プレスということで行列をかき分けて先に入れてもらいました。
 
入ってすぐに「柳本さん!」と声をかける人物が。今回の会場構成を担当した建築家のT尻さんでした。前から知ってはいますが、今回お会いするのは始めて。やわらかな布で会場を仕切っているのは分かりましたが、それを風船でつり上げているのは彼の説明を聞くまで気づきませんでした。会場を引いてみると、集落のような感じもします。
 
another work*sで作品を発表したMile100%のT井君も出展。T井君のプロダクトでも僕は特にマグネットタックが好きです。
そういえば原宿のKスタでこの前のCEATEC JAPANで発表された彼らの携帯のプロトタイプが展示されているので、是非みてみてください。
 
僕はY川さんにも言っていましたが、Tide自体は面白いけど、実の方に結びつかないのをとても感じていて、「じゃあ、また来年ね!」みたいな学芸会ノリがどうしても抜けない気がしていました。もちろん彼らも分かっていて今年はTideを辞める方向にまで発展していました。それがミッドタウンでやること、M澤くんらの若手にディレクションを委ねた事で新たに再生しようとしたのです。8月だったかDesign Tideのメンバーと別件であった際に、M澤くんと話しました。学芸会ノリの件を彼に言うと、今年は実に結びつける方向にしたいとかなり熱く語っていて、その通り今回のTideは誰が見ても実の方向になっていると思います。ただ、前のエントリーで話したようにお祭り色がなくなってしまうのも個人的には寂しいです。
 
そして、会場を出て渋谷の雑踏に戻るとこんなお祭りのことなんか誰も知らないように日常が動いています。つくづくデザインのニッチさを感じてしまいます。もっとホテル業界やら飲食店やら、タクシーやバスなどの交通機関やら他産業も巻き込んで街が総ぐるみになっていかないと、本当の意味でのデザイン振興はまだ始まってもいないのかもしれないと思ってしまいました。

| Design | 23:59 | comments(3) | - |
日本史

今の僕たちの生活があるのは、先人もしくは自分たちが未来をよりよくしようと思ったからで、過去の判断は必然として起っているはず。だから今を後悔して「あの頃は良かった」その当時に戻っても、大抵は同じ事(今に繋がる選択)を繰り返すだろうと思う。
 
大政奉還もまた必然的な政治転換だったんだろうと思う。そのきっかけとなる尊王攘夷を推進した井伊直弼は当時の保守派に敵視された事は理解できる。しかし、その後の歴史の中においても悪人としてみられているのは不思議だ。これは過去の古き良き時代にノスタルジーを持つ人々が今生きる時代に憂いでいることのためにスケープゴートを見つけているのだと思う(江戸の古き良き時代から開国し、文明開化の悪しき時代になったのは井伊直弼のせいだ。と)。しかし、本当は過去より今の方がよりよくなっているはずだし、何より皆が望んだから変わったに違いない。この矛盾点は僕たちが生きる今も同じなのだと思う。物質と情報にかけては必要以上に豊かになったが、何も無かったけど昔は良かったなーと、今を憂う人が多いだろう。多分そういう人がいいと思っている昔に戻ったら我慢できないと思う。20年ほど前、文明に逆行し、心の豊かさを求めて脱サラしてペンションオーナーになっていった人達は今どうしているだろう。過去のように戻るには大きなリスクを覚悟する必要がある。(ムラ社会故に起きた津山事件のような人情の裏には閉鎖されたコミュニティもあるし、今と比べ物にならないほどの犯罪率、食べる事さえ困っていた貧困、教育の未発達など時代の裏をちゃんと見る事)そんな決断を迫られたら、やっぱり今の方がいいと思うかもしれない。
 
僕は正直、O田さんの企画した「日本史」展にそれほど期待はしていなかったし、S水さんの作品も2点と事前に聞いていたので、たいした事は無いと思ってました。しかし、100%デザインの帰りに「ついで」に寄ったつもりの当展示が、早くも今回のデザインウィークの個人的ベストワンになりそうです。もしかしたら、100%デザインの前に見たらもう少し印象も変わっていたかもしれないけど、それもまた必然なのかと思う。
 
この不景気の最中、今回のデザインウィークでのイベントは全体的にとても堅実で、サスティナブルやエコ、フェアトレードなどがベースになっている。それはそれで実の有る取引に結びつきとてもいい事だと思う。でも個人的には物足りない、暗い時代だからこそバカなものが見たい!
そんな展示会を見た帰りの「日本史」展はひときわおバカで衝撃的だった。それにただのバカじゃあなかった。
 
より良い今を選択した(未来は今よりもっとよくしたいと思った)はずなのに過去へのノスタルジーに浸る矛盾はデザインにおいても共通の認識がある。そして教科書の中でしか知る事のなかった井伊直弼の時代と同じ感覚を、僕たちは今感じていて、それで何か歴史上の物事(日本史)がリアルにみえてくる。
さらに展示されている鏡の作品「井伊直弼(大)」に写る自分に対し、今この瞬間を客観的に感じてみる。「自分は矛盾に生きていないか」と。
髷は切り取られ、白い台座の上に置かれた。武士の時代から既に新しい文明への選択をしている。でも皆、髷の時代を求める。巨大になった過去へのノスタルジー「髷貯金箱」を振り返ってみても、そこには空虚な(中身がからっぽな)安っぽさ(プラスチックの髷)があるだけなのです。
 
この作品を見て、今日見てきた展示会を振り返ってみると、虚と実が入り交じり矛盾と空虚に満ちあふれていないか?と、何か今やっているデザインウィーク全体にテーゼを投げかけている気がしてしまいました。そして、白いこのギャラリーの中に、居心地悪くぽつっと置かれている作品を前にして傍観者はまるで自戒を求められているかのように困惑し、あの間の悪さはそれを計算しているのだと感じてしまう。
僕たちは今とこれからを生きるしか無い。悪い事が起ってもそれはそれで今考えうる正しい選択なんだと思う。斬り落とされ未来へとスタートした井伊の髷はそう語りかけているように思えました。
 
豊かさを求めるが故に自ら消費社会を選択した産業と社会に対し「昔の方が良かった」と今を否定する僕たちへの批判的なものでありながら、今や未来のために新しいものを生み出す意味の肯定でもあると、S水さんの置かれているスタンスを理解できました。
そして、ここまで考えさせるのはやっぱり作品の仕上がり完成度の高さにもあると思います。もの作りの姿勢をとても感じます。作品が陳腐だったら、それこそそのもの自体が空虚になってしまうからです。
| Design | 23:20 | comments(0) | - |
今回一番欲しかったもの

マリアUSBメモリー(@スペイン大使館)
パーティも大盛況でした。
| Design | 23:06 | comments(0) | - |
J'aime Japon

スペインやオランダのデザイナーに感じるのは、世界を旅し、様々なインスピレーションを自分の作品に投影していること。オランダはそれが圧倒的に社会派であり、スペインは圧倒的に楽しさで表現することが多い。ハイメ・アジョンもまたラテンな楽しさを作品に投影するデザイナーです。
 
僕は日本をラテン民族だと思っています。静かなラテンというか、間というものを大事にする。グラフィックや建築にも間が日本の感覚的な美学だし、日本人が最も気を遣う「空気を読む」というのも人間との間の取り方のような気がする。シンプルなデザインを好む民族ですが、その中に感情を宿らせます。日本人の僕にはなかなか理解しにくいのですが、その辺が西洋の人から見るとオリエンタリズムに感じるのだと思います。
だから、ハイメのような見るからにおバカな表現にどこか憧れを抱いてしまう気がします。
 
今日はハイメの短い来日期間で重要なセミナーと伊勢丹のパーティーが行われました。
彼の話の中に「エゴは共有できる」という言葉がありました。自分がやりたいようにもの作りをするというのが彼の基本スタンスなのですが、そこには圧倒的なエゴがある。でも彼のエゴは「楽しくてしょうがない」といった部分で、その楽しさは外に向けて共有できるのではないかと言っています。彼は数年前からリヤドロのチーフディレクターをしているので、マーケティングなど戦略も考えているのではないかと僕は思っていたのですが、彼の話を聞いていると戦略的なところよりもむしろ感情がマーケティングになりうるというような印象を受けました。ウチの企画する商品もいつも「ワクワクを共有する」という部分に力を入れます。不思議なことに「どうしてもこれが作りたい!」と思って作ったものは、絶対に売れるんです。逆に「今月は売上げのためにこれを作んなきゃ」といって作ったものは思ったように売れません。僕は仕事柄マーケティングみたいなものに頭を使いますが、どんなに分析しようがこの自分自身から湧き立つ楽しさ以上の効果的な戦略はありません。神戸のNOTAMというお店(ウチの商品を扱ってもらっている)にたまに行き、店主が接客しているところをみると、ワクワクをお客さんに与えていることがわかりました。ウチが作った商品は僕たちのワクワク感を踏襲しているのですが、そのワクワクが店主にちゃんと伝わり、店主はそのワクワクをお客さんに伝える。僕たちは直接お客さんと触れる機会は少ないけど、こういったワクワクを繋げることが結果的に末端までコンセプトを伝え、結果売れるようになることを実感します。作り手側にその気持ちがない限り、いいものは生まれません。だからエゴといったら語弊があるかもしれないけど、そんなことなんだろうなあというニュアンスは感じることが出来ました。
しかし、僕は正直思うに、リヤドロなどの作品がちゃんと売れていくのかという点では疑問は残ります。確かにトラディショナルなリヤドロなどで革新的な作品を生み出すことは話題性は高く、海外の雑誌を見てもパブリシティ効果は絶大だし、ハイメ自身もリヤドロ以降世界各国からオファーが来るようになったのは事実でしょう。でもそれが実売に繋がっているのかというとどうでしょうか? ワクワクが揺るぎないことは理解していてもその度合と伝達力によって影響力が弱まってしまう部分もあります。だから僕は出来るだけそのワクワクを可視化(分かるような言葉や数値などに)できたらと思っているのですが、凄い難しいことでしょうね。
 
もう一つ印象的な言葉だったのが「第三の眼」です。これは僕もいつも気にしているところです。例えば同じ旅をしているのでも人が気づかない部分をいかに見て、それをインスピレーションとしてどう自分のクリエイティブな部分に転換するか。主観と客観、多分僕は「第三の眼」とはその転換能力、つまり編集だと思っているのですが、僕はその能力こそ、クリエイターかそうでないかの分岐点のような気がします。スペイン人は大航海時代を考えても冒険にロマンを抱き(悪い言い方をすれば最終的に侵略なんですけど)土地土地の文化を吸収し、自分たちの編集を加え文化を作り上げていきました。トマトはもともとメキシコあたりの原生している野菜だったので、イタリアやスペインになくてはならない食材としてその国の文化そのものになっているところを見るととてもそういう編集能力を感じます。ハイメを見ているとそのDNAを強く感じます。
 
DESIGN TIDEのイベントの一環として伊勢丹新宿の5Fで始まったハイメの展示は今まで日本で扱いのなかった商品が大量に並び、さらにそのほとんどが販売されています。ただ、この円高にも関わらず上の写真のシャンデリアは300万円オーバー、キャビネットも180万円オーバーとあまり現実的でないお値段には少々戸惑います。(中にはフラワーベースなど比較的安いものもあります)伊勢丹の上客だったらこのくらい買うんでしょうか?少なくともデザインマニアは価格にはシビアなのでなかなか買うことはないでしょうね。でも、実際本物を直に見ると、そのクォリティの高さにはうなるものがあります。ハイメのトークの中にも頻繁にクォリティという言葉が登場しますが、彼のおバカなものがちゃんと評価されるのはそういったクォリティの高さがあるからなんでしょうね。
 
この記事のタイトルにもなっているJ'aime Japonが今回の気持ちらしいです。J'aimeは愛を表す言葉ですが、同時にハイメとも読めます。ハイメの共通するコンセプトには常に「愛」があります。やっぱりラテンですね。
| Design | 23:23 | comments(0) | - |
ahoaho

以前、N嶋さんが東京に来た際に話していた本「アホアホ本エクスポ」が出版されてました。版元がBNNというところが意外なのか時代を反映しているのか。京都の恵文社では販促を兼ねた展覧会も行われたようです(展覧会は終了しましたが期間限定で特設ページが開かれています)。
 
N嶋さんは大阪在住で、以前はパッケージデザインの会社へ務めながらオンラインのブックストア「BOOK ONN」をやっており、現在はそちら1本で頑張っています。
何年か前に「最近アホなサイトはじめたんですよ」と言ってwebアドレスの書かれたフライヤーをもらいました。それがこのahoaho expoサイト。このサイトがもとになって、今回の書籍が出された訳です。
 
N嶋さんと会ったのは神戸のNOTAMが主催するトークショー「Midnight Airport」ででした。多分2回目から(でしたよね?)朝までコースに毎回参加してもらっています。朝までトーク&飲み会は20人くらいの大所帯なので、その頃は名前と顔をなかなか把握できませんでしたが、僕が大阪へ出張するとブログで書いた際に「大阪でお会いできませんか」とメールをいただいたことがきっかけで個人的な交流が始まりました。N嶋さんが東京へ来る際も時間を見てはお会いし、長っ話をしています。
会って話をするときは、僕に気を遣ってかアホ話はしないので、とても生真面目な人に一見見えます。でも僕、本当はアホ話好きですよ。
 
このブログを見てもアホ話は全然書いていないけど(たまにみうらじゅんのエントリーはありますが)、本当は凄い好きです。
そのうち別のところで公開すると思いますが、僕はサインのコレクションも多く、高部知子の自叙本「ハンパしちゃってゴメン」のサイン本や松田聖子の愛人だったジェフ君の暴露本のサイン会(僕を含めて2人しかいなかった)に行ったりとか、レクレーション協会の理事だったビートきよしの「レクレーション入門」だったり、誰のサインでもいいというわけでなく、狙った人しか集めていません。その他にも僕の収集の中にはアホな収集はたくさんあります。でも、デザインヒストリーを見ていくより、こういったアホ文化の変遷を見ていった方が文化の起源や人間の感情的なところがよく分かるんですね。だから無駄なようでやめられないんです。
 
<追記>
そういえばN嶋さんがHELVETICA展で出していた古本「Typografica 10」と「Aデザイナーズ・アート/日本版 」あまりに安かったので僕が背取りしちゃいました。

| Culture | 23:22 | comments(3) | - |
Girard展@efffy表参道ヒルズ

今日から表参道ヒルズB2Fのefffy gallery & sotreにてジラルドの展示が始まりました。
efffyはジラルドの版権を正式取得し、バッグを中心に展開しています。
今回の展示はその商品の世界観をより知ってもらう意味を持っています。
 


ハーマン・ミラーが1961年にNYにオープンさせたお店「Textile&Objects」。ジラルドが全面的にプロデュースしました。ハーマン・ミラーのファブリックで作ったクッションやニューハート人形、オーダーカーテンやフォークアートまでを販売していました。60年代始めは50年代の保守的な思想がアメリカでも残っていた時期。フォークロアのテイストはあまりにも早すぎた感覚(60年代後半に大流行する)で、一般的には全く認められなかった。そんなことで数年で閉店してしまったのですが、現在でも伝説に残るお店となっています。そのT&Oで売られていたものやグッズのコーナー。T&Oのロゴマークはイームズ・オフィスのデザイナー、ジョン・ニューハートが担当。
 


1960年にNYのタイムライフビル1Fにオープンしたメキシカン・レストラン「La fonda del sol」。ジラルドを中心にハーマンミラーが請け負っています。イームズのラ・フォンダチェアはこのお店のためにデザインされたもので、食器からユニフォームまで特注で作られました。
 


1965年にリニューアルした「Braniff航空」のグッズ類。機体のカラーリング、機内のシートや食器、アメニティから社員が使うマニュアル、社封筒まで14000点以上のデザインをジラルドが手がけています。
 

ハーマンミラー社の生地サンプル。もちろんジラルドのデザイン。会場にはもっと多くのテキスタイルが展示されてます。
 

額装したポスターや原画など。前回公開しなかったポスターが2枚。左上のポスターはハーマンミラーがT&Oショップのために制作したもの(1962年)。
右上はテキサス・サンアントニオで1968年に開かれたエミスフェール万博の際にジラルドのフォークアートコレクションを展示した「A Magic of a People」展のために制作されたもの。もちろんイラストもジラルド。2年ほど前にリプリントされていますが、これはオリジナルのバージョンです。
 
本当は夏にLAのオークションでイームズの短編映画「Day of the Dead」(メキシコの死者のお祭りを扱った映画で、ジラルド夫妻が監修と登場するフォークアートを協力)のポスターを落札したので、展示したかったのですが、まだ届いていません。
 


もうひとつ今回注目すべきものがこのファイル。今まで僕のコレクションファイルなどを公開した事は殆ど無いし、あってもケースに入れられていましたが、今回は閲覧できるようにジラルドのファイルを置いています。
何冊かあるうちの1冊ですが、40年代位からのホーム系雑誌、建築雑誌などを中心にスクラップしています。ジラルドの家やハーマンミラーのショールーム、ラ・フォンダの内装などほとんどの人が見た事の無い資料がまとめてあります。
 
11月25日までやっていますので、デザインウィークのついでにお越しください。

| Design | 19:42 | comments(3) | - |
Marije Vogelzang

AXISで始まったマライエの展覧会オープニングパーティに行ってきました。
3年ぐらい前だったか、アイントホーフェン(デザイン学校)出身の若い女の子がデザイン的なレストランをロッテルダムに開いたことを知りました。アイントホーフェン卒業生は大体、プロダクトかジュエリーデザイナーになる事が多いので、FOODというのはちょっと意外で、大変興味がありました。
 
昨年、アムステルダムに行った際、彼女のお店「Proef」の支店が出来たという話を聞いていたので行きました
マライエのやっていることはとても考えさせられます。例えば今回の会場で牛乳の飲み比べがあるのですが、比較することによって自分の好みや、味の違いなどをあらためて認識させるといったものや、布がかけてあるテーブルに布に切れ目が入っているところから手と頭だけを出し、食事をする(実際会場では食事は出来ないんですが)。布に束縛されて手が自由に利かないことによって、身体能力について改めて考えてみたりとか、たまたま会場であったK戸さんが彼女のことをレポートしているので詳しくはここを。
 
僕は彼女がやっていることの素晴らしさを疑う余地がありませんでした。でも、ここ最近僕の中で何かが変わってきているように思うんです。
マルティ・ギゼもフードをコンセプトにいろいろなことを試みるデザイナーの一人なんですが、アプローチがまるっきり違う。スペイン出身の彼の行為は食への「楽しさ」が前提にあります。一方マライエの行為は食の中に隠れてしまっている問題の「可視化」にあります。一緒に行った妻が「食べるっていう行為は、前提に美味しさがなければいけないんじゃないか」と言ったのですが、多分僕がひっかかったのもそこなんです。食について考える、食育などは現代の生活の課題と言えるのですが、美味しく食べる事が出来なければ本末転倒だと思うんです。
その後妻と帰る途中で、やっぱりギゼは食の大国であるスペインという土地と、ラテンの持つ陽気さがアプローチの根底にあって、逆に食に疎いオランダ(オランダ料理は不味くて有名)とアイントホーフェンのリサーチを徹底させる教育で育ったマライエの文化の違いをとても実感したと話しました。
日本はどちらかというと食の先進国であり、食文化が劣るオランダの考え方にどこか疑問が出てきてしまうのではないかと思いました。
 
ちょっと前に建築家の石上さんのことについて触れましたが、多分彼のスタンスとマライエはにているのかなと思います。憩いやひとときの愉しみのためにお金を払って食べるカフェやレストランなどの実営業にはやはり前提に美味しさが無ければならないと思います。ただ、彼女のやっている事は石上さん同様重要なことで、それはこういったインスタレーションやデモンストレーションのような形をとってアートとして啓蒙していくべきだと考えた一日でした。
 
<追記>
文中「楽しく」の部分を「美味しく」に変えさせていただきました。
マライエのやっていることでも充分「楽しく」感じることができます。彼女の行為は食に対する「気づき」になるでしょうが継続性はありません。糖尿病、肥満など継続性が必要な食事に「美味しさ」が伴えばあえて理屈を作り手が語らなくてもいいと思います。デザインとは形状や理屈などに頼らず、無意識を良い方向に持っていくことこそ実は必要なことなのかと思います。
| Life | 23:55 | comments(1) | - |
Design=Social

11月上旬に僕が「DTP WORLD」で連載しているDesign=Socialが単行本化されます。Glyph.ではこれまで十数冊の本を出していますが、著書として出版するのはこれが始めてになります。造本・レイアウトはここ最近コメントをいただいているSLOWさんが手がけられています。
 
至極あたりまえのことだけれど、デザインと社会は密接に関わっています。でも、その関わりを追求する事もあまりありません。過去のデザインはデザイン史の中で語られる事が多く、社会が生み出した物事がデザインだという視点ではあまり紹介されていないのです。あるデザインがある時期にある場所で生まれることは偶然ではなく、世の中の物事が必然的に重なって生まれてきている事。
僕は「なぜ?」「どうして?」を子供の頃から知りたくてしょうがなかった。だからそれをとことん調べていったら、だんだん理由が見えてきたのです。社会の必然の作用がデザインの誕生であるならば、現在、未来の社会を見れば、どんなデザインが生まれてくるか(必要とされるか)が見えてきます。デザインが行動や消費活動の一端を担っているとすれば、必要なタイミングで必要なデザインを出せば必ず売れるということです。デザインは一部の趣味的要素ではなく、産業や経済に大きく影響を及ぼします。
 
帯の「良いデザインは、よく売れる」とは柳宗理やオーレ・エクセルなどいろんな人が言ってますが、多分最初はIBMの社長が言った言葉だと認識してます。IBMは最初にデザインに意識を持った企業であり、その言葉のもと工業デザインではエリオット・ノイス、CIはポール・ランド、建築はマルセル・ブロイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、エーロ・サーリネンなど、空間はチャールズ&レイ・イームズなんかが起用されました。
恐らくこれを読んでいる人の中には「良いデザインは、よく売れる」とは限らないと思う人もいるでしょう。しかし、デザインはモノ(フォルム)だけではありません。売り方、宣伝などのナビゲート部分にもデザイン概念はあります。だから全てが良ければ売れるのは確実です。僕はもっと強く「良いデザインは、必ず売れる」と断言できます。
 
この本ではウチにある貴重な文献や資料をふんだんに画像で紹介しています。コレクター向きと言ってもいいほどの資料なのですが、某○IE BOOKSのネタ本は違い、僕がやりたかったのは帯にある通りビジネス書に近い方向に位置づけをしたかったのです。だから、デザイナーの人だけでなく、ビジネスマンに読んで欲しいと思っています。過去に起ったデザインのムーブメントや企業の成功をソースに、現在、そして未来をどう切り開いていくかということです。
 
本書ではDTP WORLDで連載しているコラムをベースにしていますが、各カテゴリーの扉解説、序文、あとがき、特別対談、そして僕のコレクション人生を綴った特別編と、半分くらい新たに追加した内容がありますので、毎月購読していただいている方でも全然楽しんでいただけるようになっていると思います。
 
編集部と販促をどうしようかと話しています。どこかの書店とかで何かやる可能性もありますが、その際はまた告知したいと思います。
 

| Design | 12:12 | comments(4) | - |
携帯も感覚の領域に

今まで何度かエントリーしているように、another work*sなどauさんの仕事に関わらせてもらっています。
そもそもanother work*sのきっかけは携帯周辺からよりライフスタイルへ近づいていくことでした。今まで携帯キャリアは端末をリリースし、サービスに徹してきました。
僕はauのデザインプロジェクトの端末を使っていますが、それなりに気に入っているもののそれは携帯そのものの魅力であり、僕の生活とはあまり接点が無い事をよく感じます。国民1人に1台の携帯時代になった今、爆発的に生産量が伸びる訳でも無く、どのキャリアも行き詰まりを感じているのはぬぐえないでしょう。
 
そこにi-phoneが登場したんですね。端末としては最小の機能に抑えつつ、アプリケーションを充実させ、独自にカスタマイズできる。余計な機能を最初から付けるより、自分たちのニーズに合う機能だけを選択できるのは画期的だと思います。というか何でどこもやらなかったんでしょうね。そして最大の魅力はロングライフなデザインであること。どこのキャリアも年に3回ほど新商品を発表して、その度に自然と廃盤になってしまうのだけれども、Appleは大きなデザイン変更をするスパンが長い。たとえしたとしてもイメージ自体は大きく変わらないし、ジャック口などは常に同じ位置についています。これがあると、他のメーカーが周辺機器などを開発しやすいのです。今までanother work*sのようなプロジェクトが出来なかった多くの理由はここなんだと思います。メーカーもリスクを持って開発するには長い間販売できる事が重要です。数ヶ月でデザインが変わってしまうと開発も追いつかないし、デザインのトーンも共有化できません。
 
auも伸び悩んでいる時期なのですが、i-pnoneの影に隠れてしまっている部分には着実に新しい考えを育て始めています。それがライフスタイルの取り組みであり、人の感覚に触れる取り組みなのです。ちょっと前からスポーツの領域に踏み込みました。adidasと共同開発し、スポーツ携帯を生み出しています。既にNikeなんかがやっていましたが、携帯を使うことによって、例えばGPS機能だったりとかもっと可能性が広くなる訳です。
そしてデザインプロジェクトも新たな感覚の方向へ向きだしています。それが上の写真のようなYAMAHAと開発した打楽器携帯。まだまだ開発未定のアイデアレベルなのですが、既に任天堂がやっているWii MusicWii Fitのようなライフシーンへ携帯も踏み込もうとしている事がよく分かります。
 
まだまだauのやっていることは生活者の意識まで届ききっていませんが、いずれこの思想は理解され、auの復権に繋がるのではないかと思っています。
 
たまたま、このプロジェクトについてのレポートが最近エントリーされました。
動画もあるので、是非見てみてください。
Pingmag
| Culture | 09:51 | comments(2) | - |
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