今回も飛び込みで銀座松屋で行なわれている「
デザイン物産展ニッポン」へ行ってきました。
昨日のトークショーもそうでしたが、地方とデザインについてはとても個人的にも仕事的にも関わっている事もあり、興味がある題材です。結構強行なスケジュールでしたが見ないわけにはいきません。
催事場の半分だったので、そんなに大きなスペースではありませんが、最終日なのかかなりの人でごった返していました。そして、学生さん風の若い人が多かった。
ココカラハジマルさんのブログでも書かれている通り、入場料800円は高いと思います。
それが、ipodやiphoneのプログラミング費用や施工費の反動であるなら、僕はもっと違ったやり方をしてでも入場料を安くするべきだと思ったのですが、見た目のかっこよさはやはり必要だったのでしょうか?
それでもこれだけの人が集められる力と注目の大きさがうかがえます。
はじめ、デザイン物産展という響きに僕はとても抵抗を感じました。世の中のデザイン携帯、デザイナーズマンションみたいな、デザインなんちゃらという間違ったデザインという言葉の使い方と何ら変わりないと思ったからです。それはデザイナーが有名無名、もしくは匿名であろうと、無かろうと誰かがデザインはしているわけで、特定のものだけ「デザイン」を付けるのはおかしいからです。この展覧会(物産展)にあわせて発売された書籍(カタログ)を買ってウチで読んでいたら、ナガオカさんのエピローグにその事が触れられていました。やはり、当初はコミッティのメンバーの方々も抵抗があったようですが、ナガオカさんが説得。でもどうしても会場を見ても、その文章を読んでもデザイン物産展という言い方の違和感が拭えるほどの説得力はありませんでした。
入場料やらネーミングやらで長々と話してしまいました。本展にうつります。
僕はあまり物産展という感じはしませんでした。やはり展覧会といった方がいいと思いました。
展示は統一サイズの展示台に5つのカテゴリーで置かれています。
1.伝統工芸 2.伝統にデザインを加えたもの 3.デザインで販促した食品類 4.デザイン的な活動や施設 5.タウン誌や地元のフリーペーパー
すでにインテリアショップなど、デザイン志向の強い都内のお店でも置かれている伝統工芸品やデザイン工芸などもありましたが、知らないものもあり、また会場で説明しきれない部分(制作行程や背景など)をipodやiphoneを使って解説する所はモノを知るという意味でも、展覧会の方法などにおいても勉強になりました。あらためて、地方のこういった物事を知ってみたいと思いました。
ただ、僕はこの展覧会の最終的な意味がどこにあるのかという疑問点が生まれました。
デザインに興味ある人にとって、この展覧会は地方とデザインの関係性や最先端の状況を知れた良い機会だと思います。僕を含めて。こんなに多くの人が来ているのもデザインというフックがあったからだと思います。しかし、俗に言う物産展に来るような人たちに(限りなくデザインという認識を持っていない人たち)はより多く見てもらえたでしょうか?僕はそう思わなかった。であるなら日本全体でみると、マニアックなデザインマニアおよびファンが集まったイベントに過ぎないのではないかと思ったのです。有る一部の人たちの認識を変えても、それが地方の認識を変えるようなムーブメントになるかといえば、僕はならないと思います。
また、これは人それぞれのやり方なのでこの展覧会が間違っているわけでなく、僕個人の希望としてなのですが、デザイン物産展を始める前にやっておかなくてはならない事があるのではないかという事です。
具体的に言うと、地方にはまだまだ知らない工芸品があります。その中には伝統工芸でありながら埋没してしまい実際売れていないものもあります。ある時期からメディアの取り上げ方が変わった事が1つの要因にあると思います。ですが、地方の人はデザインが今らしく無いのが売れない原因と考え、有名なデザイナー、もしくは今風のデザインに変えることによって売れるようにしようと考えている所が多々あります。僕は地方に行って工芸品を発見した時に、デザインを変更したものよりも、伝統工芸から脈々と続くデザインのほうが魅力的に感じる事がよくあるのです。ということは、もともとあったデザインが問題ではなく、それの売り方や見せ方、告知の仕方が問題だったのではと推測するのです。実際、今回の展示でもデザイン工芸より伝統工芸の方がいいじゃん。と思ったものも多かったし、実際、僕が買った物も上の写真の沖縄の伝統工芸のお皿でした。
だから、僕はデザインを一新して新しい風を地方工芸に吹き込んで成功したものを見せる前に、僕たちが知らないけど素晴らしい伝統工芸を見たいわけです。これを見せた上で「伝統工芸もちゃんと認知されればこのままでもいい」として売り上げを上げる事はできるのではないでしょうか?それでもやっぱりダメだった場合はデザインを一新しすればいいと思います。
だからまず、今まであった工芸品がどういうふうにすればよく見えるか、今の生活に馴染ませられるか、欲しくなるかをデザインして(会場構成やコーディネートなど)その良さを再認識させるイベントが必要だと思ったのです。
もう1つ。実は僕は物産展が大好きです。妻にも言わず一人でイートインコーナーで食べに行ったりします。買ってきたものがその日の夕食になることもあります。ウチは渋谷駅が近いので、東急東横店で4日から始まる九州物産展も楽しみです。物産展のいいところは作り手、もしくはそれを作っているメーカーの方から直接、背景を知る事が出来ることです。そして、試食・試飲、手に取って持ち具合や使いやすさを試してみる事も出来ます。ごちゃごちゃしているところも楽しいし。
今回の展覧会で物産展と名乗るんであればそういった物産展と展覧会の違いを明確にし、物産展そのもののもつ魅力を引き出して欲しかったと思います。この展覧会では展示台に下げてある商品カードをレジに持っていけば買えるようになっていましたが(閉場間近だったので、ほとんど売り切れていて残念でした)実物は触る事が出来ないとは酷い(
FORMさんも同じ所を指摘しています)。タウン誌などはカフェのところの壁にサンプルがあって読む事が出来ましたが、うまいかどうか分からず食品は買えないし、使い勝手が分からなくてモノは買えません。それこそデザイン(食品の場合はパッケージ)がいいんだから見た目で買えよ!と言われているような感じを受けました。
そして特に食品に感じたのですが、それらの食品の良さとして打ち出しているのはラベルやパッケージなどのグラフィックデザインでしかないということです。売るためにはそりゃグラフィックは重要な部分です。でも、それ以前に中身が重要です。目に見えないとしても本来のデザイン(食品そのものの工夫など、例えば台風で落ちてしまったみかんを使ってお菓子を作っているとか)を打ち出すことが前提ではないかと思ったのです。
今回の展示のためにオファーのあったある食品のメーカーの方で、展示を断った人の話を聞きました。断ったのは展示をしたいそもそもの理由がそのパッケージだったからです。作り手にとっては味など食品そのものを丹誠込めて作っており、パッケージはその付属品です。本人も中身がいいから売れていると自負しています。でも、会場では中身は見せられず、パッケージの美しさを評価の対象としています。もちろん多くのメーカーさんは百貨店で多くの人目にさらされ、売り上げが上がればそれでよしとすると思います。でも中には必死で作った本意以外の所を評価されても嬉しく無い人もいるでしょう。
そして、ipodやiphoneを使ったガイド。見せ方と言う意味では大変参考になりました。でも、僕は作った人やスタッフの声を聞きたいです。インタラクティブと言えども、機械では一方的に主催者側の伝えたい事だけを聞かなくてはなりません。でも生の人間だったら、話し方から伝わる愛情や、こぼれ話、何よりもこちらから質問し、それに答えてくれる相互関係のコミュニケーションが成立することは大きいと思います。丁度同じフロアでやっていた別のイベント、スカンジナビアンデザインの即売会が出店者の対面販売だったのでそれを凄く感じたのです。
思った事を正直に書いたので「じゃあ、お前がやれよ」と言われたら出来ない部分や組織や人とのやり取りが困難で折れてしまう事もあるとは思います。そんなことを棚に上げて言っているのは重々承知しているのですが、ナガオカさんだからハードルを上げて期待しているのかもしれません。
僕は地方の活性化も大事だし、ロングライフも大事だし、多くの部分でナガオカさんに共感していますが、本業の広告屋さんの部分が見え隠れ(見た目先行やキャッチコピー先行)することをたまに感じます。僕も同じ方向に進んでいる身として、自分を問いただす意味としてもこれからも批判的共感をしていこうと思っています。