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Helvetica展

以前、Helveticaのイベントについては触れさせていただきましたが、夏にリリース予定だったDVDが10月24日にずれたので、イベント自体も曖昧になっていましたが、今月21日〜28日、原宿ラフォーレミュージアムで「A tribute to Typography 〜 ヘルベチカの過去・現在・未来」という展覧会が行われる事になりました。入場料は300円ですが会場ではHelveticaの上映もされるようなので、映画を見ると思ったら安いかも。
 
ということで、企画のプチグラさんからの依頼でウチのコレクションも展示する事になり、打ち合わせにやってきました。
 
その前にとHelveticaを使っている資料を探していたところ、意外に苦心してしまいました。もともとHelveticaは活字制作会社であるスイスのハース社が開発し、ステンペル社から発表されその後、ライノタイプ社に権利が渡っているとめんどくさい。当初はノイエ・ハース・グロテスクと呼ばれていたものが60年にヘルベチカという名称に変わっていたり、まあ複雑な事情があります。それ以外にもヘルベチカ以前に存在したアクチデンツ・グロテスクやユニバースフルティガーなど文字1つ1つに癖があるんですが、文字のよっては一見では判断できない事もしばしば。僕もある程度はわかるんですが、微妙な書体もあって、専門的な人が見ないと判断できないんです。特にアクチデンツ・グロテスクとはそもそもこの書体をベースに整地化したのがヘルベチカだけにほんとわかりづらい。
 
だから「あれってヘルベチカだったな」と思い、引っ張り出してちゃんとみるとそうでなかったり、意外にヘルベチカのものって少ないんだなあと感じました。
 
もともとゴシック(サンセリフ)書体ってローマ帝国衰退後にドイツ周辺が勢力がついた時代に出来たブラックレターという書体にルーツがあるんですが、その当時はローマン体(ローマ時代に使われていた書体)へ対する反抗として生まれたもので、ローマンには理性や秩序を重んじる傾向があったところに感情などを投入したのがブラックレターだったりします。後にこのドイツ時代をゴシック調という言い方で表わしますが、ゴシック・ホラーなんかの言葉でおなじみ「おどろおどろしい」というような意味です。ブラックレターをみるとその「おどろおどろしい」感じは表現されていますね。ルネサンス時代からナポレオンの時代くらいまでは「ローマよ再び」みたいな感じだったので、再びローマン体がリバイバルしています。ミケランジェロの彫刻なんか見ても、ローマ時代への憧れを感じる事ができます。でナポレオン時代の衰退後、再びゴシックリバイバルが起こり、その頃に現在のゴシック体のルーツが出来てきます。この頃にはすでにグーテンベルグによって活版印刷も生まれていましたから、劇的に普及していったわけです。
 
僕が疑問に思っているのは、そもそもゴシック体はブラックレターのように感情や様式を表現した書体であったはずなのに、現代で使われているゴシックはモダニズムの象徴的な書体、つまり理性と秩序を表現しているものにどこで変わったかということです。18世紀〜19世紀の歴史をもっと勉強しなくてはなりません。
 

 
で、脱線してしまいましたがヘルベチカかどうかの判断がしづらいので、とりあえずまとめて送ってしまう事になりました。ちゃんと専門家には見ていただく事になっていますが、会場で「これ、ヘルベチカちゃうやん」と発見されてしまう可能性もありますので、ご了承ください。

| Graphic | 23:45 | comments(0) | - |
ブログの役割に思う事

今度僕の本が出版される事もあり、加筆や新規原稿などでほぼカンヅメ状態です。あまり遊びにいっていない事もあり、お誘いがあったので久々にFormさんと代官山で会いました。彼のブログにアップしている通り、広島で行なわれた「若手建築家のアジェンダ」を中心に彼が最近興味を持っている建築についてがもっぱらの話題でした。
 
FORMさんは最近いろんな建築家に会っているようだし(取材がメインのようですが)こういった討論会などにも参加しているのですが、ブログでは事実関係の情報が触れられているくらいなので、その具体的内容やFORMさん自身の考えを聞きたいと思っているのですが、どうもいつもFORMさんと会うと聞き手にまわられてしまい(僕が言いたい事あり過ぎなのか?)その辺の具体的な話を聞けず消化不良で終わってしまいます。今日も結局未消化な感じでした。
 
僕はそれほど建築に思い入れはありませんが、最近何度かエントリーしたように疑問に思う事は多々あります。僕もそうだけど考えている事と実際やることでうまく体現できることはなかなかないし、悪い事考えているのではないとは実感しているのですが、それをふまえ疑問に思う事は言っておいた方がいいと思っています。
FORMさんは僕なんかに比べ、はるかに現場を見て、本人に会っているので本当はそこんところを聞きたかった訳です。FORMさんのブログでは肯定的に捉えられているのですが、本人に会ったり、メールをもらったりすると必ずしもそうでない事もあり、本当はもっとブログでそこんとこ話してもらいたいと思っているのですが、(やり方は人それぞれなのであくまで希望なのですが)読者も本当はそういうとこを期待している気がします。(僕がそうなので)
 
世の中先入観で物事が動いている事が多く、どうしても多数意見の方から物事を見てしまいがちです。それ自体は全然問題無いんですが、そういう時に限ってその考えが全て正しく、それ以外は正しく無いとしてしまう事が多いと思います。見えていない(もしくは見ようとしていない)自分の正当化している物事の負の部分をちゃんと見て、それをふまえて正当化していくのがバランス感覚だと思っています。僕はこのブログでmetabolism「新陳代謝」というタイトルをつけていますが、ここではそういう部分を出来るだけ拾い上げたいし、物事の裏に潜めくところを見ていきたいのです。だから比較的ネガティブなエントリーが多いかもしれません。そこで誤解して欲しく無いのは僕は皆さんの思っている多数意見に反論している訳ではないと言う事です。負の部分を受け入れてあえて正と捉えるならばそれは健全だと思います。僕はいつもその気持ちを忘れないように思っているだけです。
 
多くのブログを見ていくと、情報のようなレベルのものがとても多い気がします。情報に対して主観が述べられているならまだしも、情報だけ載っけていることが僕にはよく分かりません。それは日記帳に「今度これがあるから忘れないようにしとかなきゃ」という自分に対してのブックマークなのか、「あんとき、これ観に行ったなー」という私日記的なものなのか、何なんでしょう?
僕にはどうしても「0月0日、00さんと00を観に行きました。00がとても感動しました。その後00へ飲みにいきました。また行きたいと思いました」みたいな小学生の絵日記みたいなものはあまり見る気がしません。どこに感動したのか、飲みにいった時にどういう話をしてどう感じたのか?そこが語られていないと、自分に何もメリットは無いからです。その人に憧れているから何をして誰と会ったのか知りたいだけとしてもメリットかもしれません、でも僕は僕以外の人が何を考え、どう行動し、喜びを感じたり失敗したり、教訓を学んだりしているのかを知りたい。そしてそれを自分のこれからの行動や知識に役立てたいと思います。毎日ブログにお弁当の写真を載せている人だって、もの凄く偏った物事の見方をしている人だって僕自身には何かメリットがあると思います。
 
FORMさんに期待するのはそういった見えない部分です。本人に会える人はそんなにいないのですから、その辺の突っ込んだ部分をもっと知りたいのです。
自民党一党体制が崩れそうになっているのも、政治の負の部分が良くも悪くもメディアに取り上げられ、国民が良識有る判断(?)が出来るようになったからです。本当に好きな物事に良くなって欲しいと思うならば、そういった負の部分にメスを入れる事も必要なのではないでしょうか?
 
そんな感じで2時間ほどお喋りした後、代官山のTOMIO KOYAMA GALLERYで始まったアダム・シルバーマンのオープニングを観に行きました。上の写真がその1つです。今回はスカルプチャーを中心に展開。小山さん然り、村上隆氏然り、アート界では密かに陶器を文脈かしようとしているようで、その一辺が伺えました。
| Archtecture | 23:59 | comments(0) | - |
北欧スタイルMARKET

photo: Akiko Torada
9月9日、大阪阿倍野に「あべのand」という商業施設がオープン。そこにLoftも入る事になり、今日から始まるオープニングイベントとしてウチも協力しました。
イベント名は「北欧スタイルMARKET」それも北欧の鉄道を中心にした展示と、北欧グッズの販売会です。
 
上の写真は会場入り口にあるSJ(スウェーデン鉄道)の車両前面。これ、本物じゃなくて造作で作ったものです。何という手間とお金をかけているのでしょうか。昨年GWのKLMイベントといい企画のT田さんの思い入れ500%な感じです。もう、鉄夫、鉄子でなくても興奮です。
 

その後ろはこんな感じ。弊社が版権を持っているスウェーデン鉄道のグラフィックを使って車内をイメージした空間を作っています。こんな電車があったら乗ってみたい。横に見えるポスターは数年前、実際スウェーデンの駅などに貼られていたものです。
モニターでは動画もやっています。
 


T田さんの思い入れで作られたウチのコレクションを展示した北欧デザインコーナー。展覧会や劇場のポスターから、北欧のスーパーマーケットグッズや食品のパッケージなどが壁全面を使って並べられています。この棚の前には北欧の鉄道会社のグッズや紙類などがずらっと展示されています。中には50年代のカイ・フランクやティモ・サルパネヴァのグラス、タピオ・ヴィルカラの電球なんかのパッケージもありますよ。
 

平日にも関わらず人も入っているようですね。SJのグッズの他、ウチのオーレ・エクセルの商品も販売しています。
 
トナカイ飛び出し注意の標識とか、細部までマニアな展示です。
今月30日までやっていますので、関西方面の方は是非!
 

| Life | 23:47 | comments(0) | - |
Beutiful Inside My Head Forever

アメリカのリーマンブラザーズの経営破綻が報道された同日、ロンドンではダミアン・ハーストのオークションが行なわれトータル140億を超える売上げと全く正反対のバブリーなニュースが流れてきました。
 
僕はサザビーズの登録会員でもあるので、豪華なカタログがちょっと前に送られてきていました。多分世界初となるダミアン・ハースト単体のオークションで、このオークション用に作られた作品もみられます。ボックスセットでメインオークションのカタログが3冊、今回の目玉2点をフューチャーした冊子が2冊、それに2シートのステッカー(最近のダミアン作品集などには必ずついてきます)という内容。20年ほど前、僕も参加したアンディ・ウォーホルの遺品オークションのカタログも6冊のボックスセットと豪華でしたが、さらに輪をかけて豪華になっています。
 

その今回の目玉である2作品。牛のホルマリン漬けの方は、エスティメートで17億円〜25億円。大理石の台に、水槽のフレームと牛の頭の上の飾りは18金を使っています。
一方の鮫のホルマリン漬けはシンプルな仕様にも関わらず6億円〜8億円です。
バブルの頃の印象派絵画も異常な金額でしたが、最近の現代美術の高騰もさらに異常さを増しています。特徴的なのは作家本人がオークションに関わっているという事。ハーストといい、ジェフ・クーンズといい、自作の価値を自分で高めているのです。
昔はよく本人が死んでから評価されると言われていましたが、最近は現役(しかも若い)間に評価される時代になったため、作家本人が大金持ちになってしまうこともしばしば。ダミアンも自宅を安藤忠雄に設計してもらうなど、家すらも資産価値を高めてしまうビジネスマンです。
 
この美術高騰の背景には最初にも述べた金融不安が漂っています。投資家が実態を持たない金融商品に不安を持つようになり、実態の有る美術品などを一時的な資金の逃げ場として考えているようです。一種の担保みたいなものですが、彼らにとっては疎い市場なのでこれだけ常識的な価格からずれてしまったり、中でも分かりやすい作家に集中したりでしているのです。もう1つの理由は原油高騰。最近アートを購入している国としてアラブ系とロシアが挙がってきています。どちらも石油産出大国で、原油の利幅で購入しているというよりは、石油資源の有るうちに資産をシフトしておきたいという意識の方が高いようです。ただ、彼もこの高騰ぶりには少々困惑しているようで、バブルがはじけた後、自分の商品価値が劇落するのを防ぐために、作品のあいまいなアート価値よりも誰でも分かる原価価値を上げる事が傾向として見られます。
例えば高級大理石を使ったり18金を使ったりするのはマテリアルの価値は安定しているからなのです。20億の作品が5億円になってしまう可能性がありますが、こういう風にもとのマテリアルが15億かかっていたら、その近辺で下落価格は安定するのです。
上の3冊のカタログも同様、表紙にはダイヤをふんだんに使った作品が紹介されています。ダミアンの最近の作品の傾向はこのダイヤを使った作品が増えている事。これそこ価格を安定に導く下落防止策といえます。
 
もともと仲は良く無いと言われているオークションハウスとギャラリーですが2月のバレンタインにはサザビーズとガゴシアンが共同でオークションをやったりと連立政権のような異常な事が起っている美術業界。金融不安が続く中、当分この勢いは続きそうです。

| Art | 23:45 | comments(0) | - |
コレクターの家

Casa BRUTUSの今号はコレクターの家。ウチも1Pで紹介されています。それにしてもNIGOの家は凄いですね。集めている物や量だったら、僕も彼とそんなに変わらないんですが、彼の場合は展示してますからね。僕はもっぱら倉庫へ収納しています。
賛否両論あると思いますが、僕はNIGOのようなやり方は肯定しています。また、センスとかは別として見る人が見れば分かると思いますが、1点1点が確実に希少性があり、それもコンディションがかなり良く、いいお金の使い方をしているといえます。相当なお金をつぎ込んで購入していると思いますが、多分購入金額よりも高額になっている物が殆どでしょうし、値崩れも起きない安定した物が多いです。
逆に写真家の杉本さんのコレクションに近い物も僕は集めていますが、こちらの方は歴史的価値はとても高いのですが、金額的な価値はあまり高くありません。(もちろん全部ではないですけど)
世の中は需要があって金額が決まっている事もあり、例えば旧石器時代の石器などでも安いんですよね。日本の土偶や埴輪などもサザビーズのオークションなんかで出てきますが、完品だと2,3千万円しますが、欠けていたり粉々になった物の復元であれば100万円以下で買う事ができます。
今は中世の絵画よりも現代美術の方が高く売買されています。資産家の層がシフトしてきたのと、文脈が分かりやすいからです。NIGOなんかはそういった意味で次世代のコレクター層といえますね。大量生産の時代の中から文脈を作り希少性ある物をピックアップするのがこの世代です。
 
村上隆氏も最近日本美術(特に陶器)を自分の絵を高額で売ったお金で買いまくっています。それも歴代の所有者や作家がスペシャルなものばかり。日本国内では名作陶器は人気ありますが、海外にはまだ絵画ほど知られていません。彼は陶芸の文脈を確立し、対外的に評価を高めていこうと思っていると思います。
ここで紹介した3人ともそれぞれ集める意味が違いますね。
僕はどちらかというと集め方は村上さん的。でも僕の場合は圧倒的にガジェットの世界ですけど。集めている物はNIGO、杉本さんを足したような感じです。
 
現在、特に若い資本家の人達は金融で資産を膨らましていますが、僕はそういう人より儲けたお金でちゃんと文化的価値あるものを集めてくれているこういった人の方がはるかにリスペクトできます。戦前の松方コレクション数奇ものの人達のような文化発信の現代版を担っているからです。
そういう意味で僕がNIGOに期待したいのは系統立てた収集をして欲しい事です。作品は点で価値があるのではなく、文脈にそって何を語るかによってさらに価値を持つのです。20世紀はじめまで世界の美術館は闇雲に収集してきましたが、役割を持った収集を現在ではしています。そして、彼には商業博物館みたいな物を作って欲しいです。そうしたら僕もたくさん寄贈したいと思います。
 

| Collection | 23:56 | comments(3) | - |
FOR STOCKISTS

秋の展示会シーズンが始まりました。今回3回目になる「FOR STOCKISTS(リンクは2007年の模様」のレセプションパーティに行ってきました。
 
1回目はウチの近所のヒルサイド・ウェストで行なわれ、知人だけが合同で展示会をおこなった感じで客足もまばら、商談するにはいい感じでした。
2回目は千駄ヶ谷で行なわれ、出店も規模もやや大きくなってました。時代もあってかクラフト色が強かったのが印象的でした。
 
そして今回の3回目、場所はライト建築として国の重要文化財にも指定されている自由学園明日館の講堂を使って行なわれています。展示会としては絶好の箱です。

展示会の会場としてはかなりアクセスの悪いのにも関わらず、2回目の比べ物にならないほどの盛況ぶり。モノが売れない時代とは思えないほどの関心の高さが感じられました。前回クラフト色が強かったのに比べ、もちろん主催であるN原さんの意向は加味しながらももう少しニュートラルな感じになっていました。今回の注目すべき点は、地方店舗による出店の充実です。昨年同様出店している大阪のdieci、神戸のvi vo, vaから始まり、福岡のOrgan、同じく福岡の小石原ポタリー、デザイン物産展でも選出されていたYen、金沢のC-Brainや岩手のHolz、もはや全国区、大阪のgrafなどその土地土地でデザインを牽引しているようなショップが東京にやってきています。

そういう意味では昨日のエントリーで言った僕の考える「物産展」的な催しです。何よりも、地方でリアルにモノを売っている人の強さをストレートに感じます。

地方から東京モノを探しにやってくるのがビッグサイトで行なわれるギフトショー(もちろん地方出店もありますけど)であるのであれば、全国のスペシャルが買い付けできるのがFOR STOCKISTSな気がします。もちろん出店している地方のお店は地元のいいものもあるでしょうけど、海外買い付けも多い。そんなアイテムでも東京では手に入らない独自の視点で選ばれたものが多いのが特徴です。
 
僕はいつも地方に行く時、別にその土地のものにこだわっているわけではありません。海外仕入れであっても、独自の視点で集められたものにも大変興味を持ちます。(東京に無いものであれば何でも触手が動きます)
 
逆に東京は家賃も高いし、そのためには売れるもの、リピートが効くものと合理化が進み、個性的なお店ってあまり無いような気がします。だからこそ、まったりしてるけど好きで集めたものを売っている地方のお店の方が光って見えます。いつも「東京じゃここまでこだわれないよな〜」と思わせられます。
 
だから、東京に染まらずそのままやってて欲しいです。そして、FOR STOCKISTSの地方店出店のように、東京のお店に卸させてください。また、東京の人を地方に買いに来させる導線を作ってください。東京なんてそんな偉く無いですから。
| Design | 23:33 | comments(4) | - |
デザイン物産展への追記
昨日、松屋の後、三越の地下を見ました。
名前を忘れてしまったんですが、地方の話題のお菓子を集めたコーナーがあります。僕の実家の方で、よく親がオミヤゲとか法事で配るケーキがありました。よくある老舗ものではないのですが、親が良く配るくらいだから地元では話題もあるし、実際美味いお菓子です。また、他のものを見ると地方のお客さんが地元で話題だということで手みやげに持ってきてくれたものや、地方に行った時「ここのお菓子が売れているんですよ」と教えてくれたものとかが売られていました。
そこを見てて凄く楽しかった。なぜならば、老舗の有名お菓子であれば東京にもブース出店しているだろうし、有名だけど話題ではないそういうものではなく、今地元で愛されているお菓子が期間限定かもしれないけどその温度を東京で感じ、入手できる事です。
このコーナーのバイヤーはちゃんとその土地で人気のあるお菓子をリサーチし、メーカーを説得してここで売られていることを感じ、地方にちょっと行って見た目がいいものを選んだだけではないことがはっきりと分かります。
 
僕が物産展が何故好きかというと、そういった地元で話題になっているプリンやらラーメンやら、普段地元でしか味わったり入手できないものが、期間限定で出店しているからです。
 
物産ってそこが重要なのではないかなと思ったのです。
 
「デザイン物産展ニッポン」の書籍のナガオカさんによるあとがきに「地方色を東京的にしたデザイン」に注目したと書かれていました。確かに多くの産業は東京集中になっています。でも、地方が活性化することが本当に「地方色を東京的にしたデザイン」なんでしょうか? 多分そうすれば売り上げは上がると思います。でも、作り手の方には地に足がついていない状態なのでは無いでしょうか?自分たちにその良さのリアリティが感じられなければそのうち考えは破綻するでしょう。
僕はいつも行く物産展、昨日見た三越のお菓子コーナーに「地方色を東京的にしたデザイン」を感じませんでした。パッケージがオシャレなものもあればダサダサなのもある。でも本質ってそんなところでなく、地元の人たちが堂々と自慢できるかどうかだと思うんです。決して東京で話題にして地方に活性化をもたらす上から目線ではなく、地元で人気なものを東京で紹介してさらに活性化させる事のように思うのです。
 
もちろん、すべてが地元人気商品である必然性はありません。地元の人はあたりまえすぎて逆に評価が低いものはあります。特に伝統工芸ってそういうもんだと思います。ある東京のインテリアショップで石川県から来た人が「このお皿いいですね。こういったものってどこから探すんですか?」と尋ねたところ「これ九谷焼で加賀で見つけたんです」と答えたそうです。そのお客さんはまさに加賀からやってきた九谷焼のお膝元の人です。海外に出てみると日本の文化を再認識するように、視点が当たっていないで足下にあるのにその良さに気づかないものはたくさんあります。これを東京の視点(別に東京に限らず客観的に良さが見いだせればどこでもいいのですが)で教える事の方が必要だと思うのです。それはナガオカさんの言葉を借りて言うとしたら「地方色を東京的にしたデザイン」ではなく、限られた人だけが知るものを再認識させ、多くの人に知ってもらう「地方的デザイン」だと思うのです。
 
先日、トークショーの後に「まほうの絵ふで」の校長と話した時にちょっと出た話なのですが、地方に東京化しないで地方の良さをそのまま維持してくれと言うのは都会人のエゴだと思わされることがありました。僕は純粋に地方に行ったらその土地の美味いもんを食べたいと思います。ある意味正当な意見ですが「だから地方は地方っぽくやってればいいんだよ」といっているようなもので、なんという上から目線だろうと「はっと」気づかされました。
でも一方で、地方と都市は同等に見る事が出来るのではないかとも思いました。
それは、地方の伝統を引きずるのではなく、かといって都市の受け売りをするのでもなく、三越で見たoo県のロールケーキとかのように、独自な人気商品を作り、都市と対等な立場になることが可能だということ。それは新地場産業になるのだと思う。
 
僕がお手伝いした山口のDegreeのオーナーは当初、東京から仕入れをする地方の他店と変わらない視点でしかありませんでした。それが、今では地方の様々な作家やメーカーと取引をしています。ここで扱う東京メーカーは東京という地方から仕入れた商品に過ぎないのです。都市に依存せず、独自の開眼をし、自分がお店を出している此処こそ中央だ、と思えたらこんな強い事は無いと思います。オーナーにはまだその気持ちは無いようですが既に「東京にも無いセレクトショップ」になっています。
 
今回の展示にもありましたが、ここのところ地方発信のフリペやタウン誌の編集クオリティが上がっています。新地場産業化しだしています。4月に行った山口で交流した人たちはみんな個々の意見を持ち、バイタリティに溢れていました。こんなエネルギーが有効化していけるなら、きっと地方も独自に進化していけると思います。そして東京は「田舎の商品を紹介してやる」気持ちではなく「oo県で話題の商品が東京でも買う事が出来ます」と変わる日が来る事も案外理想だけでも無いような気がします。
| Design | 06:27 | comments(0) | - |
デザイン物産展ニッポン

今回も飛び込みで銀座松屋で行なわれている「デザイン物産展ニッポン」へ行ってきました。
 
昨日のトークショーもそうでしたが、地方とデザインについてはとても個人的にも仕事的にも関わっている事もあり、興味がある題材です。結構強行なスケジュールでしたが見ないわけにはいきません。
 
催事場の半分だったので、そんなに大きなスペースではありませんが、最終日なのかかなりの人でごった返していました。そして、学生さん風の若い人が多かった。
ココカラハジマルさんのブログでも書かれている通り、入場料800円は高いと思います。
それが、ipodやiphoneのプログラミング費用や施工費の反動であるなら、僕はもっと違ったやり方をしてでも入場料を安くするべきだと思ったのですが、見た目のかっこよさはやはり必要だったのでしょうか?
それでもこれだけの人が集められる力と注目の大きさがうかがえます。
 
はじめ、デザイン物産展という響きに僕はとても抵抗を感じました。世の中のデザイン携帯、デザイナーズマンションみたいな、デザインなんちゃらという間違ったデザインという言葉の使い方と何ら変わりないと思ったからです。それはデザイナーが有名無名、もしくは匿名であろうと、無かろうと誰かがデザインはしているわけで、特定のものだけ「デザイン」を付けるのはおかしいからです。この展覧会(物産展)にあわせて発売された書籍(カタログ)を買ってウチで読んでいたら、ナガオカさんのエピローグにその事が触れられていました。やはり、当初はコミッティのメンバーの方々も抵抗があったようですが、ナガオカさんが説得。でもどうしても会場を見ても、その文章を読んでもデザイン物産展という言い方の違和感が拭えるほどの説得力はありませんでした。
 
入場料やらネーミングやらで長々と話してしまいました。本展にうつります。
 
僕はあまり物産展という感じはしませんでした。やはり展覧会といった方がいいと思いました。
展示は統一サイズの展示台に5つのカテゴリーで置かれています。
1.伝統工芸 2.伝統にデザインを加えたもの 3.デザインで販促した食品類 4.デザイン的な活動や施設 5.タウン誌や地元のフリーペーパー
すでにインテリアショップなど、デザイン志向の強い都内のお店でも置かれている伝統工芸品やデザイン工芸などもありましたが、知らないものもあり、また会場で説明しきれない部分(制作行程や背景など)をipodやiphoneを使って解説する所はモノを知るという意味でも、展覧会の方法などにおいても勉強になりました。あらためて、地方のこういった物事を知ってみたいと思いました。

ただ、僕はこの展覧会の最終的な意味がどこにあるのかという疑問点が生まれました。
デザインに興味ある人にとって、この展覧会は地方とデザインの関係性や最先端の状況を知れた良い機会だと思います。僕を含めて。こんなに多くの人が来ているのもデザインというフックがあったからだと思います。しかし、俗に言う物産展に来るような人たちに(限りなくデザインという認識を持っていない人たち)はより多く見てもらえたでしょうか?僕はそう思わなかった。であるなら日本全体でみると、マニアックなデザインマニアおよびファンが集まったイベントに過ぎないのではないかと思ったのです。有る一部の人たちの認識を変えても、それが地方の認識を変えるようなムーブメントになるかといえば、僕はならないと思います。
 
また、これは人それぞれのやり方なのでこの展覧会が間違っているわけでなく、僕個人の希望としてなのですが、デザイン物産展を始める前にやっておかなくてはならない事があるのではないかという事です。
 
具体的に言うと、地方にはまだまだ知らない工芸品があります。その中には伝統工芸でありながら埋没してしまい実際売れていないものもあります。ある時期からメディアの取り上げ方が変わった事が1つの要因にあると思います。ですが、地方の人はデザインが今らしく無いのが売れない原因と考え、有名なデザイナー、もしくは今風のデザインに変えることによって売れるようにしようと考えている所が多々あります。僕は地方に行って工芸品を発見した時に、デザインを変更したものよりも、伝統工芸から脈々と続くデザインのほうが魅力的に感じる事がよくあるのです。ということは、もともとあったデザインが問題ではなく、それの売り方や見せ方、告知の仕方が問題だったのではと推測するのです。実際、今回の展示でもデザイン工芸より伝統工芸の方がいいじゃん。と思ったものも多かったし、実際、僕が買った物も上の写真の沖縄の伝統工芸のお皿でした。
だから、僕はデザインを一新して新しい風を地方工芸に吹き込んで成功したものを見せる前に、僕たちが知らないけど素晴らしい伝統工芸を見たいわけです。これを見せた上で「伝統工芸もちゃんと認知されればこのままでもいい」として売り上げを上げる事はできるのではないでしょうか?それでもやっぱりダメだった場合はデザインを一新しすればいいと思います。
だからまず、今まであった工芸品がどういうふうにすればよく見えるか、今の生活に馴染ませられるか、欲しくなるかをデザインして(会場構成やコーディネートなど)その良さを再認識させるイベントが必要だと思ったのです。
 
もう1つ。実は僕は物産展が大好きです。妻にも言わず一人でイートインコーナーで食べに行ったりします。買ってきたものがその日の夕食になることもあります。ウチは渋谷駅が近いので、東急東横店で4日から始まる九州物産展も楽しみです。物産展のいいところは作り手、もしくはそれを作っているメーカーの方から直接、背景を知る事が出来ることです。そして、試食・試飲、手に取って持ち具合や使いやすさを試してみる事も出来ます。ごちゃごちゃしているところも楽しいし。
 
今回の展覧会で物産展と名乗るんであればそういった物産展と展覧会の違いを明確にし、物産展そのもののもつ魅力を引き出して欲しかったと思います。この展覧会では展示台に下げてある商品カードをレジに持っていけば買えるようになっていましたが(閉場間近だったので、ほとんど売り切れていて残念でした)実物は触る事が出来ないとは酷い(FORMさんも同じ所を指摘しています)。タウン誌などはカフェのところの壁にサンプルがあって読む事が出来ましたが、うまいかどうか分からず食品は買えないし、使い勝手が分からなくてモノは買えません。それこそデザイン(食品の場合はパッケージ)がいいんだから見た目で買えよ!と言われているような感じを受けました。
 
そして特に食品に感じたのですが、それらの食品の良さとして打ち出しているのはラベルやパッケージなどのグラフィックデザインでしかないということです。売るためにはそりゃグラフィックは重要な部分です。でも、それ以前に中身が重要です。目に見えないとしても本来のデザイン(食品そのものの工夫など、例えば台風で落ちてしまったみかんを使ってお菓子を作っているとか)を打ち出すことが前提ではないかと思ったのです。
 
今回の展示のためにオファーのあったある食品のメーカーの方で、展示を断った人の話を聞きました。断ったのは展示をしたいそもそもの理由がそのパッケージだったからです。作り手にとっては味など食品そのものを丹誠込めて作っており、パッケージはその付属品です。本人も中身がいいから売れていると自負しています。でも、会場では中身は見せられず、パッケージの美しさを評価の対象としています。もちろん多くのメーカーさんは百貨店で多くの人目にさらされ、売り上げが上がればそれでよしとすると思います。でも中には必死で作った本意以外の所を評価されても嬉しく無い人もいるでしょう。
 
そして、ipodやiphoneを使ったガイド。見せ方と言う意味では大変参考になりました。でも、僕は作った人やスタッフの声を聞きたいです。インタラクティブと言えども、機械では一方的に主催者側の伝えたい事だけを聞かなくてはなりません。でも生の人間だったら、話し方から伝わる愛情や、こぼれ話、何よりもこちらから質問し、それに答えてくれる相互関係のコミュニケーションが成立することは大きいと思います。丁度同じフロアでやっていた別のイベント、スカンジナビアンデザインの即売会が出店者の対面販売だったのでそれを凄く感じたのです。
 
思った事を正直に書いたので「じゃあ、お前がやれよ」と言われたら出来ない部分や組織や人とのやり取りが困難で折れてしまう事もあるとは思います。そんなことを棚に上げて言っているのは重々承知しているのですが、ナガオカさんだからハードルを上げて期待しているのかもしれません。
僕は地方の活性化も大事だし、ロングライフも大事だし、多くの部分でナガオカさんに共感していますが、本業の広告屋さんの部分が見え隠れ(見た目先行やキャッチコピー先行)することをたまに感じます。僕も同じ方向に進んでいる身として、自分を問いただす意味としてもこれからも批判的共感をしていこうと思っています。
| Design | 23:03 | comments(5) | - |
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