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A380

2006年、カンタス航空はエアバス社の2階建てスーパージャンボ「A380」の購入を決定し、カンタスのクリエイティブ・ディレクターであるマーク・ニューソンが内装を手がける事を発表しました。
 
そして2年、カンタス社は本日マークの手がけた内装と、今年10月からロス・アンゼルス=メルボルン、ロス・アンゼルス=シドニー間を就航することを発表しました。
ちょっと遠回りしてでも乗ってみたい。
上の3つの写真がそのマーク・ニューソンによるカンタスA380の機内。
 
A380は3年ほど前にイギリスのヒースロー空港で原寸大の模型が展示してあって中を見る事が出来ました。2階部分も客席にして倍の乗客を運ぼうということではなく、その時の模型は2階はバーとプレイルームになっていました。
そして昨年10月、毎年恒例になった神戸NOTAM主催のオランダツアーの当日、関空にシンガポール航空のプロモーションフライトで偶然にも日本に来ていたようです。(僕は残念ながら見れなかったんですが)参加メンバーの中にはA380見たさに5時間前からやってきている人もいました。
成田便のシンガポール航空では既にA380のフライトが始まっているようです。
カンタスも来年1月からはチャンギ(シンガポール)=シドニー間をA380で就航するそうです。
 
ちなみにシンガポール航空の2階部分実機はこんな感じ。ファーストクラスシートとバーがあります。

80年代のカフェバーみないな感じがシンガポールっぽい?
 
あまり飛行機の事を知らない人のために説明すると、世界の旅客機のほとんどがアメリカのボーイング社とフランスのエアバス社によって占められています。
例外も有りますが大雑把に言うとアメリカ系はボーイング、ヨーロッパ系はエアバスが多い。日本はエアバスからも買っていますが、メインはボーイング社。

航空競争は昔からヨーロッパ vs アメリカの図式になっていました。
1番有名なのが40年くらい前のフランスのエアロスパシアル社(エアバス社はこの会社が立ち上げた)とボーイング社の開発競争。1969年、宇宙ロケットの開発などを行っていたエアロスパシアル社は高速旅客機「コンコルド」を発表します。この頃のヨーロッパは如何に目的地までの時間を短縮できるかを目指していました。鉄道で超特急が成功したからです。
このプレゼンテーションでブリティッシュ・エアウェイズ(イギリス)、ルフトハンザ(ドイツ)、ブラニフ・インターナショナル(アメリカ)、エールフランス(フランス)、JAL(日本)などがコンコルドの購入に名乗りを挙げます。購入のデモとして名乗りを挙げた国へ試運転をしました。(日本にも72年に来ています)
同時期にボーイング社も高速旅客機を開発していましたが、エアロスパシアルに先を越され、方向を全く変えます。速さではなく安さに。機体を大きくし客席を増やすことで、航空運賃を下げるということでした。そして747(通称ジャンボジェット)と呼ばれる航空機を発表します。
70年代、時代は安さを求めていました。多くの会社はコンコルドをキャンセルし、ジャンボを選んだのです。
この40年このとき以上の画期的な航空機開発はありませんでしたが、9.11以降の航空業界の再編や自由化による民間会社の参入などによって業界は劇的に変化してきました。
ちょっと前までイギリスからミラノまで2000円なんて言ってたと思ったら、とうとうイギリスではタダで海外旅行が出来てしまうまでになってしまいました。(このところの原油高により1ポンドになりましたがそれでも安い!)
アメリカではユナイテッドでもアメリカンでもデルタでもなく、ジェットブルーという格安航空会社が既にアメリカ航空業界を席巻しています。
日本の航空会社のように10000円を切らないこともおかしい。でも、徐々に日本にも民間の激安航空会社がやってきます。その時JALやANAは生き残れるでしょうか?
 
この業界再編の流れを受け、40年ぶりに画期的な航空機の開発競争が始まりました。
その開発で登場したのがエアバスのA380です。ボーイングも747Xという大型旅客機を開発していましたが9.11で頓挫、その後、高速で燃費のいい航空機にシフトし787を発表しました。ただ、これは開発段階で将来には音速で飛びかつ燃費がいい航空機で対抗していくようです。
僕は787に乗りたくて、昨年メキシコに行く際にわざわざ遠回りしてエア・カナダのトロント便に乗りました。搭乗日が初の就航だったんです。かなり気に入りました。機内の照明変化がリラックス効果もあって良かったです。
 
この新しい航空競争はどちらの会社に軍配が上がるでしょうか?
とりあえずA380に乗ってみたいです。
 


| Design | 23:45 | comments(0) | - |
gg Lock Art Festival

週末の30日と31日、横浜のBank Art Studio NYKでggのラストイベント「gg Lock Art Festival」が開かれます。(参加アーティストやスケジュール、入場方法など詳しくは「」内をクリックしてください。)
 
31日の17:00から僕の進行により、BluemarkのK地さん、北海道のアート教室「まほうの絵ふで」のH田校長の三人でトークショーをおこなう事になりました。
テーマは美術、地方、教育です。今らしい、そして僕自身も大きく興味のあるテーマです。
下打ち合わせ無しのぶっつけ本番セッションなので、どんな話が出るのか喋る方も楽しみです。
 
このイベントで特に同じ日の13:30から行なわれるカリスマ結婚カウンセラーD達さんのトークショーが気になっています。
最近、インターネットの結婚相談が多くなっています。会社にもよりますが、大体のネットの結婚相談所は入会金を支払い、希望に合った人のデータを入手出来ます。そして、成功・失敗に関わらずその都度報酬を支払います。
また、今まで多かったリアルの結婚相談所はこれも会社にもよりますが、入会金を払い、お見合いをし、成功した時に報酬を多く取る方法を採用しています。
この仕組みで気づきませんか? ネットの結婚相談は失敗すれば失敗するほど再チャレンジになり、その都度報酬を払うので、上手くいかない方が儲かるのです。
 
それでデータ。パーセンテージは忘れてしまったのですが、初対面の希望の人と上手くいく可能性は数%(10%以下)だそうです。大抵、理想の人と一緒にいたい人が違うそうで、ネットの場合、理想の人とだけ組み合わせられるので、毎回初対面の希望の人と会うという事は、常に数%という確率のお見合いをさせられるわけです。ってことは、ネットだとほぼ上手くいかない。=会社はがっぽがっぽ儲かるという図式です。
一方、お見合いで会う事は仲介人が日頃のノウハウを駆使してお互いの接点を見いだすやり方を採用しているので、成立する確率は10倍になるそうです。
D達さんというのはこのお見合いで数千人(だったか)を結婚させたというまさにカリスマなのです。
15年近く前、僕がインターネットをやり始めて現在を見てみると劇的に便利になりました。物理的なものは大体ネットでどうにかなります。ただ上のようなデータを見てみるとネットではどうにもならないことも多々あります。
僕もアナログ時代からこの前紹介したようなデータ収集を行なっていた関係で、ネットでは到底見つけられない情報を今でも入手出来ます。たまに情報が欲しくてグーグルで検索しても1件も出て来ない事が多々あり、まだまだネットが未熟だと思う事があります。いつも考えるのがこの感性をネットで検索する方法はないだろうか?ということです。でも、もしかしたらその部分は唯一リアルで体験するために残されたものなのかもしれません。人間の脳はコンピュータがいくら頑張っても追いつかないように、体験という部分には未知の可能性が広がっています。
 
カリスマ結婚カウンセラーもその男女の心理を人より多く知ってしまった職業です。僕は無意識を意識的に探求しています。だからこそ、こういった職業の人たちの仕事や考えが凄く興味があるのです。
| Art | 23:15 | comments(0) | - |
家政婦は見た

僕はフェルメールの絵を見る度に「家政婦は見た」と思ってしまう。ある日常の一瞬を切り取ったような場面構成。きっとフェルメールが使っていたカメラオブスクラが覗き見ている感覚を与えているのだと思うけど。

16世紀末にオランダがスペインから独立し、17世紀はじめには東インド会社が設立。オランダが最も繁栄していた時代にフェルメールは生まれている。でも、フェルメールは借金地獄だったようだ。彼の家には一枚も絵が(財産が)無いといわれ、フェルメールの死後すぐに奥さんは破産申し立てをおこなっている。
そんなフェルメールの時代に流行った絵画が風俗画でした。昨年、国立新美術館で行なわれた『フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展』同様、この時期はそれまで主流だった宗教絵画やパトロンのための肖像画以外に、一般市民の女性の生活場面をモチーフに描く事が多かったのです。オランダはプロテスタントが多く、質素で慎ましい生活を美徳としていました。良き妻は勤勉で清潔でなければいけない。こういった道徳の押しつけのように良き女性像が描かれ、一般家庭に掛けられて日々戒めていたようです。なので、フェルメールの絵も比較的掛けやすい小さいサイズが多いです。20世紀はじめ、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」が海外に流出しそうになった時も、国費で買取りそれを防いだ逸話があります。「牛乳を注ぐ女」こそ勤勉で清潔なオランダ女性の理想像であり、オランダの美学と絵画がシンクロしていたのでしょう。それにしても、オランダは古くから国家予算の中にアートが入っています。こんな国に日本が芸術でかなうはずがありません。
 
そんなことで思い出したけど、オランダと日本の貿易が始まって400年だそうで、今年と来年はオランダ年としていろいろ行事が行われるそうです。
貿易と言えば18世紀はじめに書かれた「ガリバー旅行記」の中で、実在する国としては唯一日本が出てきますが、ガリバーはオランダ人にやっている踏み絵を免除してくれと皇帝に頼み込みます。それは江戸時代の鎖国でオランダ人と貿易していたわけですが彼らはクリスチャンにも関わらず、貿易(金)のために踏み絵を堂々と行なっていたことを痛烈に批判しています。
フェルメールが亡くなる頃にはイギリスとの何度かの戦争で相当国力が衰退して、イギリスに天下を取って代わられます。その後しばらくはイギリスに相当酷いいわれようだった事がわかります。
 
フェルメールを含め、オランダ絵画の良さはライティングにあります。
ホントホルストヤン・ステーンレンブラントなど。彼らは光と影を絶妙に扱っています。特にフェルメールの窓から差し込むやわらかい光は平地のオランダ独特の日差しの角度です。(普通より低い)

ゴッホはだからこそアルルの強い日差しに憧れたのだろうし、モンドリアンは地平線まで続く運河や道を平面的に捉えただろうし、コントロールされた水の流れによってエッシャーは不思議絵を思い浮かんだのでしょう。
いつの時代も、風土や文化が生み出されるアートと密接に絡んでいる事を感じさせます。
 
東京都美術館では今、フェルメール展をやっています。過去最高の7点見られるそうです。会期中には行ってみたい。
| Art | 23:06 | comments(0) | - |
Natalia Lafourcade

妻が先日ディスプレイをやった原宿Lampの8周年パーティに妻のお付きで行ってきました。
 
昨年夏、僕たちはメヒコ(メキシコ)へ行き、その前から雑誌コラムで僕は現代メキシコファッション&ライフスタイルとしてメキシコ発進の雑誌「Celeste」やその姉妹誌「Baby Baby Baby」などを紹介してきましたが、日本でもようやくその良さがじわじわと浸透してきているようです。上記の雑誌もタワレコやこのLampでも販売されるようになりました。
ここんところのガーリッシュ、フォークロアなどの流行要素がメヒコ文化への注目に繋がっているようです。
Lamp8周年のイベントとして、Alejandra Quesadaというこれまたガーリーなファッションアーティストの個展が明日から9月末まで行なわれるようです。
僕個人が思うに、最近フランスやイタリア、イギリスなどファション先進国よりも、メヒコ、ニュージーランド、オーストリア、フィンランドあたりのファッションやカルチャーが断然面白い。先の先進国がつまらないわけではないけど、ある程度予測出来る範囲であることは確かで、メヒコなどの国では何が起るか分からないのと、ローカル感をハイモードに残しているのがいいんだと思います。
 
で、このパーティではメヒコの女の子ミュージシャンNatalia Lafourcadeのミニライブが行われました。アコースティックギター1本で歌う、そのラテンの明るさを持ちながらもどこかノスタルジックで、乾いた空気感を持っていて、AppleのCMでも注目されたファイストケイト・ナッシュやジャンルは違うけど曲によってはノラ・ジョーンズ大城蘭、サルコジ仏大統領夫人のカーラ・ブルーニとかに通じるものがあります。どちらにしても今の雰囲気にあったミュージシャンといえるでしょう。
ミニライブは英語のものが多く、僕としてはスペイン語の曲をもっと聴きたかったです。彼女はこれから9月の上旬まで日本ツアーががあるそうです。
 
ちょっと涼しくなってきたけど、夏の夜長にぴったりのいいライブが聴けました。
| Culture | 23:15 | comments(6) | - |
PEN DESIGN AWARD
毎年恒例のPen Design Awardの審査員として編集部に伺いました。
Pen編集部の選定したものの批評と個人的に選出したものを発表するのですが、正直今年は難しかったです。
 
昨年は編集部から具体的なものが提示され、それについてどう思うか質問する形式がとられたのですが、今年は特に漠然と、注目すべきデザインはありましたか?と聞かれるような進め方で、なかなか全体がとらえられない。もちろん、今年(厳密にいうと昨年10月以降)もデザインが生まれていないわけではないと思う。ただ、小粒な気がするのは僕だけでしょうか?
 
昨年のAwardを振り返ってみてもやっぱり小粒なことに気づきました。(アート&デザインなど現象としてはニュースはありましたが)ということは僕自身の意識自体が変わってきたのかもしれません。
デザインの善し悪しは主観を含めていくらでも言えるけど、そんなことよりも社会に何か影響があったかを見なければ本来のデザインでは無いとも思います。
 
最近、デザインという言葉が消費されていると言われています。デザイナーズマンションやデザインで彼氏を選ぶとか。まあそういう部分もありますが、僕はデザイン自体の目的が変わってきているのだと思います。
冷蔵庫が無かった時代は有るようになった生活と比べて劇的に変化したでしょう。その頃の目的は「生活の向上」だったでしょう。「生活の向上」したこの30年くらいは「利益のため」だったかもしれません。これがあったから日本は世界のNo.1になれたのと、需要はあったから悪かったとはいえません。でも、ここ近年は作っても利益は上がらないし、供給が需要をはるかに上回ってしまった。それと同時に環境がどうだとか言われるようになったし、世の中は変わろうとしています。
 
20世紀初め、ドイツ工作連盟が出来て日用品とデザインが結びつき産業を活性化する方向になって約100年。あの頃とおなじようなドラスティックなデザインにおける社会改革が求められるようになっています。
それが最近多いアート&デザインかといえば違うと思います。当時イギリスで起っていたアーツ&クラフツ運動やアールヌーボーなどの運動もアート&デザインだったわけで、世の中がひっくり返るような現象は起らなかったし、結局高価で金持ちのための特権のようなものになってしまった。
 
この100年前の運動を見ていると面白くて、ネオプリミティズムやシュプレマティズムみたいなアート運動は現代の内向的感情の芸術(建築や美術、音楽)にもリンクするし、フォークロアや様式回帰なんかにも結びつく。もう少し後に起る民藝運動なんかも、今同じような流行が起っているし。(本来民藝は名も無き雑器を評価しようという運動だったのが、知らないものを我先に発掘してくる身内だけのコミュニティ自慢大会に近くなり、さらには作家性を見いだしてしまい崩壊した。この詳細についてもかなり似ている所が見えます)
ということはバウハウスのような100年続いた概念の新しいものが登場するのだろうか?それはもはや形有るデザインで無くなっているかもしれませんが。
 
そんなとりとめのない話を4時間もしたところで、次へ
ゲリラ豪雨と言われる局地的な集中豪雨の中、西麻布に先月出来た予約の取れないレストラン「HOUSE」へ。
最近流行のココット料理を中心です。僕は2回目ですが、個人的には蒸し焼きの温野菜、熊本の走る豚(放牧してストレスの無い)、こういったココット料理の煮汁でつくったリゾット、そして最後に熱々のスフレといったココットの良さを十二分に味わえるコースが定番となりつつあります。
このお店、CIBONEが経営していますが、この店の内装は古材や無銘の家具を使い、いわゆるデザイン的ではありません。この辺が極めて今っぽい。内装はデザイナーズとアノニマスを巧みに操るJamoというとうなづけます。
まあ、これも流行だと思いますが、デザイナーズの感性がピシピシ伝わってくる空間よりははるかに落ち着けます。デザインもその辺が変わってくるのかもしれません。

来年のアワードにはそういったこれから100年を担うようなデザインが登場するのでしょうか?
| Design | 23:39 | comments(0) | - |
スカンジナヴィアン・ハイブリット

昨晩夜中まで準備した伊勢丹新宿店5Fインテリアフロアでのイベント「スカンジナビアン・ハイブリット」が始まりました。Glyph.としてオーレ・エクセルの商品を、その隣ではウチの妻のWonder Travelling.comが北欧のヴィンテージ雑貨を出店しています。
上の写真はGlyph.のコーナー。照明を消されての準備だったのでちょっと暗いんですが。
 
ネーミング通り、北欧雑貨などが中心になっていますが、日本やアジアやロシアやらとのミックスしているアイテムもあるようです。
そんなに告知に力も入れていなかったのと伊勢丹とはいえ、インテリア階って人気が無さそうなのであまり期待をしていなかったのですが、特に妻は初日で20%くらい売れてしまったようです。恐るべし伊勢丹。


これは隣のWonder Travellingのコーナー。アラビアのジャムポットのシリーズやデンマークのスーパー「Irma」のヴィンテージオリジナルグッズなども売ってます。

collexやらビオトープキコなどなども出店してます。9月9日までやっているそうなので、是非ご覧ください。
| Design | 23:23 | comments(0) | - |
日本ファッションとカルチャーの分断

先日香港のハイモードファッション雑誌「Milk X」に受けたロングインタビューの掲載誌が送られてきました。第2特集でインテリアを取り上げていたからです。
この特集では僕と香港で1番人気のあるインテリアショップDentroの美人オーナー、Winnie Maの2人のインタビューが掲載されています。
 
今までも香港や台湾の雑誌や新聞に取材を受けたけど、大体軽いものが多かった。2002年に僕のコレクションの展覧会を香港でやった時も、パーティには香港のトップミュージシャンやら人気俳優やらが集まってきました。それはギャラリーの仕込みで、担当の人に聞いてみると「香港ではあまりカルチャーに興味を持つ事は少ない。カルチャーを啓蒙していくには仕込みで芸能人を呼んで、媒体に取り上げてもらい、引き込むしかない」ということでした。僕の紹介のところにも、BRUTUSとかいかにも香港の人も分かるような雑誌で連載などをしているという部分がとりだたされていました。(日本もワイドショーに取り上げられて動く事を考えると大差ないですが)
地元のCream Magazineでウチの特集をしてもらった時に、編集者の人に、香港雑誌でカルチャーを扱ったものはどこに売っているのか尋ねたら、Cream以外でほとんど無いよ。と言われた。その頃既に日本文化は相当香港にも浸透していて、時差が全く無いくらいファッションなんかは浸透していましたが、カルチャー面では差は大きかったのです。それが2年ほど前から香港のMilk Magazineで始まった僕の連載とか徐々にカルチャーも浸透し始め、もしかすると既に日本を追い越しているかもしれない事をMilk Xなんかを見ているととても感じます。
 
インタビューは「所有しているもので一番高いものは何か?」とか下世話なものもあるかと思えば、「日本のインテリアの諸問題とは?」なんていうちゃんとした質問もあったりします。どちらにしても、私たち(編集者)が興味があるこのカルチャーの深層をもっと知りたいという気持ちがひしひしと伝わってきます。この前から言ってるけど、結局は好奇心が編集の根底に流れていなくてはならず、そういう部分を感じます。だからこの数年で急激にカルチャーが発展してきたのかもしれません。
 
たまに日本のカルチャーはファッションやデザインやアートがバラバラに動いているのを感じます。諸悪の根源はファッション界にあるような気がしています。
僕は流行通信で連載していましたが、ファッションの世界でカルチャーは必要ないとかカルチャーでは飯は食えないとか言う話を良く聞いていて、流通でもそういったカルチャーを扱うと出稿が少なくなる風潮にあったようです。何でカルチャーが関係無いのか理解出来ませんでした。
 
また、ファッション系のパーティに招かれていくと、独特の閉鎖感を強く感じました。なんかオシャレ至上主義で、オシャレじゃない人は見下げる風潮があります。オシャレと言っても、結局見た目だけで、それもダサイと思われないように頑張っているところがひしひしと伝わっていて、僕からしてみたら逆にかっこ悪いと思ってしまいます。
 
その最たる話をある編集者から聞いたのですが、日本を代表する超有名スタイリストが、編集部にあったジュリアン・オピーの作品集を見て「これって、わたせせいぞう?」と言ったそうです。
 
ファッションに対して最先端を啓蒙する立場の人間がオピーくらい有名なアーティストを知らないのに愕然としました。今、世界のファッション界はアートの方向に行っていて、プラダなんかはダミアン・ハーストのパトロンをやっていたり、シャネルは先日、モバイル・アートを凱旋したし、トム・フォードなんか自腹でイームズやロワイエの展覧会を開いたりしている。デザイナーはみんなカルチャーに興味を持ち、そこからインスピレーションを得てデザインをしているのに、日本の業界の人はその部分を全く理解していない。せめて自分が売っている、リスペクトしているデザイナーのカルチャー的発想まで理解して欲しいと思います。ある人は日本のファッションメディアは3年遅れていると言っていました。僕も打ち合わせなんかをしているとリアルに感じる事があります。ファッションは最先端(躍らされているだけかもしれませんが)なのに、どうしてそのファッションなのかは理解出来ていない。もっと視野を広げて欲しい。
そういう意味では良くも悪くも裏原系の人たちはカルチャーも普及させてきたと思います。ただ、それに続くクリエイターはほとんど現れていません。
 
香港はやっぱり裏原系によってあか抜けてきました。そしてカルチャーにも関心を寄せちゃんと雑誌で因果関係を結ぼうとしています。このままいくと近い将来日本のモード界は崩壊してしまう危うささえ感じてしまいます。
| Culture | 23:57 | comments(4) | - |
901

ドイツのヴィトラ・ミュージアムから来客がありました。日本のデザイン事情などから、ヴィトラのコレクションを使って、どういうキュレーションをしたらいいかなどの話が主な内容でした。日本は良くも悪くも流行をみんなで乗っかる傾向があるため、日本の流行を見ると世相を理解しやすいんだそうです。
まず驚いていたのが日本のエコ過熱ぶり。もちろん世界中で環境問題に関する意識は高まっている事は事実ですが、実際表面化した動きはあんまり見られない。先月アメリカに行った時も、エコなんてことは街でもテレビなんかでも見る事はありませんでした。それと俗に言う「ほっこり」系インテリア。これも世界でローカルブームやフォークアートが注目されていないわけではありませんが、デザイン市場なんかもちゃんと同時に動いています。これだけ一つの物事だけで動くのは日本的な傾向だということです。
 
僕が、ヴィトラに期待したいのは世の中に見えていない部分をもっと見せて欲しいということです。ヴィトラというとほとんどの人が椅子のコレクションを思い浮かぶでしょう。もちろん、椅子のコレクションはものすごい量があります。その椅子だけでも世の中に公開されているのはほんの一部、残りは倉庫で保管されています。
その中でも特に見てみたいのが901の再現。901とはLAのヴェニスにあったイームズ・オフィスの番地です。80年代末、この901は耐震工事をやっている最中でしたが、レイ・イームズがその時期に亡くなり彼女の遺言通りオフィスを解散し、オフィスの備品などを全て3つのミュージアムに振り分けて寄贈したのです。その中で最も重要な備品がヴィトラに寄贈されました。ヴィトラの地下室にはこの901の全くそのまま再現した部屋が存在します。(上の写真のように廃材屋から集めてきたアルファベットの看板とか、新聞の切り抜きなんかを壁中に貼っていましたが、その位置も忠実に再現されています)一つ前にも書きましたが、僕は見た事も無いものを見てみたいという好奇心がとても強い。イームズの椅子は僕自身集めたし、座ったし、大抵のプロトタイプも見てきました。僕はイームズがどんな凄い作品を出したかということよりも、どうしてこんな椅子を作ったのかが知りたい。901を見ていると無作為に壁にちりばめた新聞記事や写真でさえ、そのセンスの良さを感じます。それよりもなによりもその貼られたものが何なのか?実はそれがインスピレーションの源だったりしてもの作りの根源を感じたりします。ランドスケープのN原さんをはじめ、目黒マイスターのOB、OGが必死にあのソースを理解しようとしていたことがとてもよく分かります。
 
僕はそんな展覧会をやって欲しいと思っています。デザインとは何か?発想の源とは?イームズの椅子を観察して若いプロダクトデザイナーの卵が勉強するのもいいけど、もっとその奥にあるものの洞察力を養って欲しいと思います。
あと、ジラルドが中心になって手がけたNYにあったメキシカン・レストラン「ラ・フォンダ・デル・ソル」の内装もまるまるヴィトラに寄贈されています。ジラルドのサンタフェにあったプライベート作品やプロトもすべてヴィトラにあります。
ジャン・プルーヴェのかつて経営していた工房、アトリエ・ジャン・プルーヴェ(MOMAで今、展覧会をやってます)の備品もここにあるのです。また、ヴァーナー・パントンは晩年かなり落ちぶれていたので、ヴィトラからディスプレイの仕事をもらっていました。そして自分の試作品などを小出しに売ってはお金に換えていました。そのようなコレクションは今までほとんど世に公開されたことがありません。
 
2年前のアムステルダムツアーで行った「エア・ワールド」も飛行機のシートから空港の設計、航空会社のバッグやポスター、パンフなんかの紙ものなど豊富な展示品でした。これらはすべてヴィトラのコレクションです。こんなヴィトラの底力を見せて欲しいと思います。
 
来年のバーゼルでヴィトラはヨーロッパの某超有名建築家にラーメン屋台を作らせるそうです。都市計画と同じくらい屋台は最小の建築としてみんな興味があるそうです。
ヴィトラの件は今後進展があった時に再度お話ししようと思います。

そういえば、もうじきヴィトラでジョージ・ネルソンの展覧会がはじまるそうです。彼は今年生誕100年になります。最近僕自身もアメリカのデザイナーに再注目しています。
| Design | 23:50 | comments(0) | - |
トークショー
アートディレクター、A木克憲さんのお店Shop btfで僕のトークショーを開催しました。パワポ用の写真データを100点ほど集め、幼少時代からの僕の遍歴を紹介。何も考えず100点も集めてしまったため、1点につきコメントが1分少々。結局写真の説明で終わってしまったように思っています。点数を少なくしてももう少し話をした方が良かったかと反省しています。また、小さい頃からやっているスクラップも自宅にあるものしか紹介出来ませんでした。もっと面白いものがあったと思うんですが、それはまた別の機会に。
 
ということで、トークショーでしゃべったこととその補足をちょっと紹介しようと思います。
 
僕はこどもの頃から好奇心が強く、今の推進力もそれがあるからだと思っています。
幼稚園のお絵描きの時間にその頃見ていた「寺内貫太郎一家」を描いたり(ただ登場人物を描くだけではなくて、その上には脚本や演出などのスタッフクレジットを入れていた)、もう少し子供らしい絵だったら、恐竜とか(これもただ知っている恐竜を描くのではなくて、恐竜の生息時期と場所を正確に設定して)、深海魚とか、結局の所見た事も無いものに非常に興味を持っていたのです。知りたいがために幼稚園児では見ないような学術書などを読みあさったりもしました。先生に「もう少し子供っぽい絵を描きなさい」と言われショックだった記憶があります。小学校のときもそうだったけど、学校っていうのは(社会もかもしれないけど)個人の持つ好奇心を潰していわゆる「フツウ」の子を育てるんだなあと当時からリアルに感じてました。唯一助かったのは家族が拒否反応を示さなかった事。認めていたわけではなかっただろうけど、放って置かれたのは僕には都合が良かった。
あと、親にはいろいろ買ってもらえました。顕微鏡や天体望遠鏡、解剖用の器具など。見た事も無いものを見るのが僕の好奇心。目には見えない微生物や細胞、宇宙、生物の内蔵など、結局好奇心を満たすための道具を提供してもらいました。この頃親は僕の将来を科学者か医者になるものだと信じていました。
 
またこの頃ですが、ビートルズのLet it beを聞いていて、同じ曲なのにアルバムとシングルで違うメロディだということに気がつきます。何故? そこで好奇心がはたらき、調べていくうちにアルバムはフィル・スペクター、シングルはジョージ・マーティンがプロデューサーで、その人のアレンジによって音が変わるという事を知りました。さらに、もともとLet it beというアルバムはGet Backというアルバムでリリースされる予定で、アルバムの内容も曲のアレンジも全く違うという事を知ります。そしてそれには人間関係のどろどろした深い訳があった。多くの人がそうだと思うんですが、ちょっと興味を持った事が数珠つなぎのように発見が次々に繋がっていくと凄く楽しくなります。その感覚が楽しくて、次から次へと興味を持っては掘り下げていくという作業の楽しさをやめられなくなりました。
僕はこの気持ちをとても大事だと思っていて、多分人間が「学びたい」という根源的な欲求はこんな事から起るんだと思います。今の教育の中に忘れられてしまっているもの。今の勉強も角度を変えるだけで、興味をそそるようになると思うんですが。
僕にとって見た事も無い恐竜や深海で生きる生物に興味を持つように、表では見えない関係者や人間関係も同じレベルで好奇心を刺激したのです。
 
こうやってスタッフクレジットを注意深く見るようになるのですが、例えばはっぴいえんどのラストアルバム「HAPPY END」のプロデューサーがヴァン・ダイク・パークスだったことからビーチ・ボーイズの幻のアルバム「SMILE」のプロデューサーをする予定だった事を知ったり、ビートルズの俗に「ホワイトアルバム」のプロデューサーがクリス・トーマスで、サディスティック・ミカ・バンドの伝説的なアルバム「黒船」も彼のプロデュースというリンクが出来たり。このホワイトアルバムを教典として活動するチャールズ・マンソン率いるカルト宗教団体「ファミリー」の存在を知ったり、マンソンの信者の一人にビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンがいた事を知ったり、知れば知るほど芋づる式に新たな発見があり、しかもそのツルが他で掘り起こした芋と繋がっている事を知っていくにつれ、興味はどんどん拡張していくのでした。小学校の頃にフルクサスに興味を持ったのも、ジョン・レノンの奥さんのオノ・ヨーコだったし、それでヨセフ・ボイスを知って、ボイスからシュタイナーを知るといったように、音楽文脈だけでなく音楽にも美術や思想やらが関わっている事を子供ながら漠然と理解するようになりました。
 
音楽だけですが、日本のバンドはどういうメンバーで構成され、その後どういうバンドに移ったり、ソロになったり、どういったセッションがあったのかということを幼少の頃から相関図にまとめていたのですが、15年ほど前に雑誌で紹介したのが下記の写真です。

相関図は前ページにもあるので、この写真は一部です。
 
デザインに興味を持ち始めたのもその頃でした。
最初はアメリカン・デコ。カクカクした変わった形状に最初は興味を持って、例のごとくそれらを作った作家を知りたくなりました。ドナルド・デスキーウォルター・ドーウィン・ティーグレイモンド・ローウィなどなど。その辺から始まって、デザイナーの生み出した作品を買うようになりました。とりあえずデザイナーの作品を時系列に買ってみる。すると、ある時期に急に作風が変わる事があったりします。そこでまた好奇心が沸き上がり、何故?となるのです。調べていくとその時期に親が死んでいたり、パートナーが変わっていたり、戦争が起ったりなど社会的な要因が密接に関わっている事を知ります。それで、デザインは偶然生まれるものでなく、作家が持っている(無意識にしても)思想や宗教観、そして社会的な経験が必然的に関わっているということを知りました。最近ではかなり物事を引いて見れるようになったのですが、引いてみるとその社会的な要因は単なる作家個人だけでもデザインの世界だけでもなく、音楽も建築も、映画も、文学も、教育も、経済もあらゆることが同じ時間のバイオリズムに乗って動いていくのが凄く分かってきました。そして、引けば引くほど、例えば一人のデザイナーが現在行っている行動は、400年前のある出来事が繋がっていたりと、どこが火種になったのかも知る事が出来るようになってきました。
ほとんどこういう全ての物事は人間が関わっています。人は興味を持ったり、飽きたりするように、歴史も同じようなバイオリズムがあります。可能な限りのデータを集めそのバイオリズムを埋めていくと、過去にどのようなペースでグラフの波が上下しているのかが分かってきます。過去のペースを見れば、未来もどうやって上下していくのか分かります。これがわかれば、何が求められ、何が不要になっていくかを想定して物事をおこなっていく事が出来ると考えています。
 
この長い文章でお気づきだと思いますが、僕はコレクションする事に興味があるわけでなく、この考えの仮説と検証の作業のための資料収集作業なのです。
 
文章だけではつまらないのでちょっと画像でご紹介

子供の頃、アメリカの50年代文化にはまった事が会って、その頃イームズなんかも買ったのですが、50年代といえばパステルカラー。ペパーミント・グリーンの綺麗なガラス食器に興味を持ちました。そのペパーミント・グリーンことをジェダイなんていう呼び方をしていたんですが、ファイアー・キングというブランドを中心に作られていたこのジェダイカラーの食器を集めました。上の写真はその頃集めるためのリスト。当時はコレクターズブックなんて存在していなかったから、自分で当時の雑誌を調べて、それに載っている写真を書き写していました。確か小学3年生くらいです。
 

アメリカ、そして50年代への憧れはおもちゃや企業のノベルティなんかにも向けられました。当時からずっとやっているスクラップです。雑誌なんかでそういう記事を見つけては切り抜いてスクラップブックに貼り、自分で英語のコメントをいれていました。スクラップブックも日本のではなく、50年代のアメリカの本物のブックに貼っています。
 

古着が好きだった事は今までも何度か書いてきましたが、これもやっぱり小学校時代からずっとやってきたスクラップブックです。これも雑誌などの切り抜きを中心に自分でキャプションを付け直してまとめているものです。
 

同様の資料として各洋服の特徴的なディテールを手描きで説明したノートです。多分僕は幼稚園の頃からお絵描きにスタッフクレジットを入れたりしてきたのは自己満足というよりは、誰かに見せたいという気持ちがあったんだろうと思います。こうやって、自分の頭の中に入っている情報をあえてまとめるのも、自己流に編集し直して、読んでもらいたいからだと思います。僕もその気持ちに気づかない頃から編集遊びみたいなことをやっていたということでしょうね。
 

別のノートですが、これはジャケットなどに付けられた織りネーム(タグ)だけのディテールをまとめたものです。
 

これも別なノート。こちらはアメリカ空軍(厳密にいうと陸軍航空隊)のフライトジャケットを描いたもの。高校の頃に描いたものなので、上のイラストより格段に上手くなっています。
 
ということでそんな昔の僕の部屋はこんな感じでした。

 
小学5、6年生の時に担任になった先生は学校としての宿題を出さなかったのですが、勉強でも何でも自分の好きな事を毎日ノートにまとめて提出しなさいという人でした。
僕が算数や国語をそれでやるわけは無く、一番多かったのはスニーカーのイラストでした。スポーツ用品店に行くとアディダスやらアシックス(オニヅカ)やらのポスターが貼ってあって、それには様々な競技別のシューズ写真がずらっと並んでいました。知らない競技の知らないシューズはこの好奇心多い少年には刺激的でした。それで、そのポスターにも載っていないシューズをアメリカの雑誌などを見ては描いていたんです。その頃のノートはもう無いんですが、小学校以降もずっとこの作業は変わらずやっていて、下の写真は高校生の頃に描いたものです。


 
この小学校の頃のノートにはスニーカーリスト以外に、学級会の劇でやるための(丸山 昇一市川森一を意識したような)脚本を書いたり、スネークマンショーをパロったような下ネタの時はさすがに先生に怒られました。(ただし、その頃加入していたミニバス(子供バスケットボール)のクリスマスパーティで披露)
 
小学校時代といえば、友達のうちの畑で縄文時代の石器やら土器やらが大量に出てきて、学校の授業で縄文時代の勉強をする時に、30kgの米を入れる袋に5袋それを詰めて持っていきました。その後遺跡発掘のための保存地域になってしまったのでこんな事出来ませんが。。。
 
トークショーでも話しましたが、僕はそんなに凄い事をやっているとは思っていません。多分誰でもできることをやってきたと思います。それを継続するかしないかの違いだと思っています。
例としてホットペッパーを挙げました。
ホットペッパーは駅前などでタダで配られている飲食店のクーポン集。あるエリアである期間だけ有効なクーポン券をカタログ化したものなので、その時期が過ぎてしまうとただのゴミになってしまう。でも、毎回配られるこの冊子を20年間とっておいたらどうなるか? もちろんクーポンは使えませんが、その20年間、そのエリアでどういうお店が多かったのか(流行っていたのか)どんな店があったのかを知るための資料という違う価値が生まれるのです。継続してある一定のところまで到達してやっと資料性が生まれるもの。ほとんどの人は2次的な価値に気づかずに、気づいたとしても20年間継続していく事は大変です。そうやって淘汰されていく。僕がやってきたことはそんなことに近いのです。大変だけどやろうと思えば誰だって出来ることなんです。
 
写真資料をまとめていたら2000年位を境に劇的にメディア露出と雑誌の仕事が増えてきました。多分この辺でゴミが価値ある資料に変わってきたんでしょうね。
僕のスクラップなんかの資料で、日の目を浴びたのは5%くらいに過ぎません。あと95%(でも今もいろいろ集めているからもっと%は増えそう)はこれから世の中に出していきます。皆さん期待しててください。
| Culture | 23:33 | comments(7) | - |
無い事になっている?

今日ミッドタウンに行き、21_21でやっている「祈りの痕跡」展とサントリーミュージアムの「小袖」展を見てきました。
 
まず「祈りの痕跡」展。ウチの屋号でもある「Glyph.」の語源も象形文字から来ているのでもちろん文字に興味が無いわけはありません。今回のキュレーターでもある浅葉さんトンパ文字の研究でも有名な人なので、トンパ、楽しかったです。その後漢字に変化していくのですが、漢字から生まれたひらがなみたいに、新しい形が出てきてもトンパ文字そのものが残っているのが凄い。こんな象形文字を使っているナシ族(中国の少数民族)のところに遊びにいってみたいです。ただ、文字をテーマにした近年の作品が多く、もうすこし「祈りの痕跡」ともいうべき、文字のルーツや思想・信仰との繋がりなどを深く知りたかったです。
 
その後、「小袖」展を見たのですが、それがまた凄かった。一番面白かったのは、江戸時代のファッション雑誌。振り袖のパターン画はもちろんのこと、モデルの女の子が登場し、「今期流行のooいいわよ」みたいなことが書かれている。世界のファッションヒストリーがどうなっていたのか分かりませんが、こんなファッション誌って海外にあったのでしょうか?
いろいろな振り袖を見ていると、これが実に素敵なのです。総絞りにさらに金糸の刺繍がしてあったり、子犬や小鳥など多分それを着た娘のお気に入り絵型をいれたことが想像出来るものがあったり。江戸時代でありながら着物の生地にインドやペルシャの舶来ものを使っているのがあったりとそれはそれは見ていて楽しい。
そこで、ある疑問が生まれました。現代の日本ってデザインがシンプルなものばっかりではないかということ。もちろん、日本史の中には多くのシンプルデザインが登場しますが、装飾豊かなデザインだってかなりあるはず。でも、今のデザインの中にはシンプルなものばかりが目立つ。もはや装飾文化が無かったかのようになっていることが気になりました。
 
そもそも日本人のルーツは装飾だったはず。縄文式土器のフォルムや装飾を見ればよくわかります。デザインって信仰と結びついているから自然信仰の中から模様の中に神が宿ると信じられてきた。弥生時代ぐらいには既に中国との交流が生まれていて、多分この辺のタイミングで中国からミニマル文化が入ってきたと思うんですが、それ以降シンプルデザインがメインストリームになった事は確かです。でも、千手観音や金閣寺や日光東照宮なんかを見てもゴージャス路線は存在しています。ところがなぜかそういうゴージャスなものは=悪趣味というレッテルを貼られてしまい、昨今のデザインからとても敬遠されている気がします。
豪華に彩られた振り袖を見ていたら、こんなデザインがもっと現代にあってもいいのにという気にさせられてしまいました。
| Design | 23:43 | comments(2) | - |
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