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Mobile in Forest

ここ数ヶ月関わってきたプロジェクトがようやく始動します。
詳しくは明日のプレス発表&パーティの後に。。。
| Design | 23:59 | comments(0) | - |
GOYA

3ヶ月に1回持ち回りの連載コラムが載った掲載紙が送られてきました。特集はゴヤ。
 
チャップマン兄弟を知ったのはYBAというイギリスの新世代の現代アーティストを知った90年代始めの頃だったと思います。そして、96年には恵比寿のP-houseというギャラリーで個展もおこなわれ観に行きました。ダミアン・ハーストの作品同様ショッキングなものが多かったのですが、チャップマンの作品はどこか昔の記憶に残っている感じがしていたのです。
ロンドンのホワイトキューブで観た「アポカリプス」からはじまり、サーチギャラリーで観た「HELL」の展覧会の時、廊下に並んでいたエッチングに手彩色を加えた連作を観て気づいたんです。これって「ゴヤだ!」って。
 
ゴヤの作品に『戦争の惨禍』というエッチング連作があります。銃剣で突き刺され血を吐いた兵士、両腕を切断され、木の枝に突き刺された死体などかなり酷いもの。ゴヤが活躍していた時代はまだ、宗教画や貴族の肖像画、がんばって日常の生活を描くのがやっとの時代なので、スペインの惨劇を戦場まで行って描いた、ジャーナリスティックでリアリティの死の世界は相当アバンギャルドなことだったでしょう。作品に繰り広げられる悲惨さは今の時代でも感じられます。この時代、英雄の勇敢な姿(例えばナポレオンの肖像画)みたいな戦争を美化した絵画が多かったので、こういったリアリティはタブー視されていました。今でも、戦場に飛び散った手足なんかはテレビでは放映されません。そういった偽善化された世界、つまり観たく無い蓋をした部分をさらけ出すのが、チャップマンの手法でもみられるんですね。チャップマン兄弟ってさらにフィギュアを作ったり、アンティーク風に見せたりそういった細かい作業が好きだから、彼らのエッチング作品も、まるでゴヤが活躍していた1800年代始めの作品の様です。
例えばこんな感じ

また、チャップマンの作品には同じくゴヤの「ロス・カプリーチョス」に出てくる小悪鬼に似ているキャラクターも多く登場します。
 
決定的なのがはじめてテムズ川沿いにオープンしたてのサーチギャラリーに行った時に観た「Great Deeds! Against the Dead」という作品。これです。

 
これって、ゴヤの同じく「戦争の惨禍」の連作の中の1枚にある作品でした。

 
ゴヤの批評性は現代のチャップマンに受け継がれています。
歴史的符合をみた頃からチャップマンは目が離せなくなったのです。
そして、少しですが作品も買うようになりました。
日本ではなかなかお目にかかれないのが残念ですが。
 


| Art | 23:44 | comments(5) | - |
Midnigtht Airport 4th
今年も神戸のNOTAM主催の「Midnight Airport」が行なわれました。僕は4年前の1回目からゲストスピーカーとして参加しているので、僕のトークショーと思っている人が多いと思いますが、実際はNOTAMさんのオープン00周年イベントですのでお間違え無く。
  
毎年神戸に宿泊(といってもこのイベント、1次会は21時くらいに終わるものの2次会は朝5時まで、チェックアウトが12時なのであんまり宿泊する意味がないんですが)してるのですが、今回は学会があるらしくホテルが1ヶ月前から全くとれない。結局大阪の梅田に泊まる事にしました。せっかく神戸空港があるのに、伊丹空港からリムジンバスで梅田まで行き、ホテルにチェックイン後、一路三宮に向かったのでした。
と、その前に梅田は地下街が発達していて、阪神百貨店の地下には立ち食いコーナーがあって、ちょっと小腹が空いたときはここで食べるのです。
イカ焼きなんてのも良いんですが、この日は東京にも進出しているタコ焼き家の「くくる」でこの阪神地下限定メニューの黒たこを食べました。黒いのはタコスミでなくイカスミだそうです。タコスミだったらいいのに。。。(タコスミは量が少ない代わりイカスミよりグルタミン酸が多くはるかに美味いそうですが、とても高価なのです)


その後神戸に、時間通りトークショーは開始されました。
今回はNOTAMの本来のテーマでもある航空デザインについての話と昨年のオランダツアーの報告で構成されました。もう少し僕も素材を用意出来れば良かったけど、O前さんギリギリになってしまいすみませんでした。
今年もオランダツアーは行なう予定です。NOTAMツアーは今後も継続すると聞いていますが、オランダはこれで最後になるようです。僕はしょっちゅう行くけど、こんな機会じゃなければ行く事も無い人には要注目です。そういえば、今年はステデリック・ミュージアムが仮設から本来のゴッホミュージアムの隣に戻ってくるので楽しみです。
スキポール空港もだいぶリニューアルされたようですし、まあ普通のツアーと違ってかなりディープな内容なので、かなり良いと思いますよ。
 
2次会はいつもの白木屋へ。
ご存知の方は多いと思いますが、神戸はかなりコンサバで両親と暮らしている人が多く、そんなこともあって風俗や深夜までやっているお店がほとんどありません。白木屋ぐらいしか朝までやっているところが無いのです。(他にも1次会会場から近いとか、帰宅の際の駅から近いとかの理由もありますが)2次会参加者は昨年は15人ぐらいでしたが、今年は30人ぐらいいて大所帯。僕も席を移動しながら皆さんと話す機会をなるべく多く持つのでした。
僕は今、会社勤めではないし仕事も大体同年代かそれ以上の人とやる事が多く、20代前半の人たちと交流する機会もほとんど無いので、こういう機会はとても貴重。もっともっと聞きたい事は山ほどあるんですが(若い人が何を考えてるのか)、なかなか引き出すのは難しいですね。
最近の若いコは旅行をしないと聞きます。それは旅行をしてもめんどくさいし、自分にとって何のメリットも無いと思っている(思い込んでる)からです。そのかわり海外のボランティア活動は積極的に参加します。要は自分の存在を主張出来る事に最も力をかけるのです。旅では自分の存在主張はできないけど、ボランティアだったら自分が感謝されるから。モテたいとかっていうのも結局は他人からどうみられるのかを意識しているからです。こういう自分の存在を気にする事が、昨今ある事件なんかにも繋がっている気がします。だから、その世代の人の気持ちを知りたかったのですが、この会に参加している若いコは旅も好きだし、趣味もあって、行動的でちゃんとリアルなコミュニケーションをとる人ばっかりなのでよくある問題とはちょっと違いました。
 
僕にとって毎年1回開かれるこのイベントはいろんな業種といろんな世代の人が、会社とかそういうしがらみに束縛されず意見交換が出来るとてもいい機会なんです。こういう機会がもっと出来るといいなあと思ってます。

| Culture | 23:17 | comments(2) | - |
本は消えない?

今月のSTUDIO VOICEは本特集。本と言っても、ミニコミ誌やリトルプレス、自費出版やジンなど少部数で発行しているものが中心です。ウチも出版コードをとっていないし、取次業者を介していないので仲間に入れてもらいたいところですが、大手のように部数が多いものもあるので、リトルプレスとはいえないかな? 今回の特集でコラムを書いています。それも、決してリトルプレスでは無いのですが、一般の雑誌よりは部数は少ないですね。そこで、今時のガーリー雑誌を紹介しました。なぜ、この数年ガーリー路線なのか?ということを社会状況から分析してます。ご興味ある方はご覧ください。
 
僕はモノ心ついた頃からジンやフリーペーパーなど少部数の発行物を集めてきました。古くは幼稚園くらいの頃のベ平連内ゲバの会報誌、70年代半ばに多かった新宿なんかのタウンマップ、その頃のオンサンデーズのフリーぺーパーからオウム真理教のバジラヤーナサッチャ、京都時代から鎌倉までのカフェ・ディモンシュや雑貨屋Sixのフリペなどなど、数万冊のコレクションにおよんでいます。
他にも、アメリカのジンは中学生の頃から結構買っていて、Beach Boysとかデビッド・クローネンバーグラス・メイヤーハーシェル・ゴードン・ルイスロジャー・コーマンのファンジンとか、珍しいものだとジョン・ウェイン・ゲイシーなんかのものもありました。イタリアのゴブリンのファンジンってのも珍しいかもしれませんね。
 
そんな僕の収集人生の中でも、1990年代は非常に充実しています。推測なんですが、それ以前の雑誌は一部を除いてまだ発行部数も少なかったので、一般雑誌自体がサブカル的意味を持ったものが多かった事(バブル以降出版が変化してきた)。マックなどパソコンの一般導入やコピーの普及で個人で簡単にフリーペーパーなどが作れるようになった事。それと、個人の自己主張が高まってきた事が考えられます。ただ、この頃のものは一部のものを除き、自己主張ばかり掲げているのが多く、タダでも持って帰りたく無いようなクォリティのものばかりでした。一方で前述のカフェ・ディモンシュのフリペなんかはO本さんやFPMのT中さん、M&COのM浦さんらが関わっていて、それが後の「relax」へと繋がっていきました。
 
2000年代に入ると極端に減っていきました。まず意味の無い自己主張は淘汰されていったのですが、最大の理由はブログという新しい自己主張の場が出来たことでしょう。完成度の高いフリペはより成熟し、ジンやリトルプレスのような買ってまで読んでみたくなるような出版物へ移行しました。同時期にユトレヒトのような通常の書店のような流通に依存しないセレクト本屋が次々に生まれ、ウチのように出版社や取次に依存しない会社が本を発行するようになってきました。
 
ジンなどの出版物はなにも日本で話題になっている訳でなく、スイスや北欧、南米といった世界中で沸き起こっているのです。僕はその現象も今回のコラムで触れた社会状況が絡んでいるように思います。大都市を地方にコピぺするような地域崩壊型の都市計画やインターネットによる世界のフラット化は豊かさの代償に地域文化や民族性などを軽視しています。この社会のフラット化に対する精神的な反抗が北欧ブームや地方の工芸品を好む「ほっこり系」にも繋がります。ヨーロッパではエスニックが盛り上がっています。ヨーロッパのフォークロアは植民地政策時代のアフリカ、アジア、南米なんです。そうでなくても、ローマやミラノの有名セレクトショップがディレクションしてシチリアあたりの田舎工芸品をおしゃれにしたり、旅行雑誌でもスペインとフランスの間の田舎町であるバスク地方がもてはやされています。
こういった精神的欲求が個人出版やリトルプレスの動きにも関わっていると思います。世界の地産が、大量生産の脅威である中国に対するカウンターであり、出版も大手の広告至上主義に対するカウンターでもありますが、当のパブリッシャーはもっとユルい感じで考えているでしょう。どちらかというと、以前触れた内省的建築のように、自己に向かっている感じが強いと思います。分かる人だけが分かる小さな文化圏を作っているように思います。
 
いずれ内省から解放された時『本を捨てよ町へ出よう』となるのでしょうか?
その時は、本当の本の終わりがやってくるのでしょうか?
| Culture | 23:51 | comments(3) | - |
Design is Dead
先日、イーターのS田さんの方からHugeの最新号を送ってもらいました。
今号はデザイン特集、しかも「Design is Dead」という衝撃的なタイトルでした。
ここんところ様々なところで近い話を聞きます。OPENERSでY田さんもこんな事を書いてます。
そして決定的だったのが現代のデザインブームを牽引したフィリップ・スタルクも引退宣言をしたことです。
 
僕も2年ほど前にここで「デザインって必要?」なんてことを書きました。デザインが必要か?と言われれば、そりゃ必要だろうけど、今世の中で言われているデザインにあの頃は飽き飽きしていた事は事実です。

狭義的にフォルムとしてのデザインを語る時にいつも思うのは、デザイナーの理想と現物との差です。「より使いやすいものを…」と言っているデザインで僕自身あまり使いやすいと思ったためしがありません。ナイフやフォークやスプーンは古来からあるスタンダードなフォルムが断然使いやすいです。少し手を加えればよりよい使い勝手になるものもあると思いますが、何百年も使われて形状が決まってきた道具は、それ以上でもそれ以下でもなく、もはやデザイナーが手を加える余地が無いものがほとんどです。であるなら変な美学を語らず「かっこいいものを作りたかった!」といった方がよっぽど潔い。まあ「かっこいい」というのも主観ですから「かっこわるい」ものが多く生み出されてしまう結果にもなるでしょうけど。もっと大きく言えばフォルムとしてのデザインのほとんどは思想や主張なんだと思います。今までの様式や運動に対する肯定、否定がこれだけ多くのデザインを生んできた訳です。
 
僕が最近買っているものは2極に分かれています。1つは機能だけを追求して作られたもの。調理器具が多いかな。もう1つは全く物理的機能を持たないもの。共通して言えるのはどちらもいわゆる「デザイナーズ」ものでは無い事です。ここんとこ本当にデザインものを買わなくなりました。しいて言えばMUJIの新作の冷蔵庫用の水筒を買ったぐらいです。
 
そして最近は「アンチ・デザイン」的な動きも大きくなってきました。ヨーロッパではエスニックだったり、日本でも民藝のようなものがもてはやされています。
でも、一歩引いてみるとそれもまた「なんちゃらデザイン」と同様イデオロギーのようなものを感じてしまいます。今とは違う新しい概念探しに必死になっているようで、なんちゃらデザインとさほど変わりません。そもそも民藝運動も純粋な当初の思想から、「世の中に知られてないものをいかに見つけるか」の自慢大会になって崩壊してしまいました。昔からこういった理想を掲げる物事はうまくいったためしがありません。これが人間社会なのでしょうか?
 
ここ最近、個人的に大企業の仕事、特にデザインに関係する事に関わる事が多くなりました。仕事をやっていると今までのデザインに対する企業の向き合い方が僕たちがこれまでやってきた事とかなり温度差があることが分かってきました。悪く言えばお金目当てでたかられて、結局世の中を何も変えられず終わっている事が多いのです。民間でこんななんですから官僚や地方自治体なんて湯水のようにムダな事やってて当然のような気がしてきます。僕も仕事でやっている以上はお金はもらうけど、ちゃんと身になることをやって最終的には社会構造に何かしら影響を与えられるようにできたらということが理想です。
 
そこで気づいたのがデザインによって狂ったきた社会はやっぱりデザインでしか変えられないという事。最初に掲げた理想は野心や欲望によっていろんな人にぐちゃぐちゃにされるのだろうけど、それでも懲りずに掲げなくてはならないと思うようになってきました。
デザインに対し不振を持っていた僕は、裏返ってまたデザインに興味が出てきたところです。社会なんか変えるのはとても無理だけど、少しは人々の気持ちが変えられるようなことがデザインを通して何かできそうな気がしてきているのです。

 

 
| Design | 23:01 | comments(2) | - |
auブログはじめます

月末からauの公式ブログに参加することになり、今日制作会社の方にブログ用の携帯をもらいに行ってきました。携帯・PC両方のau oneブログとリンクで月末にリニューアルされるau mobile fashionで公開されます。もうすぐ新機種も発売されるようですが、僕のはちょっと古め(1年経っていないのに古い機種と呼ばれてしまう業界のスピードが怖い)のインフォバー2でした。今使っているのがメディアスキンなので、インフォバ−2は丸みがあるし、すべすべしているので何か落としちゃいそうです。
 
ということで、ここのブログでは何でもありの内容ですが、auのブログではプロダクト、インテリアを中心としたライフスタイル関連の事を書く予定です。それもかなり他では知れない内容が多くなりそうなので、ご興味ある方はここと平行してご覧いただけると嬉しいです。スタートの際はまた少し告知します。
| Design | 23:57 | comments(0) | - |
nendo

某プロジェクトの打ち合わせのために目黒のnendoの事務所に行ってきました。
前からnendoとは知り合いですが、仕事としてちゃんと話したのはこれが初めてになります。そういえばS藤さんが最新号のイギリスのデザイン誌『icon』の表紙に登場してました。
 
若手にも関わらず国内外で言わずと知れた人気デザイナーとなった彼らですが、正直僕は良いと思うところと、これはちょっとと思うところはあります。なにぶん僕自身はジャパンプロダクトの世界で評価されているミニマルな感じがあまり好きではないのです。(ウチでもたくさん使っていますが、その多くは機能重視で選んだものが多いかも)海外で深澤、吉岡、nendoが評価されている最大の理由を僕はオリエンタリズムだと思っています。僕たち日本人にはあまり意識は無いけど、西洋人にとって日本ミニマルはオリエンタルを感じさせるんですね。
 
そんなこともあり、nendoには確信犯的なシンプルさやトリッキーなアイデアに寄りすぎていないか?と思う事もあります。でも、1%プロジェクトなんかは彼らの真面目さ、誠実さを感じさせ、一部の作品は個人的に好きです。
そんなこんなですが、とても良い人たちであることには間違いありません。今回も相当無理なお願いを明日から出張にも関わらず、快く受けてくれました。来週にはラフ提案してくれるそうなので、どんなアイデアが出てくるか楽しみです。
| Design | 23:36 | comments(0) | - |
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