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Connect Auction Vol.2

昨日告知しましたが、4/5にConnect Auctionの2回目が開かれます。それを前に今日からプレビュー(事前展示会)が始まりました。もちろん見学は無料です。
上記は今回のカタログ表紙。前回のカタログは時間の問題で事前に撮影した写真をレイアウトしたこともあり、まとまりが上手く出来なかったのですが、今回はフォトディレクションまで出来たのと、エディターやデザイナーがちゃんと分業出来たので全体的にはまとまりある感じに仕上がりました。
販売時には下記のようにパンチメタルのシルエットがプリントされたトレペがカバーになってます。

 
僕はプレスをやっていることもあり、2件の取材が入っていたため、朝から会場に入りました。取材で俳優のK剛地武志さんとデザインジャーナリストのW部千春さんが来ました。 K剛地さんとW部さんは実は大学の先輩後輩だそうで、K剛地さんもデザインモノに以外と詳しかったです。
 
その後、NYからK内タカさんが来ました。昔会った事はあったんですが、3時間近くも話したのは初めて。NYを含めたアメリカのアート事情などを聞けて楽しかった。
 
で、今回のオークションですがとりあえす目玉はこれ

倉俣史朗のHow High the Moon。VITRAが現在も製造販売していますが、これは現在販売されていない2人掛けのバージョンです。1986年、寺田鉄工所が製作しIDEEが販売したものです。その中でも、極初期のもので脚がちょっと違っています。

中期以降〜現在までHow High the Moonの脚は本体と同じパンチメタル素材なのですが、初期型は上のような感じです。この初期型は非常に数量が少なくレアものなのでエスティメートは500〜700万円と激高なんですが、そうだと思っていると大間違い。当オークションの2日前にロンドンで開催される日本ものオークション「KYOBAI」では比較的生産されたIDEE中期モデルで4万〜6万ポンド(約800~1200万円)で出品されます。これを考えるとお買い得?
 

これは知る人ぞ知る川久保玲デザインのコム・デ・ギャルソンの家具(3脚とも)です。左端のピンクっぽい椅子が30~50万円。これも上のフリップスのオークションにも同じものが出品されており、エスティメートは1万5000~2万ポンド(300~400万円)とほぼ10倍ですよ。
 
フィリップスは他にも面白いものが出品される予定で、吉岡さんパンの椅子が400~600万円、村上隆のルイヴィトンのパンダ・ディスプレイが8000万〜1億2000万円で出ます。
 
これだけ見ても海外と日本の温度差はお分かりだと思います。
 
Connectに戻りましょう。例えば他には

これはアルネ・ヤコブセンのもの(リトグラフはアクセル・サルト)ですが、一般に販売されたものではなく、ヤコブセンの代表作でもある、デンマークのコペンハーゲンにあるSASロイヤルスカンジナビアンホテルの客室のために作られたものです。(606号室のみ当時のまま保存されていて、実際泊まれるのですが世界中のデザインマニアの聖地でもあるのでなかなか予約は出来ません)普通には見る事すらなかなか出来ない貴重なものを販売します。リトグラフの方も客室に飾られていたようです。
 

北欧繋がりでは上のポール・ケアホルム。50年代くらいの作品は仕上げも違っていて必見の価値有り。北欧ものはタピオティモフィン・ユールウェグナーからクッカプーロヌルメスニエミなんかもあって、へたをすると北欧展より充実です。
 

シャルロット・ペリアンのテーブルです。天板は大胆ですが、脚が繊細。これはアトリエ・ジャン・プルーヴェで製作されたものですが、これも相当安い!パリでは3倍くらいするでしょう。ちらっとみえるのはネルソンのココナッツチェアとジラルドの3人掛けソファ。ジラルドのソファはそもそもブラニフ航空のラウンジのために開発されたものです。2点とも非常にオリジナルは少なくかなり貴重です。
 

高額な商品ばかりではありません。これは柳宗理のカップ&ソーサー、1958年のもので5脚セット。4万〜6万円です。リンドベリのカップ&ソーサーが1脚3万円くらいで売られている昨今を考えればかなり安い。他にも数万円で買えるものはたくさんあります。
 
4/5のオークション当日までこういった出品物を展示しています。どれも博物館級のものでありながら無料で見れ、さらに触ったり座ったりできる機会は滅多に無いですよ。
オークション自体の質はこだわっていますが、かなり敷居は低いので是非是非参加してみてください。ebayライブオークションでも参加出来ますが、手数料が高くつくので、本部に直接お問い合わせください。

| Culture | 23:37 | comments(0) | - |
今月〜最近の掲載情報
まずは連載関連から

DTP WORLD(3/13発売)では通常の連載(2P)でシトロエンのパンフレットを紹介しています。また特集の方で4Pにわたり、製紙会社のPR誌を紹介。

芸術新潮(3/25発売)で、連載コラム。クラーセンのキュービックスを紹介。

BRUTUS TRIP(3/26発売)で、連載コラム。文革グッズを紹介。
 
下はConnect Auction関連

Men's Nonno G(3/10発売)

Monocle12号

Rooming(3/26発売)表紙もオークション第二回会場です。

協力雑誌

Casa BRUTUS(3/10発売)ソットサス追悼特集でのソットサス作品

Numero Tokyo(3/26発売)これもやっぱりソットサス追悼号で作品提供
 
その他
昨日告知したAlexander Girard展の話題がWoman Exciteのファッションコラムで紹介されています。
もうひとつ。ウチが版権展開しているオーレ・エクセルがExcite ismで紹介されています。ここで告知されているイベントについては今後詳しく紹介します。
 
それともう一つ。
Connect Auctionの第2回が4/5に開催されます。
明日からプレビューが始まります。火曜日からオフィシャルサイト、本日からebayのライブオークションで全商品がアップされました。
オークションに関しては明日ブログで詳しくお伝えします。
| Design | 23:54 | comments(0) | - |
Alexander Girard Exhibition
明日から1ヶ月間、TOMORROWLAND渋谷店Alexander Girard展示をやります。
量的にはそんなに多く無いのですが、実物を見る機会もそんなに無いし、あまり見た事も無いものが多いかと思います。
昨年efffyの展示会で見せましたが、その時は一般入場が出来なかったのですが、今回はお店なのでフリーで見れます。TOMORROWLANDオリジナルのグッズ販売も行うそうです。
今後、大阪、福岡などにもまわる予定ですが、是非見に来てください。

| Design | 20:33 | comments(1) | - |
だれかが風邪の中で
ここ最近暖かかったので、コートを脱いで外出する事が多く、21日もそんな気分で外出。でも、雨もあって相当寒くおかげで風邪をひいてしまいました。そんな引きこもりの数日間で、先日買ってあった雑誌を何冊か読んでました。その1冊が上の写真の「映画秘宝」です。市川崑監督が亡くなった際にここで書こうと思っていたのですが、あまりにありすぎてどこから書いていいか分からず、結局時間が経ってしまい書きそびれました。そんな時「映画秘宝」で木枯らし紋次郎の表紙を発見、即買いしてしまったのです。
 
木枯らし紋次郎は僕が生まれて1番最初に市川作品に触れたTV番組であり、監督というものを知った最初の作品でした。
ウチは寿司屋をやっていて、子供の頃は日曜日となると結婚式場なんかから大量に注文が来ていたので土曜の夜からはじめないと間に合わず、僕も簡単な作業を夜中まで手伝っていました。
テレビをつけながら作業をしていて、土曜の夜、「8時だョ!全員集合」が終わって、その後「キイハンター」を見て、その後だったか「木枯らし紋次郎」をやっていました。幼稚園の頃よく風呂敷を羽織り、ざるをかぶり、長い棒をくわえては真似をよくしたんですが、そんな深夜の番組を同級生がわかるはずありませんでした。
真似するくらい好きだった紋次郎のどこが良かったかというと、まず主題歌。上條恒彦の歌う「だれかが風の中で」は、当時フォークが最先端だった時代に、しかも時代劇で、オープニングのストップモーションを使う映像とともに、凄くかっこ良かった。
その後、似たようなフォークを使う時代劇が増えましたね。
あと、リアリティがあった。よくチンピラの殺陣が出てくるんですが、そういった人は剣術なんか学んだ事が無い。だから刀を闇雲に振り回す感じ、そして次々に切り倒されていく仲間を見て恐怖を感じていく。今の時代劇を見ても、殺陣は誰一人として死ににいく事に恐怖を抱いていないのはおかしい。子供ながらにそんなことを思ったのです。そして何よりも紋次郎の人間らしさ。「あっしには関わりがねぇこって」といいながら、ほっとけないとても人間臭い人物像。「少年チャンピオン」で当時読んでいた手塚治虫の「ブラック・ジャック」にとても似ていると思いました。
 
その後、「犬神家の一族」を小学校の頃見る事になるんですが、その頃は撮影テクニックや演出、編集なんかに既に興味があったので相当な衝撃でした。興味がある人はじーっと見直してみてください。映像のところどころにピンボケやボツカットが一瞬だけ差し込まれていたりします。僕もたまに見返すとその度に新しい発見があります。何よりもいいのはライティング。光と影を巧みに使ってる。これは市川作品全般にいえることですが。口喧嘩の重なりも好きです。棒読みにこだわった小津映画と比べると面白いです。そしてルパン三世なんかの音楽をやっていた大野雄二の音楽もいい。2006年に全く同じカット割でセルフカバーした「犬神家〜」は試みとしては面白かったけど、オリジナルの比ではないと思います。
 
この「犬神家〜」以降、市川作品を意識して見たのですが、好き嫌いはある中やっぱり「悪魔の手毬唄 」「股旅」「東京オリンピック」は最高でした。特に「東京オリンピック」は凄かったです。どうして競技中にあんな映像が撮れるのか不思議でした。市川映画にはズームアップの場面が多くありますが、そのほとんどが望遠で遠くから撮っている。普通は遠くから撮るときは引きの映像が当たり前なんですが、だけど、それをするおかげで背景がボケて主体がものすごく引立つんです。これを撮影場所など制約の多かった東京オリンピックで編み出したそうです。
そして、90年代に入って渋谷系の人の中で再評価が高まり、見る事が出来た「黒い十人の女」や1966年のライオンの歯磨き粉のCM。
 
市川監督というと、いつも新しいものを取り入れ、実験を取り入れている印象がとても強い。80年代以降の作品はあんまり好きじゃないけど、たまにTVで放送しているのを見ると「じいさん、あいかわらずやってるなあ」と感心させられます。
90歳まで前へ行こうとしていた気持ちはいつも見習わなくては、といつも思っています。風邪で寝込んでる場合じゃないね。
| Movie | 23:52 | comments(1) | - |
IDEE自由が丘

明日オープンする自由が丘のイデーの内覧会がおこなわれ、行ってきました。
お店は4フロアに分かれていて、1階はグリーンと生活雑貨、パティスリーがあり、2階は家具が中心、3階はギャラリーや本があり、4階はカフェ。
これを聞いてピンと思う人はインテリア通? そう、青山にあったイデーのフロア割に似ていませんか?
 店内にはスタルクのXOの灰皿、マーク・ニューソンのエンブリオなど80年代後半にみたイデーの面白さが根底に流れていて、そこに今らしさを重ねている。確かに、コーナー、コーナーから見ると、昔のイデーに居る気分になります。今は良品計画が資本になっているイデーですが、根底には黒崎イズムが感じられるんですね。
F城さん、お店では話せませんでしたけど、モビール、良かったですよ。空間は余裕を持って作られているけど、あのモビールのゆらゆらが、さらに時間をゆっくりにしてくれているように感じました。
今日は雨だったけど、晴れた日はカフェのテラスもいい感じなんでしょうね。
 
時代の流れによって一度は分断されたけど、誇りを持つスタッフとそれを見守り支えるOBがいるおかげで変えてはいけない部分はちゃんと受け継がれていました。それでいながら、とても今っぽい。自由が丘っていう場所も案外ゆっくり動いていて良かったと思います。あとは、自由が丘の新しいスタッフにその「変えてはいけない部分」を受け継がせてください。そうしたらきっとずっと愛されるお店になるはずです。
 
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話は変わりますが、現代建築についてFORM Story of designさんでやりとりをしています。僕の方ではどちらかと言うと負の部分が論点になっていますが(といっても僕自身は評価していることが前提ですよ)FORMさんの意見は正の評価の根拠のようだったので、バトルとはいいませんが意見交換をさせていただいています。ご興味があったら訪問してみてください。
| Life | 23:57 | comments(4) | - |
現代建築とほっこり系
最近、70年代生れの建築家の活躍がめざましい。建築雑誌以外でも特集が組まれたりしているから非常に目にする機会も多いのでしょう。
 石上さんなどのように芸術系(文系)の方から建築の世界に入ってくる人が多くなっているのも特徴的な部分ですね。
 
今や建築だけでなく、音楽、芸術などの世界でもすでに70年代以降へのシフトが進んでいます。個人的に新しい世代への期待と凄さを実感はしているものの、どこかにしっくりこない部分が残ります。以前からそのしっくりこない部分について考えてみました。
 
それはとても内向的であること。社会よりも自分という意識が強い。
とても漠然とした心理を表現している感じがするのです。分かりやすいところでは、昔の歌謡曲。詩的な表現でありながら情景が浮かんだり、心理を取り上げたものでも、自分と他者とのあり方が題材になっています。だから子供でも演歌を受け入れられたし、家族で口ずさめる曲が多かったと思います。今の曲はもっと漠然とした詞が多いです。それは内面にあるつかみどころのない感情を題材にしているからで、ある意味同じ気持ちを持つ共感者とは直接心理に結びついていくので凄い事だとは思いますが、とてもピンポイントになってしまいます。
まだ、文学や美術や音楽はアーティストの内面性を表現した作品と位置づけできますからいいと思うんですが、建築やデザインはどうでしょう?
 
僕はここで何度かアートとデザインの接近を紹介してきましたが、興味深いと思える反面、本来の役割について考える疑問点が浮かび上がってきました。
それは、建築やデザインが私的なものでいいのかどうかという部分です。
デザインはまだ代替えがきき、消耗もはやく、多様性があるので、機能を求める部分以外のものがあってもおかしくは無いのですが、建築となるとちょっと違う気がするんです。鑑賞するデザインはあっても、鑑賞する建築って無いような気がするんですが。
 
今の建築は、特に30代の若手の作品は面白い。でも、面白いと思う部分はもしかしたら異様な部分なのかも知れません。その異様が果たしていいのかどうか僕には分かりませんが。
TV番組のビフォー、アフターの中のビフォーでとんでもない構造の物件が登場しますが、その家が建てられた頃は建築家のアイデアが効いた、いい空間だったんだろうと思います。狭い家の中でいかに有効的に使うか?それが押し入れの中に階段があるといったことに繋がっていく。よく言うと空間を有効的に使う、悪く言うと変な構造。これは古くなったから悪くなったのではなく、最初から背中合わせに持っている見方の違いです。大抵の場合最初はいい方から見て、あとで悪い方に見方が変わってく。結婚するときは「自分に持っていないものをもつところに惹かれた」といい離婚のときは「性格の不一致」になる。そもそも好きなところも嫌いなところも同じ部分なのです。
番組の中ではビフォーの時の異様さを強調しますが、アフターの中で取り入れたアイデアは本当に素晴らしいものなのでしょうか?30年後の子孫が見た時にはそれは異常に写るかもしれません。
 
ポストモダン建築にも異様性はありました。でも、あれは社会的意味を持った私的なもので、現在の建築の動きとはちょっと違うようにも見えます。こういった流れは社会の流れと同じなのですが、建築の分野までもがこの流れに同調すべきかどうか不安めいたものが感じられるのも事実です。
 
また、今世の中は「ほっこり系」と呼ばれるスタイルで満ちあふれています。
昔で言ったらカントリースタイルに近いのかもしれませんが、内容は和物やヨーロッパ、北欧なども混じり、特にハンドクラフトの革もの、リネン、陶器類が人気です。
活版などの古い印刷スタイルも手作り感覚としては共通の意味合いをを持っています。
本来、機械製品だけでなく手作りのぬくもりを大事にしたり、エコやスローフードなどもいい事である事には間違いありません。
しかし、ここ最近「脱ほっこり系」がすこしづつ登場してきています。本来の人間らしい生き方に戻るための「ほっこり」であったはずなのに、そこから脱却しようとしているのはどうしてか?結局、手のぬくもりなんてものは売り手側、買い手側の説得材料でしかなく、流行なのではないでしょうか。「うちはハンドクラフトにこだわっています」と言うお店がそういうものが流行らなくなった5年後や10年後にはたしてこだわり続けているでしょうか?
 
建築しかり、ライフスタイルしかり、長いスパンで考えるべきものがファッションや消費の対象になっていることに違和感を感じます。
 
最近、お店が面白く無いのがそういったところ。東京には似たようなスタイルのお店が溢れ、地方もそれをこぞって真似をしていく。
ミッドセンチュリーが終わったら、北欧、そしてほっこり。僕だって気持ちが変わるから自分のライフスタイルは変わって当然。でも、なぜ全てが同じ方向に変わるのでしょうか?かたくなにイームズを売ってたって、セレクトに節操無くてもオーナーの気持ちが感じられたらとても楽しいお店だと思うんです。海外に行くとお店にワクワクするのはそういった一方向に進んでないで、それぞれが、それぞれのものを売っている事だったりします。
だから、地方に旅行に行ってわざわざ東京と同じようなお店に行きたいと思いません。おなじハンドクラフトにこだわるなら、30年同じ事をやっているおばちゃんのやっているようなお店に断然感動します。
先輩方おじいさん、おばあさんの方がより自分らしさを持っています。 
若い人たちがそういった自分らしさを出せるまで、あと何年かかるでしょうか?
逆に若手の建築家達は個性的だけど、こういった個性は本当に必要なのか?
矛盾する2つの個性が今後どうなって行くのかを見守っています。
 


| Archtecture | 12:54 | comments(14) | - |
寛容

Japainのkinkinさんのコメントの中で「寛容」というキーワードがあったので、ちょっと思う事を書きます。
ラス・ビハリ・ボースという人物をご存知でしょうか?
多分ほとんどの人が知らないと思います。でも、ガンジーは知られていますよね?
2人はインド独立のために立ち上がった人ですが、ガンジーは非暴力で、ボースは爆弾テロという手段を使いました。テロを起こしたボースは日本へ亡命しました。世界中に彼は受け入れを要請しましたが拒否され、日本の支援者が受け入れてくれたのです。
その亡命に大きく関わったのが相馬愛蔵という人物です。
 
僕は15年くらい前、編集仕事でいろんな会社のロゴを調べた事があるんですが、その時この相馬愛蔵の事を知りました。彼は新宿中村屋の創業者なのです。
ロゴマークはHPの左上にあります。日本の老舗にしてはとてもヨーロッパ的。相馬の名前から2頭の向き合う馬を使い、太陽と月、つまり陰陽思想をとりいれ、平等を表す天秤があります。チェックの意味は忘れてしまいました、すみません。
 
 ちょっと脱線しましたが愛蔵はボースを受け入れ、かくまいました。ボースはその後、愛蔵の娘と結婚までします。そして、このかくまわれていた時代にインドの本格的カリー・レシピを提供し、現在の中村屋の看板でもあるカリーが生まれるのです。
それゆえに中村屋のボースは日本における「カレーの父」と呼ばれています。
 
そしてボースをかくまった人物の中にもう一人重要人物がいます。頭山満という右翼の重鎮です。現在、右翼というと日本に独立して考えられますが、戦前の国家主義者はアジア全体で物事を見ていました。ヨーロッパの植民地が多かったアジアをグローバルにとらえ、解放運動を起こしている国々には惜しみない援助をしていたのです。
本気で日本の事を考えた愛国主義者は、近隣の国々にも愛の目を向けていたのです。
 
僕自身も日本を愛するのであれば、他人に愛される日本人でなくてはならないと思います。他人を受け入れる寛容の心こそ、愛される自分たちになるのではないでしょうか?
 
写真は日本におけるボースを紹介した本「中村屋のボース」です。

| Philosophy | 21:02 | comments(0) | - |
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