最近、70年代生れの建築家の活躍がめざましい。建築雑誌以外でも特集が組まれたりしているから非常に目にする機会も多いのでしょう。
石上さんなどのように芸術系(文系)の方から建築の世界に入ってくる人が多くなっているのも特徴的な部分ですね。
今や建築だけでなく、音楽、芸術などの世界でもすでに70年代以降へのシフトが進んでいます。個人的に新しい世代への期待と凄さを実感はしているものの、どこかにしっくりこない部分が残ります。以前からそのしっくりこない部分について考えてみました。
それはとても内向的であること。社会よりも自分という意識が強い。
とても漠然とした心理を表現している感じがするのです。分かりやすいところでは、昔の歌謡曲。詩的な表現でありながら情景が浮かんだり、心理を取り上げたものでも、自分と他者とのあり方が題材になっています。だから子供でも演歌を受け入れられたし、家族で口ずさめる曲が多かったと思います。今の曲はもっと漠然とした詞が多いです。それは内面にあるつかみどころのない感情を題材にしているからで、ある意味同じ気持ちを持つ共感者とは直接心理に結びついていくので凄い事だとは思いますが、とてもピンポイントになってしまいます。
まだ、文学や美術や音楽はアーティストの内面性を表現した作品と位置づけできますからいいと思うんですが、建築やデザインはどうでしょう?
僕はここで何度かアートとデザインの接近を紹介してきましたが、興味深いと思える反面、本来の役割について考える疑問点が浮かび上がってきました。
それは、建築やデザインが私的なものでいいのかどうかという部分です。
デザインはまだ代替えがきき、消耗もはやく、多様性があるので、機能を求める部分以外のものがあってもおかしくは無いのですが、建築となるとちょっと違う気がするんです。鑑賞するデザインはあっても、鑑賞する建築って無いような気がするんですが。
今の建築は、特に30代の若手の作品は面白い。でも、面白いと思う部分はもしかしたら異様な部分なのかも知れません。その異様が果たしていいのかどうか僕には分かりませんが。
TV番組のビフォー、アフターの中のビフォーでとんでもない構造の物件が登場しますが、その家が建てられた頃は建築家のアイデアが効いた、いい空間だったんだろうと思います。狭い家の中でいかに有効的に使うか?それが押し入れの中に階段があるといったことに繋がっていく。よく言うと空間を有効的に使う、悪く言うと変な構造。これは古くなったから悪くなったのではなく、最初から背中合わせに持っている見方の違いです。大抵の場合最初はいい方から見て、あとで悪い方に見方が変わってく。結婚するときは「自分に持っていないものをもつところに惹かれた」といい離婚のときは「性格の不一致」になる。そもそも好きなところも嫌いなところも同じ部分なのです。
番組の中ではビフォーの時の異様さを強調しますが、アフターの中で取り入れたアイデアは本当に素晴らしいものなのでしょうか?30年後の子孫が見た時にはそれは異常に写るかもしれません。
ポストモダン建築にも異様性はありました。でも、あれは社会的意味を持った私的なもので、現在の建築の動きとはちょっと違うようにも見えます。こういった流れは社会の流れと同じなのですが、建築の分野までもがこの流れに同調すべきかどうか不安めいたものが感じられるのも事実です。
また、今世の中は「ほっこり系」と呼ばれるスタイルで満ちあふれています。
昔で言ったらカントリースタイルに近いのかもしれませんが、内容は和物やヨーロッパ、北欧なども混じり、特にハンドクラフトの革もの、リネン、陶器類が人気です。
活版などの古い印刷スタイルも手作り感覚としては共通の意味合いをを持っています。
本来、機械製品だけでなく手作りのぬくもりを大事にしたり、エコやスローフードなどもいい事である事には間違いありません。
しかし、ここ最近「脱ほっこり系」がすこしづつ登場してきています。本来の人間らしい生き方に戻るための「ほっこり」であったはずなのに、そこから脱却しようとしているのはどうしてか?結局、手のぬくもりなんてものは売り手側、買い手側の説得材料でしかなく、流行なのではないでしょうか。「うちはハンドクラフトにこだわっています」と言うお店がそういうものが流行らなくなった5年後や10年後にはたしてこだわり続けているでしょうか?
建築しかり、ライフスタイルしかり、長いスパンで考えるべきものがファッションや消費の対象になっていることに違和感を感じます。
最近、お店が面白く無いのがそういったところ。東京には似たようなスタイルのお店が溢れ、地方もそれをこぞって真似をしていく。
ミッドセンチュリーが終わったら、北欧、そしてほっこり。僕だって気持ちが変わるから自分のライフスタイルは変わって当然。でも、なぜ全てが同じ方向に変わるのでしょうか?かたくなにイームズを売ってたって、セレクトに節操無くてもオーナーの気持ちが感じられたらとても楽しいお店だと思うんです。海外に行くとお店にワクワクするのはそういった一方向に進んでないで、それぞれが、それぞれのものを売っている事だったりします。
だから、地方に旅行に行ってわざわざ東京と同じようなお店に行きたいと思いません。おなじハンドクラフトにこだわるなら、30年同じ事をやっているおばちゃんのやっているようなお店に断然感動します。
先輩方おじいさん、おばあさんの方がより自分らしさを持っています。
若い人たちがそういった自分らしさを出せるまで、あと何年かかるでしょうか?
逆に若手の建築家達は個性的だけど、こういった個性は本当に必要なのか?
矛盾する2つの個性が今後どうなって行くのかを見守っています。