今日、次々号STUDIO VOICEの特集で、
クワトレにて
A田寛さんとK野さんの3人で、これまたグラフィック談義がありました。いつものごとく僕だけ変な発言が多かったと後になって思っています。詳しくは本誌をご覧ください。
そもそも、編集部のS本さんからいただいた対談内容は“MAC以降,素人でもデザインが出来るようになって,グラフィックの本質が薄くなってしまった。そこに原点を見つめ直す意味を込めて喝を入れたい”というものでした。僕はそれについてはちょっと懐疑的でした。“昔は良かった”というのはどうも好きでは無いのです。でも,ご周知の通り僕は過去のものを集めています。そこには何があるのでしょうか?と、対談しながらうっすらと分かってきた事がありました。僕自身,過去のデザインはかっこ良かったという観点よりも、バカみたいに熱い思いが伝わるものに惹かれるのです。
50年代〜60年代はデザイナーも企業も青くて、お金にもならないようなPR誌を作ったりしています。雑誌もそうだった。僕が小学校2年生の時、書店で手にした『POPEYE』の創刊号。今みたいにたくさん広告が入っていないのに今の倍くらい厚い。そこにはUCLAとかの学生のキャンパス・スナップがあったり、ハングライダーやスケボー、コンバースやアディダスなんかのスニーカーが。これはもう衝撃的でした。その1年前にも『
Made in USA Catalog』が出て,アメリカ物の洗脳を受けていましたが,もっとカルチャーに寄ったPOPEYE(『宝島』でもやってましたが,小学生の僕にはPOPEYEの方が分かりやすかった)は更に衝撃的でした。なぜあれだけあの時僕が感動したのかというのを最近になってようやく分かってきました。それが、バカみたいに熱く、取材や編集をしている人たちの“ワクワク感”が伝わってくるからです。根性とかじゃあないんですよね。ほんとに好きでやってる。もしあれが,ドキュメンターリー系のジャーナリストの取材だったら,僕はその後アメリカ文化に傾倒せず,人生も大きく変わっていたでしょう。『宝島』はもしかしたらこっち寄りだったからあまり衝撃を受けなかったのかもしれません。
今回の対談でも20代以下の人たちに本が売れないという話になりました。1つはお金に余裕が無いから。僕はもう1つを欲しい本が無いからだと思っています。表層的なものではなくて、心に直結するような、心からワクワクする本が無いのだと思うんです。昔『新人類』なんて言葉がありましたが,それを借りるとすると20代から下の世代は僕たちにとって『ニュータイプ』です。感情に支配され,そして抑制され、次から次へと生まれてくる新しい機械(携帯やコンピューターゲーム)をいとも容易くマスターしてしまう。感覚的に物事をキャッチする能力がとても高いので本質を見抜く能力もとても発達しているように思います。その点は見習わなくてはなりません。だから僕自身も心に直結する物を生み出す事を使命としています。そのためには,先人がどうやってワクワクしてきたか知るために,集めている事がようやくぼんやり見えてきたのです。
また対談でも若者にパクリネタ本は厳禁という話がありましたが,過去の作品を紹介しても結果パクリネタの公開にしかならないのでは?と思います。僕たちがやらなければならないのは,先人のワクワクを咀嚼して“今”というエッセンスを加え新しい価値をアウトプットすることです。レトロスペクティブの特集を組む編集者はそこをブラしてはいけないと思います。
そして今一番ワクワク感を伝えられるのが“世界観”です。A田さんの話の中に,今学生が一番なりたいのは雑貨デザイナーというのがありました。ポスター1枚でワクワク感を伝えるのは難しいのですが,雑貨屋さんだったら1つの世界観がみえてワクワクしやすいのです。雑貨屋さんの店内には好きな物もあれば嫌いな物もあり、グッドデザインがあれば,バッドデザインもあります。これは社会の縮図のようにいい物とダメな物がうまくパズルのように組み合わされて1つの絵が完成されています。つまり,コンセプトがしっかりしていればいい物も悪い物も包括できる。以前にも話したグラフィックデザインの衰退はこういった世界観を表現できるクリエイティブディレクションに取って代わられるということです。既に若きデザイナーのタマゴたちはクリエイティブディレクションの方向へ向いています。