山口のお店の商品選定のためにいろんなメーカーのカタログを見ているんですが、ちょっと気づいたことがありました。
今まで多品目だった商品が劇的に少なくなり、カラーバリエーションなどに移行していることです。僕も5、6年前から多品目的な展開に疑問を持っていました。(僕はさらにカラーバリエーションもそんなに必要ないと思っているんですが)
当時、妻が某ステーショナリーメーカーのデザイナーで、彼女の考えるデザインも明らかにそういった感じでした。しかし、当時はまだキャッチー路線が主流だったこともあり、その殆どは廃盤になっています。数年経った現在、以外に受け入れられるものが多い気もします。そのメーカーの最新のカタログを見てもそう感じました。
会社員時代、デザインや企画を毎日山のように生み続け、若い頃はいいんですが僕たちが歳をとったとき、そんなに仕事をやっていけれるのかということに不安を感じました。楽をしようとは思っていませんが、死ぬまで継続した仕事をやっていられる道筋を考えなければならなかったのです。その答えの一つが、がんばって作ったものを継続的に販売していく方法(定番商品)です。ウチはその手法として商品展開と出版を見つけました。
定番として何年も愛されるものを、と僕たちの気持ちはそういう方向に進んでいましたが、現実は違っていました。半年、1年くらいで発注が少なくなり、廃盤にせざるを得ない商品も増えていたのです。
4年前、CIBONEと共同でファンシー(デザイン)文具と無印良品の間を埋める定番文具『Nowaera』を制作しました。どんどん変わっていってしまうデザインへの危惧、その反動が一切の装飾を外してしまった無印良品であり、それにもまた可能性の否定として危惧を感じていました。コクヨのCampusやツバメノートみたいなものは作れないのか?そこからプロジェクトが始まったのです。様々な要因があり、結果的に定番商品として継続されることは無かったのですが、その制作をしている過程の中でメモ帳のサンプルとして
ロディアを研究しました。ロディアはまさにフランスのロングライフデザイン。あんなにシンプルなメモですが、ディテールをみていくとこれがまたよく考えられている。この構造であの価格はとても真似できません。
それから最近、ある事に気づきました。全く同じと思っていたロディアが微妙に変化していることです。10年、いやそれ以上のロングスパンによるそれもとてもマイナーなチェンジです。そのとき大きなことに気づきました。ロングライフデザインというのは常に動いているということです。定番を作ろう!と意気がって1回魂を込めただけではいつか消耗してしまうということを思い知らされたのです。
そういえば、某自動車メーカーの開発費で最もお金をかけているのは無難に一番売れている車種だということを聞いたことがあります。大きなリニューアルがある以外ほとんど何年も変わっていないデザインの車です。海外の人も「あの価格であのクォリティはなかなか出来ない」と言っていました。長く売れ続けているものは実は最も改良されているのかも知れません。だから、改良無しに10年、20年生きながらえさせようという僕の気持ちは甘かったのです。
ロングライフなデザインに
カイ・フランクの有名な
カルティオというグラスがあります。50年くらいの足跡をたどると、原型は現在と全く違う。形状も素材も厚みも色も全く違い、別商品と言ってもおかしくないです。ロングライフという一つの言葉では言い表せません。
スーツやジャケットで「これは定番ですから、一生ものですよ」と言われて定番になったものを見たことがほとんどありません。細かなシルエット、ボタンの数や襟の開き具合など定番ですらも時代を経て変化してるんですから。
先日、海外行きの飛行機の中で『
ナガオカケンメイの考え』を読みました。彼も言っていましたが、ロングライフデザインと言う提案はある意味危険なことです。新開発や沸き上がるクリエイティブな考えを否定しかねない。D&Departmentが販売している
ACEや
カリモクの商品も一度は市場から必要ないデザインとして黙殺されたものです。ノスタルジックや見たことも無い昔の斬新なデザインがキャッチーで受け入れられているだけかも知れません。本当のロングライフか判断されるのは20年後とかに生き残っているかどうかです。もし残っていなかった場合、ロングライフという言葉自体がLOHASのような流行購買促進語なのかもしれません。現在再生産されているそれらの商品が、日々マイナーチェンジをして今の時代に適した商品であるのか、僕は裏事情を知りませんが、ただ復刻しただけ、定番にしようとしただけではいずれ衰退していくと思います。僕自身が考える最近の『定番商品復活』現象は流行のような気がしてならないのです。
ロングライフ自体が悪いのではなく、ロングライフに依存することが危険だと思うのです。最近『3丁目の夕日』などノスタルジックなマーケットが盛り上がり、安倍総理の『美しい国へ』など古き良き時代の回帰思想が大きくなっています。みんな『昔は良かった』といいますが、ほんとに良かったのでしょうか?昭和30年代の様々なデータを見ていくと軽犯罪は現在の3倍、所得格差は大きく、よって今よりもはるかに差別や格差社会が強かった。教育のレベルの低さも問題視されていました。何かその時代のいい部分だけを見ているのです。現在があるのはあの時代に満足できなかったから。高度成長期を支えた人たちが「昔は良かった」と発言するのは無責任極まりないです。あの時代の人が2007年と今(1950-60年代)どっちがいいですか?と質問されたら多くの人が迷わず2007年と答えたでしょう。実際に当時に戻ったら、みんな「早く現在に帰りたい」と思うでしょう。そうなったとき定番もまた消費されて消えてしまうのです。何年かに一度訪れる古着ブームに似てますね。
僕も最新のデザイン事情を追っかけながらも、ロングライフに根付いたものは好きだし、そういうものを残していきたいと考えているのはナガオカさんと変わらない部分なんですが。ただ、僕自身考える重要なことはロングライフ=手間をかけるということです。長く生きながらえさせるには手間をかけ、常に今であるのかを探りながら現代の人に受け入れられるものを提供していかなくてはならないと、自戒も込めて考えているのです。