金沢21世紀美術館のデザインギャラリーで
『小さな小さな雪の世界』というスノードームの展覧会が開かれているようです。
僕も最近お土産マニアになっており、ここ数ヶ月でこの展覧会と同じくらいの数を一気に集めました。古いものでは戦前の万博ものなどがありますが、個人的には通常よく見かける半球体の安っぽいものが好きです。特に60年代くらいのものは金型のクオリティは悪いんですが、彩色など手作業には凝っていてとてもいいです。先日海外の観光地でもスノードームやフローティングペンなどを買い込んできました。
僕はなぜか古いスノードームなどによくあるノスタルジックな感じを受けません。10年ほど前、僕は60〜70年代のプラスティック家具を集めていて、家のインテリア全部がプラスティックでした。その頃インタビューされたんですが、こんなことを言いました。
僕のプラスティック熱はおもちゃから始まったんですが、ブリキのおもちゃにはたいして興味がありませんでした。おもちゃコレクターで有名な北原氏は幼少の頃に叶えられなかったブリキのおもちゃへの想いをノスタルジーを込めて集めはじめましたが、僕はその次の世代、集め方もかなり違っています。巷で流行っているヴィンテージジーンズをみんながノスタルジーでは無い部分から受け入れているように、機械化された文化の中に個別性を見いだすという20世紀以降の新しいものの見方を含んでいるんです。
簡単に言うと例えばナイキの70年代初期のスニーカーは大量生産されましたが、復刻で生産してもどこかが違う。その理由はテクノロジーの発展。ナイロンや染料などの素材は新しいテクノロジーによって進歩しています。だから同じナイロンでも質が違っています。昔の方が素材の質は悪かった。この悪さに惹かれるんだということです。コレクターになるほどオリジナルに執着するのは、完璧を求める心理にこの質の悪さ、手作りの甘さの部分に無意識的に救いを求めてるんじゃないかなと思うことがあります。
今、サビものや古い紙ものが受けていますが、それも実はノスタルジーじゃなくて、無垢を求めようとして疲れてしまっている心を、こういったもので埋め合わせていく感じに受取れます。最近、ヴィンテージですら技術的な加工で表層だけそれらしく見せるものが増え、特に若い世代の人には受け入れられています。モノに対する価値観も、10年後くらいには全く変わっているかもしれません。