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Carrara


今日、いつもお世話になっているパリのギャラリー・クレオからDMが届きました。
このギャラリー40回目になる展覧会は最近何かと僕のまわりで噂になっている、ジャスパー・モリソンです。
DMの表紙になっているのはちゃぶ台のような小さなテーブルで、ジャスパーがギャラリー・クレオのために2004年デザインしたCarrara Tableというもので、大理石でできています。
 
ここのギャラリーはコンテンポラリー・デザインを中心とするデザイン・ギャラリーで、今までもカンパーナ兄弟やブルレック兄弟、ヘラ・ヨンゲリウス、マーク・ニューソンなどなど、世界的な錚々たるデザイナーにデザインを依頼し、このギャラリーが製造、販売いています。先日も話したパトロンをしながらデザインの歴史に参加しているお店のひとつです。僕もいつかこんなギャラリーが出来たらと思ってます。
 
今回の展覧会タイトルは“Carrara tables and museum pieces”意味ありげなタイトルで、写真にはアノニマスデザインも並んでいます。来週AXISではじまる『スーパー・ノーマル展』に繋がる何かジャスパーの思惑が見え隠れします。
 
6月8日から7月26日まで行なわれているので、パリに行かれる方は是非チェックしてください。
| Design | 23:48 | comments(0) | trackbacks(1) |
カミネンド

 
nendoから今日本が送られてきました。2冊目の作品集を出したようです。よく見ると2005年の作品をまとめた物らしい。
 
昨年2月のストックホルムでデイビッド・デザインのパーティの夜、遅れてきたnendoの3人から「柳本さん、今回にあわせて本を作ったんです」と、nendo初の作品集をもらいました。その作品集はそれまでの彼らの作品をまとめたものでしたが、2005年版はそれよりも厚い。ここ1年で飛躍的に仕事が増えたようですね。昨年のストックホルム・ファニチャー・フェアでも話題になっていたのが印象的でした。
 
彼らの作品にはひらめきが常に感じられます。アイデアというよりも、人をクスッと笑わせるような事だったり、情緒を感じさせる日本的な美学がそこにはあります。ある部分では深澤さんとも似た、そこが海外のメーカーから指名がくる所以かもしれません。
 
僕がこの本の中で気になったのが、昨年大阪で行なわれたガンダム展のカラースキーム。ガンダムというメカニックでアイコン化されたキャラクターをそのまま使うのではなく、色彩だけを抽出して、ストライプ化し、それを会場の什器や壁面、オリジナルグッズの展開などに使っています。これに近い物を2004年末、オランダのブック・デザイナー、イルマ・ボームが手がけていて、これは今度紹介します。手法としては全く新しいものでは無いのですが、日本を代表するアニメキャラをここまでした事はある意味画期的でもありますね。
 
前回のカミネンドは少し企画書的で会社案内のような内容でしたが、今回はシボネの横川さんや鄭さん、名児邪さん、森田さん、渡部さんなどのコラムやインタビューによって客観的なnendo観が取り上げられていて、より面白くなったんじゃないでしょうか。
| Design | 23:27 | comments(1) | trackbacks(0) |
SILENCIO


深夜番組でデビッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』をやっていました。僕が好きな映画の一つです。しかし、とても難解な映画でもあります。現実と非現実が入り交じり、時間の設定がバラバラなのがその理由です。北野武の『TAKESHI'S』もこの手法を取り入れていますね。そもそもはテレビ番組『ツイン・ピークス』で大ヒットをおさめ、次回作として提案されましたが、あまりに難解、あまりに過激な内容からお蔵入りしてしまった物を、フランスの資本で映画として作り直された作品です。
 
デビッド・リンチは光と影を表現します。『ブルー・ベルベット』のオープニングシーン。アメリカの幸福な暮しのシーンが60年代黄金期のポップスにのって、スローモーションで広がっていきます。消防車が郊外の住宅街を通り、そこには庭の水まきをする人、消防士に向かって手を振る人が映し出されます。すると、水まきをしていた男性が脳卒中で倒れ、勢いよく飛び出す水圧でホースがクネクネと庭を這い回るシーン。『マルホランド・ドライブ』でも田舎のダンスコンテストで優勝した少女がハリウッド女優にあこがれロスにやってきます。そこには夢のような世界と結局破滅の道に入り込んでしまう影の部分が共存しています。この2作品にはブルーがキーカラーになっています。ブルーは死のメタファーとして使われています。この2作品には共通する部分が多く見られます。『ブルー・ベルベット』では幸せの青い鳥を信じている少女。『マルホランド・ドライブ』ではマッチ売りの少女やフランダースの犬のように、妄想の中で幸せを膨らませる不幸な少女(年)というような童話の物語性。ミスター・アメリカといってもいいポップ・シンガー、ロイ・オービンソンの曲の引用などです。
 
たまたまですがBSで今日、映画『真珠の耳飾りの少女』をやっていました。オランダの天才画家、フェルメールの話です。彼もまた光と影を巧みに使い、メタファーではありませんがブルーを多用している事で知られています。
 
僕もリンチ同様、ロイ・オービンソンが好きです。彼の歌で一般的に知られているのは「プリティ・ウーマン」でしょうか、僕はリンチのように切ない曲が好きです。彼の曲はin DreamsとかLonelyとかを多用します。もの凄く内向的な詩が多いです。リンチは画家としても知られていますが、彼の作品もまたin my roomとかonlyとか内向的なタイトル、色使いです。以前紹介したビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンもまた内向的な詩を多く書きます。3人に共通して好きな部分の1つがこの内向性にあります。
 
このリンチの映画にも、人間が誰もが持ちうる内向性、現実と非現実の葛藤が悲しいラブストーリーとして描かれています。でも、本当に不幸せだったでしょうか?途中で導入するクラブ・シレンシオのシーンは恐らく最後のブルーの髪(写真の人)の「お静かに」にかかってきます。主人公のダイアンの気持ちを代弁するように歌われる泣き女の歌はカミーラの心に届き、二人は泣き崩れる。しかし、このシレンシオは死の世界。ここに来てやっとお互いが心を共有できたと推測します。最後の「お静かに」は、2人をこのままそおっとしておいてやって、という意味に感じられるんです。
| Movie | 23:58 | comments(2) | trackbacks(1) |
Don't Think ! Feel !


「考えるな!感じろ!」ブルース・リーの代表作『燃えよドラゴン』の中の台詞です。カンフー映画の俳優として有名な彼ですが、実際も武道家であります。ここまでは大分知られていますが、彼が哲学者だとはあまり知られていません。シアトルのワシントン大学で彼は哲学を専攻していました。
 
彼はこの大学で哲学論文『生ーものの調和』を書いています。この中で西洋哲学と老荘思想を比較し、全く新しい理論を展開しました。また、ここではフランスの哲学者、デカルトを批判しています。デカルトが唱えた自己の存在、つまり人と人の間、人とモノの間に生じる区別をし、これがヨーロッパの大きな思想になっていますが、悪くとらえると差別や環境破壊に繋がっていきます。ここをブルースは批判したんです。彼はモノと人、人と人の関係性を肯定し、論文の中ではこう書いています。
 
「水」は私で「月」はあなたです。水が無ければ、月は映らない、一滴の水があれば、月はその姿を映します。水は月のかが役を、月は水の透明さを明らかにします。
 
ブルースは関係性を「水」と「月」を使って表現しています。お互いが無ければお互いの存在は生まれない、と。
 
また彼の中では、渡米前に学んだ詠春拳の哲学がありました。詠春拳は柔をもって剛を制す、小さい人が小さい力だけで大きい人を倒す技です。最小限の力で、相手の力を利用し、相手を倒します。渡米後、中国人である彼のまわりは偏見や差別で満ちあふれていました。小さい人はある意味こういった差別を受けるマイノリティでした。彼は西海岸で黒人や、日系人、中国人移民など差別せずに武道を教え、彼らの心の中に自由と解放の悟りを導き出しました。そして、武道と哲学を一体化させた『截拳道(ジークンドウ)』を生み出しました。このことは『魂の武器』というブルースの著作として今でも読む事が出来るので、興味のある方はどうぞ。
 
ブルースが唱えた哲学は現代の僕たちにも訴えかけています。人と人の関係、人とモノの関係、自己の存在はその関係性が無いと生まれないのです。
「考えるな!感じろ!」と彼が言ったように、僕たちはどうしても頭で考えてから行動をしています。感じながら生まれていくモノや人との関係を大事にしなければならないと、自分自身も戒めています。
| Philosophy | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
教養とは何か?

 
深夜、爆笑問題VS東大(教授&学生)の講談をやっていました。
教養とは。学ぶとは。というテーマでした。
 
僕自身今頃になって、やっと学ぶ事の意味を少しだけ分かってきたように思います。
今でも、殆どの人がいい会社に入るためだとか人生の勝ち組になる条件に近づくためだとか思っているでしょう。僕自身も社会人になって物理や化学、古文なんか必要ないから意味が無いと思ってました。
 
何年か前、ある数学者が、算数(数学)をやる意味は答えを見つけ出す事ではなく、答えを見つける過程を知る事であると言っていました。数学の答えは1つしかありません。でも、答えの出し方は何通りもあります。言い換えると真理は一つ、しかし真理を掴むには様々な道が用意されている。ということです。つまり、本来は哲学的な意味を持っているんですね。仏教が生まれたインドで数学が生まれたのも必然だと思います。
但し、今の教育では“答えの出し方”つまり、方程式を教えます。要はこうやったら簡単に真理が掴めるよ。という最短の道です。僕はそこが学問の歪んだ出発点だと思います。
 
様々な道があるはずなのに学校では「この道を行ったら楽だよ」になってしまった。それによって、僕たちは1つの道しか知らなくなったように感じます。その道から外れたら落ちこぼれになり、人生の敗者になるような、本来の意味とは真逆のことです。また、発見は感動を生みます。苦労して勝ち得た答えだからこそ価値があるもの。楽な道を簡単に通ったとき、答えは感動的なものではなくなっています。人生において、いつかその道が通用しなくなったとき、どうしていいかも考えられなくなります。
現に東大生の質問や意見の中にも、どういう人と付き合ったらいいかとかとかがありました。みんなHow Toを求めてるんです。
 
爆笑太田が、世の中で使えない知識で頭でっかちになるのは良く無いんじゃないか?と言ってました。太田はもっとどうやったら、ウケるかとか自分の生活に準じたリアリティに徹した方がいいんじゃないかと。僕は、そうは思いません。確かにこういう技術ができたらお金はもらえるとか、食べ物が作れるとかベースとしては必要です。僕のブログで節操なさそうにいろいろ取り上げている一見人生とは関係なさそうなことであっても、僕にとって真理を知る上ではとても重要なプロセスなんです。
 
また一人の学生が自分の言っている事が難しくて分からないのは、まわりがそこまでのレベルに達してないからで、まわりの水準を上げるのが必要という意見がありました。これに対し太田が返した答えには共感がありました。立川談志は自分の噺がウケなかったら、客のレベルが悪かったとは言いません。自分の表現が及ばなかったと反省し、精進するんです。大学の講義だって大抵つまらない授業をする教授は、生徒の理解力が原因と思っているので自分の表現力が劣るとは感じていません。もちろん相手側にも問題がありますが、自分自身を知り、自分の意識していない部分に落ち度があることも知らなければならない重要な部分なんです。常に自分の本心さえも疑う事をしなくちゃいけない。
 
僕自身教養とは“自分を知る事”だと思います。何故、こういう時に嫌われるのか?とかなんでこの商品が売れるのかとか、なんで人は自分の気持ちを分かってくれないのか?何でこのデザインはいいのかとか、その答えは自分の中にあります。それを知るためにどうやって自分が生まれたのか、どうしてこういう風に考えてしまうのかを知ろうとすると、量子力学や心理学、哲学、史学、脳科学などが必要になってきてしまうから、ここは変なカテゴリ−に収まらないようなブログになってしまいました。
この歳になって、無性に学びたくなってきました。本来こういう僕みたいな無性に学びたい人のために大人が集える学校があるといいなあと思っています。少子化で学校がどんどん淘汰されるわけですから、カルチャースクールよりももっと本来の学びが出来る環境を大人や高齢者向けにビジネスシフトしてもらいたいと思います。
| Culture | 23:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
Midnight Airport
2年ほど前、神戸に新しくお店を出すのでウチの商品を卸して欲しいというメールが来ました。既に取引をしているお店とかなり近かった事もあり、最初はちょっと曖昧な返事をしました。そのお店はエアライン物とアパレル系を中心にした商品構成という事もあり、先に取引していたお店に承諾を得て、卸す事が決まりました。オープンしてから初めてお店を訪れると、暖かく迎えてくれ、サインをしてくれ、とボロボロになったウチの本『Departure』を差し出されました。ここまで読み込んでくれてとても嬉しかったです。それから2年、今では定期的にリピートをしてくれる太い関係のお店のひとつになりました。名前をNOTAMといいます。
 
昨年、阪神大震災から10年ということで、神戸では大々的なイベントが行われました。このイベントのひとつと、NOTAMの1周年という事で、なぜか僕のトークショーをやって欲しいとの依頼が舞い込んだんです。大勢の人前で話をするなんて無かったので、少々戸惑ったんですが、その頃はブログもやってなかったし、メディアの通しての一部の情報が一方的に伝えられていることにストレスを感じていたこともあり、そろそろ自分やGlyph.という会社の話をしてもいいかなと引き受ける事にしました。
 
Midnight Airportというタイトルがつけられ、僕のトークショーなんて聞きたい人がそんなにいるのかな?あんまり来なかったら申し訳ないなあと思いつつも当日を迎えました。タイトルの通り、120分の夜のトークショーで進行の星加さん、NOTAMオーナーの大前さん、そして僕と3人の対談形式です。会場はライトを落として、ステージだけライトが当たっている関係で僕からはお客さんの顔が見えません。どのくらい来てるのかも見えなかったので、おかげさまで緊張する事もありませんでした。
 
120分はあっという間。殆どのお客さんがGlyph.のファンでありながら、殆どウチの全貌を知らない人らしいので、初めて直接聞くウチの活動についてが最も興味の対象だったようです。僕はトークが終わるとステージ裏にすぐ引っ込む演出になっていたので、来てくれたお客さんとの交流があまり出来ませんでした。
後で聞くと100人以上のお客さんが来てくれ、遠くは仙台から神戸まで来てくれた人もいました。NOTAMのお客さんですが、こんな僕の話のために来てくれた事は感謝です。ウチのファンは飛行機好きが多いので、トーク内容があんまりそこに重点が置かれておらず、心配でしたが、スタッフの話によると、お客さんが徐々に前のめりになっていった現象が面白かったそうです。メモを取られている人もいたそうで、以外に楽しんでもらえたようでよかったです。但し、僕はせっかく来てくれた人達にちゃんとお礼が出来なかった事を後悔しています。イベント終了後、コアなファンの方数人と2次会をし、結局朝まで語り合いました。
 
そして今年もNOTAM2周年イベントということで、6/17にMidnight Airport2が開かれます。昨年の反省をふまえ、今回はもう少し小規模にすることにしました。会場音楽を昨年2次会で朝まで付き合ってくれ、Haraxさんがやってくれる事になりました。時間が足りないという意見が多かったので30分ほど増やし、さらに希望者は2次会参加も募ることにしました。既に予約を開始しているようで、2次会参加者がほんの一部かなと予想していたところ、殆どの人が希望を入れているらしく2次回会場選びを再考しているそうです。今年も楽しんでもらえるような話を計画中です。興味がおありの方がいましたら是非ご参加ください。ドリンク料だけで入れますんで。
| Culture | 23:55 | comments(6) | trackbacks(1) |
ミラノ土産

 
昨日、ご近所のブログ仲間の集いを表参道のモントークで行ないました。メンバーのひとり、after tさんとはPenの対談ぶりです。彼は仕事でミラノサローネへ、帰ってきてすぐまたイタリアに行ってました。その彼からのサローネ土産が写真のものです。最近話題のエスタブリッシュド&サンというイギリスのメーカーのフリーカタログです。
 
この会社を作ったのはアリステアという人であのオサレ雑誌Wallpaperを立ち上げた人物です。ポール・マッカートニーの娘でファッションデザイナーのステラ・マッカートニーの旦那でもあります。数年前、彼が生み出したWallpaperの権利をタイムワーナーに売却、それによって巨額の富を得、それを元手にもはや道楽といっていい家具メーカーをつくりました。
 
ザハおばちゃん、フューチャー・システムズなどにデザインを依頼、1000万円を超えるアート家具を作ってます。彼の凄いのが常に話題を振りまいてくれるところ。先日もアメリカのフリップス・オークションにザハのテーブルを出展し、売ってる値段よりも高い落札価格でさらに儲けてしまいました。かと思いきや今回のサローネではジャスパー・モリソンの作品を制作。ワインの木箱をり・デザインしたある意味スーパーノーマルな超お買い得家具を発表しました。
 
僕はアリステアのような生き方に共感しています。常に興味ある物に目を向け、常に文化的に貢献し、ステイタスを持った者の生き方を示してくれているような気がするんです。
マネーゲームの中でお金から更なるお金を生み出すだけのIT長者に、彼のような生き方を学んで欲しいと思います。人間の人生なんて長くて100年くらい。そこでどんだけ認められたって小さい気がします。自分が芸術の歴史に参加して残った作品は、数百年いや数千年後世に語り継がれます。どうせ生きた証を残すんだったら、未来のために何か残して欲しい気がするんです。
 
芸術はパトロンによって作品を作る事ができ、それによって歴史が生まれてきました。狩野派だって、ダ・ビンチだってクライアントがいたから名作が生まれたんです。戦前のお金持ちは大抵、そういう文化的な援助をしています。そんなにお金持ちでなくても、例えば温泉旅館だって文学作家の宿を提供したりしてそこで名作が生まれました。戦後の事なのに今でも太宰がここで○○を書いたんです。なんて宣伝に使って結果タダにした以上に儲けています。新撰組だって坂本龍馬だってそういったパトロンに支えられていました。
ブルーノ・タウトだってフランク・ロイド・ライトだって 日本に残っている貴重な建築や作品は当時のお金持ちのパトロネージュによるものです。
 
戦後、なんかそういう器量のあるお金持ちが極端に減りました。お金持ちじゃなくても文化的に貢献する人もいなくなりました。戦前より豊かなところはあるはずなのに精神的に豊かさに乏しい感じがとてもします。だからアリステアのような生き方は僕たちが考えなければならない部分を先頭に立って歩いてくれている気がするんです。僕はお金持ちじゃないけれど、僕レベルでも出来る文化的貢献をいつも考えています。
| Design | 23:57 | comments(3) | trackbacks(0) |
笑いがビジネスを変える

 
たまたま見た番組で、アメリカの航空会社“サウスウェスト航空”の事を紹介していました。この会社のビジネス手法は様々な企業で注目されています。
 
9/11のテロや最近の原油高の影響で、航空業界の経営は大変なことになっています。そんな中で売り上げを伸ばし、中小企業にも関わらずこの数年でJALの4倍以上の成長を遂げたのがサウスウェストでした。何が変えたのか、そこには柔軟な企業体の確立。そのための楽しい会社作りがありました。
 
サウスウェストのテディ会長の企業理念がその背景にあります。彼は経費削減、営業強化など普通の企業がやる直接的な収益アップの方法ではなく、まず社員のモチベーションを向上する事を考えました。この会社には企画文化推進室という部署があります。簡単にいうとレクレーション部です。そして毎週社内では運動会やパレードが行われます。常に笑いが絶えません。そして、事務服のようなユニフォームも廃止し、Tシャツ、ジーパンでみんな出勤します。書面での事例や報告などが極端に少ないそうです。これは、会長や社長自ら本人と対面して物事を進めていくからです。企業のトップが一社員と同じ目線で話す事で会社への信頼と自分への自信も生まれてきます。この内部改革が社員のストレスを軽減し、柔軟な対応、柔軟な発想で問題を対処していく事でサービス全体に変化をもたらしたそうです。
 
収益が上がった直接の理由は利用運賃の値下げです。でもただ値下げしただけでは一過性のことになりかねません。そこに大事なのはフレンドリーなコミュニケーションでした。アテンダントはみんなフランクに乗客に話し、時には笑いも生みます。この親しみが価格競争の中で勝ち残る一つの要因になりました。
中小企業は大手の利権にはかなわず、予約センターなどからサウスウェストは締め出されました。普通の会社だったら存亡の危機です。ここで柔軟な頭になっていた社員がレクレーションの中でいいアイデアを生み出します。それがインターネットによる予約システムです。これによって今は当たり前になった予約システムが確立したんです。
 
また9/11のテロ以降アメリカではセキュリティチェックが厳しくなり、乗客のストレスもピークに達していました。そこでまた社員のアイデア。スーツケースを開けたとき、事前に用意した特大パンツを広げて『これは誰のですか?』と上の写真のように叫びます。ピリピリした現場には笑いがもれ、誰もが暗い気持ちになっていた空気が変わりました。
 
こういった社員個人個人の柔軟な対応は企業の姿勢、つまり笑顔を会社に作りストレスや緊張を和らげることにあります。緊張感ある場では誰も自分の発言を躊躇します。笑いの中で発言をしやすい環境を作る事で、会議が有意義に変わったいった実例も番組ではあげていました。会社は社員によって成り立っている事を忘れてはいけません。
 
昨年AXISで開催したブラニフ展ではそこを伝えたかったんです。最近の企業はロゴをリニューアルしただけで、売り上げが変わると思っている。それは表層の部分でしかありません。ブラウンは50年前ロゴを一新しました。でも、変えたのはロゴだけではありません。今のアップル社のような斬新なプロダクトを生み出しました。でもそれも見えるところ。社屋、工場を有名建築家に手がけさせ、社員、工員の環境を向上させ、それによりモチベーションを上げさせました。モチベーションが上がると作業効率が上がったり、不良が減ったりします。
 
僕も以前企業のモチベーションアップの思索の仕事をしました。メーカーにとって売り上げを5億円上げる事は大変です。その会社は不良損害が年間19億円ありました。僕はプラスをよりプラスにしていくより、マイナスをプラスに返る方が簡単にできるんじゃないかと思い、モチベーション向上によるクォリティアップの内部キャンペーンを企画したんです。思った通り不良は減り、売り上げも上がりました。さらに『あそこの商品は不良が多いよね』という噂も減り、イメージもアップしたんです。
 
ブラウンは50年前からそれを実践していたんです。実際ドイツの工場に行くと、みんなが誇りを持って仕事をしていました。工場の隅には身障者に機械の操作を教えるトレーニングセンターもありました。また、僕自身今回の仕事で知った事が多くありました。会場でも展示・掲示したんですが、例えば社内に掲示するレクレーションなどのポスターがとてもかっこいい。たとえ社員だけであってもクリエイティブには妥協しないところが伺えます。また資料で知ったのですが、小学校とか中学くらいの最終学歴しかない工員などのための高等教育の無料スクールなどもあったようです。
 
一番驚くのはノベルティでした。何でもないただの既製品、例えば火縄などを笑えるウィットに富んだ付録のブックレットで紹介します。その中には火の歴史から火縄の有効利用の仕方(例えばネクタイとか)を紹介しています。これを銀行やクライアントに配っていたそうですが、普通の人が考えるとこんな物なんで配るの?となるでしょう。でも深読みするとそこには企業の姿勢、哲学的なメッセージすら含まれているのです。出なかったら融資先に配ったりなんてしません。その他にもブラウンには驚くようなことがありました。それはおいおいお話したいと思います。
ある意味ブラウンの歴史的なプロダクトは他にも見る機会があるだろうし、資料になる本はたくさん出ています。僕たちプロジェクトチームが本当に伝えたかった事はそこにあって、それは現代の企業に向けた、物作りに関わる人達に向けたメッセージでした。
 
今、内部の人間が変わったら会社が変わると思っている人は少ないと思います。でも、そこに会社をよりよくする要因と、物を作り続けるだけでない成長の一因があるように思います。
| Culture | 23:59 | comments(1) | trackbacks(0) |
3つの北欧展

 
本日、目黒庭園美術館で行なわれている『北欧のスタイリッシュ・デザインーフィンランドのアラビア窯』を見てきました。ここ何回かフィンランドについて書きましたが、この皆さんご存知のフィンランドもまたリアル・フィンランドの一部分ではあります。最も一般的に知られた部分ですね。
 
ヘルシンキの市内にはイッタラ(ここにアラビア、ハックマンなどもあります。)やマリメッコ、アアルトの家具を作っているアルテックなどがお店を構えています。マリメッコは社長が替わって最近モードよりになりましたが、以前はお金持ちのおばちゃんが買い物をするお店でした。アルテックやイッタラの一部も高級な部類なので、観光客かやっぱりお金持ちに好まれているようです。普通の家でもこういったブランドの食器などはそれなりに入り込んでいます。ドイツやスイスなどの中央ヨーロッパにも同じ事がいえますが、みんな物を大事に使います。悪くいえばケチなんですが、高くてもいい物を買ってずーっと使い続けるのが特徴です。フィンランドもおばあさんの時代から使っているなんていう食器が多いようです。街のアンティーク屋さんはそういった民家を一軒一軒あたって、買い取っているそうです。
 
さて、展覧会ですが庭園美術館でいつも思う事があるんです。それはメッセージが伝わってこないんです。展示品の約半分は現在も購入可能か、絶版でも数千円で購入できる物が多く、へたしたらアンティークのお店の方が量も質も良かったりします。また、展示物も情報も少ない。タイトルの通りであるならもっと生活にどうやって取り入れられていたかというシーンや、カイ・フランクがディナーウェアにどれだけの革命をもたらせたのかを表現してもいいかと思います。歴史を追って物を展示するだけならある程度の人であれば誰でも出来ます。しかもアラビアである必要もありません。多くの部分が会場であるアールデコの様式で建築された旧宮邸に支えられています。もし、同じ展示をただの箱だけのギャラリーでやったとしたら、入場料1000円は文句が出るでしょうね。展示品は19世紀末から現代の物までになりますが、ポスターがどうみても最近の北欧好きを意識した食器だけ(50~70年代の)を使っているのであれば(こういった人を囲い込みたいのであれば)、もっと特化してこの時代の物だけを大量に見せるだけでも良かったように思います。ただ、日本語で解説や人名、作品名(フィンランド語は読み方が難しいので)を知るとてもいい機会だし、図録も以外としっかり作られています。6/18までやってます。
 
夕方帰宅すると、スウェーデンから郵便が。開けると、現在スウェーデンのグフタフスベリ・ミュージアムとナショナル・ミュージアムで同時に行なわれているスティッグ・リンドベリ展の図録でした。送り人はガムラスタンにあるレトロ・ホームというお店です。ウチのストックホルムガイドブックにも書いていますが、ここのオーナーが監修したものです。このお店は多分リンドベリ物ではスウェーデン一番、いや世界一でしょうね。高いですけど。
 
ベルソ(葉っぱ柄)の方がナショナルミュージアムの図録。約120ページでカラー図版も多く、以前に出たリンドベリの作品集とも内容が違い、資料として買いです。この展覧会は今月11日から始まり、2007年の2月までやっているそうなので、時間があれば見に行きたいと思います。このミュージアム、企画展以外は無料で、デザインの歴史展示がされていてとてもいいです。
 
人物が表紙のものはグフタフスベリ・ミュージアムの展覧会図録です。こちらは65ページとちょっと薄いのですが、リンドベリ自身やアトリエの写真、見た事も無い写真が多かったのでこれもまたとてもいい資料です。この展覧会も来年1月まで開催されています。ちょっと郊外ですけど、夏はのどかでいいところですよ。1Fには工房があって、制作を見る事が出来ます。2階はミュージアムになっていて、膨大な量の歴史的作品を見る事が出来ます。陶芸体験コーナーやオーガニック・カフェもあります。横にはアンティークのマーケットがあって、日本ではレアものが普通にまとめて買えます。ちょっと離れたところには現在生産されているラインのアウトレットもあります。そこに行く機会があったら、アウトレットの裏に行ってみてください。もう使われていませんが、リンドベリが使っていた工房が残っていて、彼の作った陶器の表札が今でも付けられていますから。
 
北欧の日用食器は人間と物の関係を密にしてくれる感じがします。今日本でこういった北欧の食器が受けているのは希薄になった関係性によって荒んだ心ががそういう物を求めるからだと思うんです。デザインはそういう意味でフォルムではない心の渇望を満たす部分が今、求められている気がします。
| Design | 20:01 | comments(3) | trackbacks(0) |
リアル・フィンランド2

 
久しぶりにCDを買いました。ウチで仕事をしていると音楽は欠かせないもののひとつになっています。昔からレコードやCDは結構買っていて,一生かかっても聞ききれない量が倉庫に眠っています。自宅には1000枚くらいのCDだけありますが,それでもいつも聞くのは5,6枚ほどです。
 
最近はもっぱらワールド・ミュージックに集中しています。今回買ってきたCDも全部その部類に入ります。バリ、ブラジル、ハワイアンなどですが、それぞれちょっとアクが強いものばかり。バリ・テクノだったり、ラテン・ジャズファンクだったり、です。その中の1枚が写真のものです。Janita(アニータ)というフィンランドのミュージシャン、でも歌うのはボサノバです。
 
本国ではとても人気があるそうで、これもまたリアル・フィンランドと言えます。ボサノバはけだるい中にもラテン系の軽快なリズムが刻まれますが、アニータの声はもっと乾いていて、オルタナティブな感じがあります。以前、SAABのブログにも書きましたが、北欧は音楽も面白いです。ケルティッシュなロックや、スウェディッシュ・パンク、クラシックも盛んです。日本もレゲエからヒップホップなんかがあるように、世界のどんな国でも外国の音楽を吸収した自国の音楽があります。
 
先日ブラジルでパーカッショニストとして活躍しているSさんと話していたんですが、ブラジルでもヒップホップは盛んで、でもどこか地方の民族音楽の引用があるそうです。ダブのように編集を多用したクラブ音楽のようなものも面白いようです。先日もモロッコのオルタナティブ・フォークやナイジェリアのテクノを聞きましたが凄い面白かった。でも、ウチのBGMとしてはあわなかったんで買わなかったんですけど。
 
その国の色を出すとき、レコーディングってとても大事ですね。僕は詳しくは分からないけど、同じ機材を使ってもレコーディング場所によって音が全然違います。ある日本のロカビリーバンドのメンフィスのSUNというレコード会社のスタジオで収録した曲を聴いたとき空気感が全く違いました。ここはエルビスがでマイナーデビューした時に使っていたスタジオです。僕はエルビスがまだ自分の音楽を確立していなかったり、若かったからと思っていたんですが、スタジオが関係していたんだと気づかされました。プロデューサーやアレンジャーによるところもとても強いと思いますが。10年ほど前、日本でもスウェーデンでレコーディングする人が多く、やっぱり北欧独特の乾いた感じがしました。アニータのCDもブラジルでレコーディングしていたら全然違っていたかもしれません。
 
海外でレコーディングするっていうのは、かっこつけだけじゃなくてこの空気感が重要なんですね。今は機材などどこでも揃ってどこでも出来そうですけど、こういったテクノロジーでは表現できない部分が録音というテクノロジーの作業に残されている事はとても重要な事だと思います。
| Music | 23:40 | comments(0) | trackbacks(1) |
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