4月29日から話題の映画「グッドナイト&グッドラック」が公開されます。
これは、実話に基づくアメリカの体制とジャーナリズムの戦いを描いたジョージ・クルーニーの作品で、2006年のアカデミー賞で6部門のオスカーに輝いたものです。
日本公開を前にして、CBSドキュメントでジョセフ・マッカーシーとエド・マローのレポートをやっていました。
マッカーシーはアメリカ版魔女狩りとして悪名高い、共産主義者の弾圧「赤狩り」の首謀者です。この時代のこの運動を彼の名前を取って「マッカーシズム」と呼んでいます。現在この言葉は“卑怯”などを指す言葉として使われているそうです。
彼は議員としてはあまりうだつがあがらなかったそうで、自己を主張するためにある意味共産党員狩りを利用したといっても言いでしょう。当時のFBI長官フーバーと共謀しながら、ある時には誇張し、ある時にはでっち上げ、次々にアカのレッテルをはっていき、アメリカを恐怖政治に陥れました。例えば何年か前に別れた前妻が共産党員だっただけで刑務所行きにされたり、冤罪を主張した弁護士は自殺まで追いつめられたりしました。彼は巨大な権力を持ち、時のアイゼンハワー大統領でさえ、彼に従うしかないといわれていたほどです。
メディアも彼を批判するなど考えられない、そんな事をしたら即座に共産主義に加担したとして業界から追放されるからです。でもそこに唯一批判を買って出た人物がいました。それがアメリカのTV局CBSのジャーナリスト、エドワード(エド)・マローでした。
彼は自分の番組「See It Now」で、マッカーシー批判をしました。やり方はある意味マッカーシー風でしたが、マッカーシーの失言や人を陥れる時のにやけた顔などを編集し、放映したんです。どう見ても大衆には悪代官にしか見えないように。放映後TV局には電話や投書が絶えなかったそうです。もちろん冷戦中の保守派の批判もありましたが、それをかき消すほどの賛同だったそうです。
明らかにマッカーシーには不利でした。翌週の同番組でマッカーシーは弁明のための出演をします(上の写真がその時のもの)。それまで、大衆は新聞や雑誌などでしか彼の事を知らなかった。そこに悪代官顔が登場、しかも弁明は彼の教養の無さを明らかにするだけでした。民意は一気に彼を追いつめ、権力は全く無くなり、彼の脅威におびえていた政治家達は皆、彼を擁護しませんでした。彼は昔から大酒飲みだったそうで、落ちぶれてからそれが加速し、荒れた胃のためにバターの塊を食べるほど酒に溺れたそうです。結局それが原因で亡くなりました。
エド・マローはTVという当時は新しかったメディアを最大限に利用した真のジャーナリストとして、現在も英雄とされています。その後のドキュメンタリーや報道番組などをみるとジャーナリズムに相当な影響を与えたのは確かです。僕が彼の立場だったら、そんな事できたでしょうかね。そこまでは多分出来なかったと思いますが、裸の王様は嫌いです。マローほどではないけど、正しかったとしても、間違っていたとしても僕が自分で感じた事は体制を客観的に見る事はとても重要に思っています。僕自身も、裸の王様にならないように自分なりに客観視したり、妻から、人から厳しい見解を聞いたりするようにしています。
何年か前にAXIS誌でファッションデザイナーの山本耀司氏が書いていた事が心に残っています。話はこうです。VOGUEという雑誌はファッションの中でのジャーナリズムという信念を持って登場したメディアでした。どんな偉大なデザイナーであっても、客観的にダメな時はちゃんと批判できるような。でも、その中でも一番だといわれているイタリアンヴォーグの編集長が、彼(山本耀司氏)の顔色を伺い、パーティで天皇のように扱う。真のジャーナリズムはどこに行ってしまったのか?という嘆きでした。
僕は会社員だった頃、クライアントの前では自分を殺して全部要求を受け入れてました。僕だけじゃなく、全ての人が。もちろん一つには会社の一人として僕自身関わっているので会社に迷惑をかけられませんから。相手が明らかに間違っても反論する事はなかった。
でも、逆に責任をその人に持たせる事が出来るんです。あなたが言ったからやったんですよって言えるから。凄い無責任なことです。
独立し、僕は背負っているものがなくなり、クライアントに切られても別に構わない、嫌われたらもう仕事こなくていいやと思えるようになってから、クライアントの違うと思う事はちゃんと言うようになりました。でも、それが相手には愛情だと、本当にウチの事考えてくれてるんだと分かってくれたんです。それからは受注発注の関係でなく、同士として見てくれるようになったんです。ある財閥系大企業では会長自らに呼び出されて、食事をしながら「今度D通に、これ頼もうと思ってるんだけど、どう思う?」なんて相談もされるようになりました。批判している事を言葉のままストレートに受け取ってしまう人もいますが、それが愛情からきているものだと分かってくれる方が多い事も知りました。
僕だって「チャック空いてるよ」って言われる事は嫌ですが、分かってるのに言ってくれなくて多くの人に恥をさらすよりはマシだと思います。愛情の反対語は無視ですからね。