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Design Pitch終了
本日、Design Pitch無事終了しました。
 
世田谷ものづくり学校(IID)の交流会でもあったらしく、プレゼンターもIIDに事務所を置く人達が多かったのですが、皆さん結構有名な方だったので(裏方の人が多いので名前は知らなくても、手がけた作品を見ると大きな仕事をみんなしてます)入場無料でこんな話を聞ける機会は貴重だと思いました。お客さんもその辺をよく分かっていて、しっかり耳を傾ける人、メモを必死で取る人など真剣な人が多かったですね。昨年は100人ぐらいだったそうですが、今年は200人ほど入ったそうです。
 
当日2つサプライズがありました。1つは当初11人のプレゼンターを予定してまして、僕は最後から2番目でしたが、最終プレゼンターがドタキャン。僕がトリになってしまったこと。もう1つは殆どの人が“21世紀の原っぱ”というテーマではなく、自分のプレゼンテーションに比重を置いていたことです。内容は面白かったんですけどね。
僕は逆に、自己プレゼンテーションなんか考えておらず、ちょっとやってる事を口頭で話して、お題目をプレゼンしました。
 
他の人がみんな、建築と緑のあり方とか、エコとかそういった視点でプレゼンさせると予測し、僕はインナービジョン(創造の中に芝生に寝転がっている自分を創造して、ひと時の平和を感じる)によっていつでも、どこでも、何もなくても原っぱを作って、日頃のストレスから解放されて、平和な気分になることによって、実際平和的になっていけたら。と、僕自身21世紀はテクノロジーや産業ではなく、心の時代になる事を提案しました。
 
このイベントはクレアテラという芝生や屋上緑化のためのグリーンを作っている会社が協賛していて、当日のプレゼン優秀者に、賞金が出る事を聞きました。実は僕がもらっちゃったんです。理由は1つ、お題目をちゃんとプレゼンしたからでした。他にも岡嶌要さんが“葉っぱ君”というキャラを作って受賞。田村圭介さんが住宅に洞穴を作った実例の紹介をして受賞しました。僕よりも細野ひで晃さんの学生と作った“原っぱショートフィルム”の方がよかったと思いましたが。
 
プレゼン終了後、質疑応答のコーナーがあって、皆さん一人くらいは質問する人がいるんですが、僕にはいませんでした。パーティが始まって、ようやく「グリーンカレーを食べるか!」と思ったら僕の前に次から次へと人が集まり質問攻め。
 
昨年神戸でやったミッドナイトエアポートという僕のトークショー以来、仕事以外の一般の人達と話す機会がなかったので、とても嬉しい事なんですが、結果カレーが染みたパンしか食べれませんでした。残念。
 
でも、僕の事を知る人も、このブログを読んでいただいている人も、全然知らなくて、プレゼンを聞いて興味を持ってくれた人も、僕にとってはいつもメディアやウチの商品を一方的に発信しているだけなので、交流するとてもいい機会でした。また、今年もミッドナイトエアポートの第二弾、今度は予定では大阪だそうです。詳細は今後書きますが、また皆さんと交流できるのを楽しみにしてます。
| Design | 23:59 | comments(7) | trackbacks(0) |
イマジネーションの素質

 
打ち合わせの雑談で、ある人が最近秋葉原に行った話をしました。少し興奮気味に。以前にここのブログでも紹介しましたが、今秋葉原は一大テーマパーク化しています。それまでの秋葉系ボーイは最先端の人達だったので、大衆化してしまった秋葉原から既に離れて、他の街でひっそりコミュニティを作っています。今秋葉に来ている人達は、メディアで取り上げられてからやってきた、第3、第4世代くらいの人達でしょうか。

興奮しながら話す彼の、秋葉の面白さは誰もがストレス無く、自分のやりたい事を受けてくれる人と需要と供給のバランスがとれ、快楽に満ちている事。「桃源郷」のようで、自分が暮らしている俗世間がリアルなのか、秋葉がリアルなのか分からなくなってくる。なんて事を言ってました。
秋葉にいる人達は皆、何かを演じ、自己の存在を表に出します。演じている部分ではリアルでないのかもしれませんが、世の中自分の主張によって“出る杭は打たれる”事を嫌がり、自己主張を隠している事があるとしたら、演じてでも自己を出せるという事は、自分らしさをリアルに表現しているのかもしれません。そこでは、いくら自己主張しても、批判でなく、受け取ってもらえる人によって形成され、誰もがアイドルになり、誰もがご主人様になれるんです。
 
秋葉は萌え産業一色で語られますが、ここはもともと電気街ですから、電気秋葉系も存在します。それが写真の人達。子供の頃、ラジオ少年だった人達が、古い真空管やトランジスタのラジオを持ち寄って談議で盛り上がるコミュニティを作っています。彼らにとっても秋葉は少年時代の気持ちを取り戻す事の出来る快楽の街であるでしょう。
 
 
都築響一氏の写真集で『イメクラ』というのがあって、風俗のイメクラの店内写真を集めたものです。例えばあるお店の部屋は電車の中のようなインテリアになっていて、吊革が下がっています。ここまで、イマジネーションを膨らます産業が他の国にあるでしょうか?秋葉もそういったイマジネーションを解き放つ街になっています。
 
このイマジネーションはどこから生まれてくるのか? 僕は日本人が日頃使っている言語の中からイマジネーションのトレーニングがされているように思います。
例えば会話の中で「あの時の、アレって、アレじゃない?」って言っても相手は理解します。過去にあった出来事を相手は記憶の中から引っ張り出して、アレ=何かを認識しています。でも、例えば英語でこんな事言ったら全く通じないでしょうね。
 
ラテン系の言語では何人称かによって助詞や形容詞などが変化する複雑な言葉です。フランス語なんかは女性詞、男性詞があります。ドイツ語は感情や時間の経過によって動詞が変化したりします。でも、日本語には言葉すら超越したイマジネーションを使った会話が成り立っています。前に挙げた“アレ”や“ソレ”もそうですが、“ソワソワする”などの擬音語や擬態語も使います。言葉の中に存在しないものをニュアンスで受け取るというこの複雑な言語こそ、日頃からイマジネーションのトレーニングに繋がり、新しい創造をする源となっているような気がします。
 
テクノロジーに関して日本は世界一の産業大国となりました。今は産業は中国などに移行しています。でもこの日本人のイマジネーションの素質は、また何か新たな経済を生み、日本を世界一にしていくと確信しています。それは新しいテクノロジーかもしれませんし、アイデアやコンテンツかもしれません。
| Culture | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
エシカルなデザイン

 
ちょっと前ですが、Esquireの見本誌が送られてきていて、やっと読む事が出来ました。
既に読まれた方も多いと思いますが、特集が「愛すべきデザイン」ということで、10人の方(キュレーター)が自分独自の視点からデザインミュージアムのコレクションを選んでいます。個人的な知り合いも多く、いつも飲んでる時には出ない真面目な話だったので、とても興味深い内容でした。
 
N山さんはここでもたまに名前が出ますが、スタイリストなのでそんなに知識が豊富というよりは、感覚的なところが強い人です。彼女は本文の中で「民芸品が持つ一種の怖さ」と言っていますが、まさに感覚的にその部分をつかみ取っています。民芸品はアミニズムやシャーマニズムにも繋がり、土着的な“暗部”も内に秘めています。黎明期のモダニスト達は、こういった部分にも脅威や恐怖を持っていたんですから。
 
今回の特集でも一番興味深かったのが、T川さんのところでした。タイトルにもしたエシカル=論理的、道徳的デザインに関する内容でした。ここで彼がコメントしている言葉を少し紹介させていただくと「デザインは本来、社会のため、人間のためという観点から生まれたと思う。しかし、現在のデザインの多くは先人たちが形作ってきたデザインから外れて、商品を売るためのメイクアップになってしまっている。デザインが論理的じゃあないんですよ。」
 
僕も前から思っていることだし、ここでも何回かとりあげています。また彼は「デザイナーの名前を冠にして商品価値を上げるのは本末転倒、デザイナーも流れに巻き込まれて目新しいだけで短命なデザインの濫発も目につく。」だからエシカルが必要なんだと。
僕も以前ここで「デザインって本当に必要?」と投げかけたのは、デザインの否定ではなく、その部分の濫発されるデザインの必要性に疑問を感じ、それを皆さんがどう思って、どうしたいかを聞きたかったからなんです。僕自身も一部企業側にまわる事もありますが、企業側のイデオロギーにとても不信感を持っています。
 
先日も代理店の人と飲みながらこんな話が出たんですが、「昔は1つの企画をじっくり、丁寧に作ったけど、最近は即効性のあるものを他提案するスタイルにかわった」と。これは企業側が年功序列賃金から出来高制に変わった歪みでもあると思います。社員は会社がどうあろうと、自分の収入がアップする事、次にどこで働こうかと考えるようになりました。彼らにとっては短期的に結果を出し、自分の功績を会社に認めてもらうことに全力をつくします。これは一時期の実績を上げますが、長期的な会社のブランドを構築する事では無かったりします。
 
また、80年代以前は定番商品というものが多かったのですが、それ以降で10年以上ロングセラーを続けている商品がどのくらいあるでしょうか?僕はこれは流通の仕組みの変化がもたらしたと思います。家電量販店は新商品を好み、アピールします。例えばカメラの棚が1年間全く商品が変わらなかったらどうなるでしょうか?コンビニや量販店の拡大はある意味、メーカーに多大な恩恵をもたらしましたが、その一方で道徳的観点がないがしろになってきた事も事実です。
 
情報の加速化は結果的に短命なデザインの濫発をも加速させてきたことになります。
かといって、生産を縮小、停止してしまうと日本経済に大打撃が生じます。一部をハードからソフトに移行するということもありますが、僕自身明確な答えは見つかっていません。双方の問題をどう折り合いを付けていくかが今後のデザイン、産業、経済に重要な意味を持ってくると思います。
| Design | 23:53 | comments(1) | trackbacks(0) |
Good Night, and Good Luck.


4月29日から話題の映画「グッドナイト&グッドラック」が公開されます。
これは、実話に基づくアメリカの体制とジャーナリズムの戦いを描いたジョージ・クルーニーの作品で、2006年のアカデミー賞で6部門のオスカーに輝いたものです。
 
日本公開を前にして、CBSドキュメントでジョセフ・マッカーシーとエド・マローのレポートをやっていました。
マッカーシーはアメリカ版魔女狩りとして悪名高い、共産主義者の弾圧「赤狩り」の首謀者です。この時代のこの運動を彼の名前を取って「マッカーシズム」と呼んでいます。現在この言葉は“卑怯”などを指す言葉として使われているそうです。
彼は議員としてはあまりうだつがあがらなかったそうで、自己を主張するためにある意味共産党員狩りを利用したといっても言いでしょう。当時のFBI長官フーバーと共謀しながら、ある時には誇張し、ある時にはでっち上げ、次々にアカのレッテルをはっていき、アメリカを恐怖政治に陥れました。例えば何年か前に別れた前妻が共産党員だっただけで刑務所行きにされたり、冤罪を主張した弁護士は自殺まで追いつめられたりしました。彼は巨大な権力を持ち、時のアイゼンハワー大統領でさえ、彼に従うしかないといわれていたほどです。
 
メディアも彼を批判するなど考えられない、そんな事をしたら即座に共産主義に加担したとして業界から追放されるからです。でもそこに唯一批判を買って出た人物がいました。それがアメリカのTV局CBSのジャーナリスト、エドワード(エド)・マローでした。
 
彼は自分の番組「See It Now」で、マッカーシー批判をしました。やり方はある意味マッカーシー風でしたが、マッカーシーの失言や人を陥れる時のにやけた顔などを編集し、放映したんです。どう見ても大衆には悪代官にしか見えないように。放映後TV局には電話や投書が絶えなかったそうです。もちろん冷戦中の保守派の批判もありましたが、それをかき消すほどの賛同だったそうです。
 
明らかにマッカーシーには不利でした。翌週の同番組でマッカーシーは弁明のための出演をします(上の写真がその時のもの)。それまで、大衆は新聞や雑誌などでしか彼の事を知らなかった。そこに悪代官顔が登場、しかも弁明は彼の教養の無さを明らかにするだけでした。民意は一気に彼を追いつめ、権力は全く無くなり、彼の脅威におびえていた政治家達は皆、彼を擁護しませんでした。彼は昔から大酒飲みだったそうで、落ちぶれてからそれが加速し、荒れた胃のためにバターの塊を食べるほど酒に溺れたそうです。結局それが原因で亡くなりました。
 
エド・マローはTVという当時は新しかったメディアを最大限に利用した真のジャーナリストとして、現在も英雄とされています。その後のドキュメンタリーや報道番組などをみるとジャーナリズムに相当な影響を与えたのは確かです。僕が彼の立場だったら、そんな事できたでしょうかね。そこまでは多分出来なかったと思いますが、裸の王様は嫌いです。マローほどではないけど、正しかったとしても、間違っていたとしても僕が自分で感じた事は体制を客観的に見る事はとても重要に思っています。僕自身も、裸の王様にならないように自分なりに客観視したり、妻から、人から厳しい見解を聞いたりするようにしています。
 
何年か前にAXIS誌でファッションデザイナーの山本耀司氏が書いていた事が心に残っています。話はこうです。VOGUEという雑誌はファッションの中でのジャーナリズムという信念を持って登場したメディアでした。どんな偉大なデザイナーであっても、客観的にダメな時はちゃんと批判できるような。でも、その中でも一番だといわれているイタリアンヴォーグの編集長が、彼(山本耀司氏)の顔色を伺い、パーティで天皇のように扱う。真のジャーナリズムはどこに行ってしまったのか?という嘆きでした。
 
僕は会社員だった頃、クライアントの前では自分を殺して全部要求を受け入れてました。僕だけじゃなく、全ての人が。もちろん一つには会社の一人として僕自身関わっているので会社に迷惑をかけられませんから。相手が明らかに間違っても反論する事はなかった。
でも、逆に責任をその人に持たせる事が出来るんです。あなたが言ったからやったんですよって言えるから。凄い無責任なことです。
 
独立し、僕は背負っているものがなくなり、クライアントに切られても別に構わない、嫌われたらもう仕事こなくていいやと思えるようになってから、クライアントの違うと思う事はちゃんと言うようになりました。でも、それが相手には愛情だと、本当にウチの事考えてくれてるんだと分かってくれたんです。それからは受注発注の関係でなく、同士として見てくれるようになったんです。ある財閥系大企業では会長自らに呼び出されて、食事をしながら「今度D通に、これ頼もうと思ってるんだけど、どう思う?」なんて相談もされるようになりました。批判している事を言葉のままストレートに受け取ってしまう人もいますが、それが愛情からきているものだと分かってくれる方が多い事も知りました。
 
僕だって「チャック空いてるよ」って言われる事は嫌ですが、分かってるのに言ってくれなくて多くの人に恥をさらすよりはマシだと思います。愛情の反対語は無視ですからね。
| Culture | 23:59 | comments(4) | trackbacks(0) |
ギャルファッションと携帯ビジネス

 
今日からエビちゃん出演のガールズウォーカーのCMが始まりましたね。
僕は今、大手携帯キャリアのショッピングサイトに関わっています。
携帯で物を買うという事は、まだまだ定着していませんし、僕も買った事はありません。でも、今後大きなマーケットになってくるのは確実です。
現在、携帯を有効的に使っている最大のマーケットがいわゆるギャルマーケットで、ガールズウォーカーはそこでもかなりの成功を収めていることから、常日頃勉強会がなされています。
 
トーキョー・ガールズ・コレクション(TGC)が先日行なわれて話題になりました。ギャルブランドでも人気の高いところが時期コレクションを発表し、モデルも赤文字系(Can Cam,JJ,VIVI,Rayなど雑誌ロゴが赤を使っている事から言われている名称)のトップモデル、押切もえやエビちゃん、土屋アンナ、LENAなど、DJはNIGO、ライブでDefTeckやAIが登場し、ビジュアルを村上隆が手がけ、よくまあここまでお金をかけましたという感じ。
web,携帯サイト、そしてTGCを運営するのはゼイヴェルという会社。現在様々な分野から注目されています。僕も仕事の関係で注目しています。
 
オンラインショップの告知はオンラインで、とよく言われる事ですが 携帯関係の仕事をやっていて違いが明確に分かってきました。大きいことは携帯のサイトへの誘致は雑誌媒体がとても強い事。携帯の画面では買い物しようにも画面が小さく、ディテールなんか分かりません。だからそれを補完するメディアが必要になってきます。インターネットはシシェアが小さく、そこでも直接買えますから補完になりません。一番有効的なのはやっぱり雑誌。どんな田舎でもコンビニにある雑誌と携帯さえあれば、今話題のおしゃれ洋服が買えるんです。雑誌でディテールを確認し、最近の雑誌はQRコードが付いているので、ダイレクトにサイトに入り、あとはボタンを押せば買えるんです。だから、携帯のサイトをヒットさせたいのであれば、雑誌などの媒体で告知する必要がおおきくあります。最近インターネットでもそれは波及してきて、街で楽天の無料カタログなんかが配られてます。
 
ゼイヴェルの凄いのは雑誌との連携の太い事、最近ではフジTVのドラマ「ブスの瞳に恋してる」でその日放映されるエビちゃんの着ている服がトータルで買える(連動している)こと。こういったドラマのなかまでダイレクトショッピングは入り込んでいるんです。
 
今は、ギャルマーケットが特化してますが、これから携帯ビジネスはかなり広がって行くでしょう。現在、携帯で電話料金とあわせて請求できる金額は3万円です。今後上限が大きくなってくれば、僕たちが欲しいような物も扱われる日はそう遠くはありません。そして以前は雑誌など紙媒体は無くなるとよく言われましたが、補完する意味では、とても重要なツールになるので、今以上に必要になってくるでしょうね。
| Culture | 23:18 | comments(0) | trackbacks(10) |
Design Pitch
今週末、IID(世田谷ものづくり学校)で「デザイン・ピッチ」というイベントがあります。異業種の方々が集まって、テーマに対する持論をプレゼンテーションしあうという内容です。
 
実は今回僕もプレゼンをする事になっています。
今回のテーマは「21世紀の原っぱ」
まだ、何を話すか決めてませんが、そろそろ考えなくては・・・
 
当日のプレゼンターは以下の通り
寺田真理子(キュレーター/M.T.プランニング・204建築/IID入居者)
井上隆夫(シネマトグラファー/Liverary.com(school代表)/IID入居者)
佐野恵子(アクシスギャラリーキュレーター/株式会社アクシス)
田村圭介(建築家/RUTA・204建築/IID入居者)
村澤一晃(家具デザイナー/MURASAWA DESIGN)
岡嶌要(デザイナー&スカルプター/フリーランス/IID入居者)
安東陽子(テキスタイルデザイナー/株式会社布)
丸野優(クリエイティブディレクター/Culture Engineering Foundation INC./IID入居者)
細野ひで晃(映像ディレクター/THE DIRECTORS GUILD/IID入居者)
高松聡(クリエイティブディレクター/SPACE FILMS、ground/IID入居者)
そして僕になります。
 
一人の持ち時間は10分ほどですが、どんなことになるやら・・・
| Culture | 23:39 | comments(2) | trackbacks(0) |
老人と若者のコミュニケーション

 
今日、ドキュメンタリー番組で、あるニートの青年がうどんの味に衝撃を受け、おばあちゃん1人でやっているお店に弟子入りし、その後のれんわけされたお店で、自立し仕事を通して生きる事の喜びを知るという内容でした。
 
実は、先日出張で讃岐の近くに行ってきたんで、タイムリーな話題です。
あの辺はコンビニが殆どありません。そのかわり、うどん屋さんが軒を連ねます。自販機もうどん販売用。素うどんで50〜100円、番組のおばあちゃんの店も70円です。インスタントラーメンより安いから、脅威でしょうね。ちくわなんかのトッピングを入れても2、300円です。お店によってぶっかけが美味しかったり、釜揚げが美味しかったりするので、僕みたいな外部からきた人間は、小盛りのうどんを頼んで、数件はしごするのがいいです。あと、うどんだしで煮込んだおでんが大抵のお店にあってそれもうまいです。
 
ちょっと話がそれてしまいましたね。僕はこの番組で注目したのはおばあちゃんと、この青年のコミュニケーションでした。先日、内藤朝雄、後藤和智共著の『「ニート」って言うな!』を読みました。(またそれてますが)これによると、ニートとは大人社会が「若者が悪いんだ」と決めつけて自分たちを正当化するためのキーワードとして使われていること。根底には怠業批判があるようです。そして、ニートには2種類あって、意図的に怠業している人と、就労意欲はあるけど、様々な理由、原因があって出来ない人に分かれるそうです。現在問題になっているニートの急増は実は後者の方であって、前者はそれほど変わっていないようです。よくわからない学者や、問題としか思っていない政治家に寄ってねじ曲げられた問題でもあるんですね。
 
就労意欲があってもそれを発揮できない理由の中には、人間関係が怖いと言う事をよく聞きます。自分自身が勝手に恐怖を作っていたり、打たれ弱かったりする事が大きいのですが、それは社会的な環境がそうさせたという部分も大きいです。自分の味方だと思っていた家族ですら、社会性の中では敵になり、自分を攻撃してくる。このままではダメだと思いつつも、社会の圧力によって自ら閉ざしてしまう。番組中に出てくるおばあちゃんは、決して若者達を批判する事はありません。ジェネレーションギャップはあるでしょうけど、とても寛容に受け止め、青年も閉ざしてしまった心を自然に開いていくんです。そして若者達はおばあちゃんに絶対的な信頼を向けています。
 
番組の終わり頃、青年はのれんわけをされた自分の店をはじめました。おばあちゃんにつれられて、麺の行商に行った時は、おばあちゃんの絶妙な会話で完売してしまいましたが、自分一人になったとき、行商にいっても、誰も買ってくれませんでした。青年は独り立ちに恐怖と不安が募りました。そこへ、おばあちゃんが様子見にお店へ。おばあちゃんに試食してもらうと「うまい」と一言。青年はとても心細かったので、おばあちゃんの励ましに涙が止まりませんでした。実際オープンすると店は人だかり、本当の自立がスタートします。
 
ニートの青年が一杯のうどんで社会への復帰を決意しました。僕たちが方法を何か考えようが、政府が対策を考えようが、心がこもった仕事(うどん)一つで、その後の人一人の生き方を変えてしまうんです。僕たちは一体何を空回りしてるんでしょうね。世代を超えた真のコミュニケーションはどんな対策よりも意味のある方法なんじゃないかと思えてなりません。
| Culture | 23:59 | comments(3) | trackbacks(0) |
丸井キャンペーン

 
1ヶ月ほど前に丸井からGWのキャンペーンの相談がきました。Airline(旅)をコンセプトにするという内容でした。ウチがDEPARTUREを出したのがちょうど3年前、先日のTitleといい、大体3年くらいでマニアックなネタからマスに移行するようです。
 
丸井のサイト用にはデータ化されている画像を提供したので、ウチの本をご覧になっている方には目新しいものは無いかもしれませんが、とても良く出来ているので楽しめますよ。
 
ご覧になりたい方はここから。エアラインデザインミュージアムというところをクリックすると、航空グラフィックが鑑賞出来ます。少しづつ更新するそうなので、何回か見てください。今後音楽のサービスや壁紙提供もするらしいですよ。
| Life | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
僕と君の全てをロックンロールと呼べ

 
お茶の間の皆さん。フジテレビの「僕らの音楽」で、サンボマスターが出てました。
僕とは表現の手段が違うけど、彼らの言動や歌には何か共感でき、僕と共通する何かを前から感じてました。
 
全ての夜と全ての朝にタンバリンを鳴らすのだ。そのぬくもりに用がある。
いいですね〜
| Music | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
漫画は日本の古典芸術?

 
NHKで絵巻に関する番組をやっていました。日本に絵巻が登場するのが平安時代。絵巻そのものは、中国やインドなどで既に存在していましたが、実際に起こった出来事を絵画として残した史実や仏教の教えのような真実が基本になっています。日本の絵巻物が世界でも異なるのは、フィクションが存在するからです。
 
例えば、最も有名なのは源氏物語絵巻。ご存知の通り、源氏物語はフィクションです。この絵巻は現在の研究によると、皇族かそれに近い身分の人が、当時の数十人のアーティストを募って描かせた豪華作品といわれています。上の写真は東屋シーンの2にあたるものですが、ちょっと変なところが分かりますか?一つは光源氏の息子、薫(写真右)のパース。背景がかなり上目のアングルなのに対して、人物は平行に見ているくらいの構図。これは読者が客観的に屋根の上あたりから傍観しているのですが、登場人物にいたっては、より場面に読者が入り込んでいる主観的な視点に変えているんです。その左の浮舟が登場する女性の場面。右の男性と大きさが違いますよね。これは、男性がこの場面では主役であり、それを際立たせていると言われています。そして、実は襖を通して男性と女性の場面は違っている、漫画でいうとコマ割りの罫線なんです。場面が違うから人物の大きさが違うんです。昔の人は、絵巻物を巻き取りながら読んでいたそうで、いわばアニメーションのフィルムのように見えていたんでしょうね。
 
他にも、時間の経過を同じ画面を繰り返しながら表現したり、漫画の表現によく使われる。走っているスピードを表現するための線や、吹き出しのようなものもあります。こう考えてみると、12世紀の日本美術は現在、漫画となって継承しているということになります。そうすると漫画そのものは、れっきとした日本の伝統的な美術なんですね。
| Art | 23:38 | comments(1) | trackbacks(0) |
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