遅ればせながら、
府中市美術館で行なわれている「純粋なる形象」展を見に行ってきました。
府中は20年くらい前に1年ほど住んだ事があります。しかし、この物覚えがいい僕が全くと言っていいほど駅前の雰囲気を覚えていないんです。もちろん20年で駅ビルなんかなど相当変わってはいるものの、街並まで変わるはずないのですが。。。
BRAUNやディーター・ラムスといったらこのブログでも何度となくエントリーしてきました。人は置かれている状況などによって物事の受け取り方が変わりますが、僕もその度にい受けた想いが変わっています。今現在、僕はデザインという枠から一歩足を出したスタンスにいること、と言いながら様々なプロダクトデザインの開発でデザイナーと交流が密になっていること、それと散々デザインを見たり使ったりしてきたことなどもあり、2005年にアクシスで行なった
BRAUN展に関わった時と変わらない想いもあれば、変わっている部分もあることに気づきます。
ディーター・ラムスは凄いと思います。また彼のデザインポリシーはBRAUNという組織とそれを取り巻く人々がいたからこそ生み得た奇跡だとも思います。
デザイン10か条は重みもあるし、納得できる。それを前提としてあえていうと、ラムスにあまりにも傾倒する危険性もあります。
60年代にひげそりメーカーである
ジレット社にBRAUNは買収され、90年代位からジレットの影響力が高まり、ラムスは経営者と折り合いがつけられずに退社しました。現在ジレットはさらに
P&Gに買収され、より大衆的なアプローチになっています。
ここまで多くの人に絶賛されるBRAUNデザインが何故無くなったのでしょうか?
初期のBRAUNは市場の4%シェアを(それもトレンドリーダー)握ることを考えていました。4%には有名デザイナーや建築家が該当しました。彼らが実際使ったり、自らの空間で用いたりすることによってその周りの20%位のフォロワーを囲い込んだのです。今でいう「セレブ御用達のこだわりの逸品」みたいな売り方をしていたわけで、これがラムスの嫌ったマーケティングそのものでは無いでしょうか?
それが利かなくなった大きな理由はリーダーからユーザー側に主導権が変わったからです。これは豊かさと時代の流れです。要は昔は物が少なかったのでリーダーの視点などが選択肢の支軸になっていましたが、物が多くなり、生活スタイルも様々になってくるとスタイルに応じたものの選択が要求されます。この流れについていけないものは淘汰されていくのです。同じ方向のデザインでも
アップルはちょっと違います。アップルはプロダクトだけではなく、それを取り巻くツールやアプリケーション、ソフトで世界観を作っています。
先人のデザインをちゃんと評価するのは重要ですが、どこかしこりが有る感じがします。もしかすると「あの頃はこんないいものがあった」というどこかノスタルジックな気持ちがそうさせているのかもしれません。
現にラムスの作品も皆、50~60年代の作品に注目しますが、現代の作品に対しコメントしている人を知りません(誰か好きな人がいたら教えてください)。
同じデザイナーが同じ哲学を持ちデザインしているのであれば現在の作品も評価できるはずです。でも近作を僕は良いと思わない。
多分復刻したとしても余り売れないと思います。もうすでにアップルが現代的な展開をしているのですから。
それとよく見るとわかってくるのですが、ツマミやボタンの配置が限りなく規則的に、そしてデザインコンシャスにまとめられています。シンプルながらも僕たちがBRAUNのデザインに魅了されるのは視覚的な法則をふんだんに使っているからです。
BRAUNで最も有名なプロダクトでもあるSK4ポータブルプレーヤー。これは
ウルム造形大学の工業科部長だったハンス・ギュジョロとラムスの合作ですが、赤線で引いたように空きの間隔や配置がグリッドによって決まっている。プロダクトデザインでありながらグラフィック的な処理をしていることが分ります。これがカッコいいと思わせる秘密。
装飾をシンプルにするという装飾がBRAUNのデザインに見ることが出来ます。決して装飾が無いわけではないのです。
グラフィック的な視点からBRAUNを分析している人は余りいないと思いますが、そこには当時のスイスやドイツで盛んだったモダニズムの哲学が踏襲されています。多分、その後多くのデザイナーがこのBRAUNプロダクトを模倣する際に、その哲学的部分を切り捨ててしまったと思います。それがモダニズムの劣化です。シンプルゆえ簡単に模倣できますが、コクのないスープのようにモダンデザインはどんどん生み出されます。その嫌気が60年代末のラディカル運動やその後のポストモダンを盛り上げるきっかけになりました。
奇しくもBRAUNを生み出したウルム造形大学は68年に閉校します。こういった流れもBRAUNのデザインを存続していけなかった理由ですが、この劣化が起らなかったとしても、しょっぱいものをずっと食べていたら甘いものが食べたくなるように、人々は本能的に変化を求めていたのでしょう。
今の僕の見方からはデザイン10か条では足りない要素がまだあると考えます。
僕はモダンもポストモダンも好きです。だから
ロバート・ベンチューリが「Less is Bore(少ないことは退屈だ)」と言った言葉と
ミースの「Less is More(少ないことは豊かだ)」、そしてラムスの「Less and More(より少なくより良いものを)」とのバランス加減が重要だと思っていて、ラムスの言葉やデザインをそのまま鵜呑みにしてはいけないなと感じるのです。