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休刊と復刊

先月の24日、新聞で「エスクァイア日本版」の休刊が発表されました。
先週末あたりから現役編集部の方やOBの方から連絡やメールをいただいています。
また、復刊を願った関係者によるForever Esquireなるブログコミュニティも立ち上がっています。
 
もちろん、僕も良質な記事を提供してくれていたエスクァイアには復刊を望んでいます。
そして、コミュニティサイトも応援しています。でも、単純な「残念です」なコメントや気合いだけの復刊運動では現実を何にも変えられないと思います。結局ノスタルジックなもので終わってしまうからです。
下記は編集部のシニア・エディターであるM宅さんに送ったメールの一部です。

          ***************** 
現在の出版のあり方(出版社でない投資会社運営による編集への希薄と売上げ至上主義、取次による流通依存、広告への依存と批評性の低下)には個人的に前々から疑問を感じており、長期的な視点でそれを見ていかない限り、かろうじて復刊したとしてもいつかは同じ場に立たされてしまうような気がしています。
その辺もふまえつつよりよい雑誌のあり方を模索してでの『エスクァイア』復刊であれば是非ともご協力はしていきたいと思っています。

現実的にどう復刊していくか、いい雑誌のあり方とは?海外は何故取次も無く発行部数も少ないのに雑誌が存続しているのか? 経営と文化の両立、残る雑誌と消える雑誌の違いは何か? など議論を飛び交わしながら本気で復刊に結びつけられる(できれば雑誌業界全体に希望が見いだせる)良いコミュニティになってほしいと希望しています。
 
出来る限りご協力できる所はお手伝いいたしますので、本気で復刊を目指しましょう!
          ***************** 
 
最初に触れた取次については、今現在、敵に回しても流通として難しいところはあります。しかし流通至上主義的な所は出版だけでなく、小売業全体に関わっている問題です。少なくとも50/50の関係性になる事は出来ないかと考えてるんですが。
 
そして最近多いのは出版以外の企業が親会社となり、出版社をコントロールしている事。もともと出版のノウハウが無いので、数字(実売部数・売上げ)などで判断していることが多いようです。売上げ至上主義で無いにせよ、ビジネスとしてやっていく以上継続的に売上げに繋げていくのは重要です。ただ、出版がそんなにビジネスとして魅力的なものだとは思えません。それと企業側は長期的な視野で文化を育てていくような気持ちも薄れてきてしまっている部分も見受けられます。昔の投資家は企業を育てるかのように、一時的に経営が困難になっても投資をおこない企業側は安定して戦略をたてられ結果それがブランド構築に繋がりました。今はデイトレーダーのようなその場しのぎの経営でも売上げがあがる(株で儲けられる)企業を好みます。企業側は投資家の顔色を伺いながら、やりなれない事業を広げ、株主を喜ばすことに徹します。例えばメーカーであれば生活者のためにモノを作っているはずなのに、株主のために作っているような構図になっています。効率を上げたり(本来いいことですが、ここでは例えば中国生産にして大量生産のラインを作るとか)、コストダウンを図り少しでも利益を出して株主を喜ばす行為は一見生活者側に寄っているように見えますが、出来てきた物は質が劣化したもの。何でもアリでやってきた企業はブランドを既に崩壊していました。この不況で売上げが上がらないのはブランドが崩壊しているからだと最近感じます。
パトロンでは無いにせよ、文化的な事業に取り組む企業はある程度長期的な視野で関わる気持ちが欲しいと思います。
 
近年の休刊理由で一番多いのが、やはり広告の撤退です。現在の雑誌は広告で成り立っていると言っても過言ではないでしょう。出版社によっては広告営業部の方が編集部よりも上に立って、記事内容をコントロールしているところもあるようです。先にも言ったように出版はそんなに儲かるビジネスではありません。それが広告という利益を生むネタを掴んでしまいました。いつからか雑誌は広告に依存するようになりました。それによって儲かるはずのなかった出版業界は高給取りを生む職業になっていきました。
僕も本を作っていて1社でもスポンサーが付いたらどんなに楽だろうと思います。(全部自腹で作っています)だから広告出稿はとても魅力的ですが、少なくても経営出来るだけの編集力(売れる仕組み)を求めていって欲しいと感じます。
 
最後に言いたいのは企業のところでもふれた質の劣化です。サブプライム問題とか食品偽造とか最近の問題って大体構造が同じですよね。質の劣化した商品をブランド品として売ってたら偽装しているのが分っちゃってブランドがた落ち。ここまで犯罪的じゃないけど構造が良く似ている。みんなやっぱりいいものが欲しい。いいものを提供してくれるメーカーやブランドと消費者は信頼関係で結ばれる。でも、メーカー側が利益を出したいからと派遣社員や海外製造を始めてコストダウン。志高かった工員から低賃金で雇われた工員に変わる訳ですから質が落ちて当然。メーカーが素知らぬ顔をしていても消費者はシビアなのでその劣化が分ってしまう。結果愛想を尽かされて離れていってしまう。今ものが売れないのはそういった劣化が原因なのではないかと思っています。
テレビもそう。昔のお笑い番組なんかは良く作り込んでいたし、天才的な芸人が多かった。数少ない天才だけが活躍出来た。その権威を打ち破ったのがダウンタウンだと思います。ダウンタウン以降、マーケットは細分化され、芸風も多様化していった。それによって多くの芸人が世の中に出られるようになったけど、逆に一つ一つの芸は劣化していったと思います。今、ネタ系番組を見ていると質を量で埋めているように思えてなりません。まずいご飯が大量にあるより、うまいのが適度にあればいいと思います。雑誌も同様に劣化が否めません。みんなどこかで本物を求めているんです。
 
エスクァイアは良質な雑誌だとは思いますが、僕の本「DESIGN=SOCIAL」の帯にある「良いデザインは良く売れる」の通り、内容が良いだけではダメで、広告の取り方、流通の仕方、売り方など全てのデザイン(方法)を良くしなければ売れない。編集の人ももっと経営や営業の事を理解しないとならないと思います。僕は自分でそのすべてをやっています。もちろん出版社規模も違うから一概には言えないけど、取次を通していないのに大手の出版社よりも売れている本があるくらいだから、ある程度自信を持って言う事も出来ます。それをやるくらいの気持ちが無いと本気とはいえないのではないでしょうか?
 
僕は自腹で本を作ったことによって必死感を持つ事が出来ました。売れなきゃ借金地獄だから必死で売れるように努力する。だからこそ世の中に無いような楽しい本を作りたいと考える。そんな本が絶対売れると思う。実際ワクワクしながら作った本は必ず売れる。この気持ちってやっぱり自腹でやってみないと分らないのかなあ。
 
ブログとかインターネットのメディアも多くなってきました。でも、やっぱりネタ系番組のように質を量で埋めている感じが抜けません。素材感やパッケージ感も質を感じられない理由なんでしょうかね。グーグルやヤフーの検索がどんなに頑張っても、現状ではワードによることしか出来ず、斜めに斬れるのは雑誌的な編集メディアしかありません。何度か会ったITの専門家が新書なんかを出すのも、インターネットの限界を感じている事からだと聞いた事がありますし、僕も仕事でIT系の事も多いのですが、とても限界を感じます。このことはまた書こうと思いますが。
 
だからこそ紙媒体には期待をしてやみません。
頑張れ日本の雑誌! 頑張れ編集者!
| Culture | 02:33 | comments(14) | - |
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コメント
日本の社会で影響力をもつ人達の多くが、紙媒体の情報を尊重しており、ネット情報を見るにしても、紙媒体で評価の高い会社のオンラインを頼りにするという傾向を実感としてもっています。

最近、米タイム誌でも、新聞経営の危機を特集していました。紙媒体のビジネスは、どこでも話題ですね。新聞も広告主体となって以来、コンテンツ自身でビジネス利益を生んできたわけではないにも関わらず、コンテンツには経済的価値があると思い込んできた節があります。しかし、経済的価値が全てないか?といわれればNOです。

社会正義をモットーに果敢に世界の不正を暴くジャーナリストは、金のためだろう、といわれたら怒るでしょう。が、名声のあとについてくる金を期待しないのか?と問われれば、100%NOとは言わないのが普通です。

すると、大いなる生命の危険をおかして、アフリカの内戦地帯に潜入することを、金の見返りなしにやるか?といわれれば、躊躇する人達が多い。その結果、コンテンツに金が付随しなければ、アフリカの内戦、しかも国際紛争に発展するかもしれない重要な兆候を、他大陸の人間は全く知らないで生活することになるかもしれません。

コンテンツに金は必要です。どんな種類のどんな量のコンテンツに金という対価がないと、世の中は維持できないのか? こういう議論が、雑誌復刊にあたっても必須なのだと思います。

| anzai | 2009/03/04 6:20 PM |
anzaiさん
 
紙媒体を信用するのはまだまだネットにおいて情報のチェック機能が浸透していないからでしょうかね。信用が価値を生み、お金に変わっていく。お金をかけてやっている企業に信用価値を持っているのではないでしょうか?(まあ、紙媒体でもろくでもない記事はあるでしょうけど)
 
今や新聞を読まなくてもネットで時事ネタを知る事が出来る。前に書いた事がありますが、雑誌や新聞は単なる一般情報としては無料の方向になり、充実したコンテンツを提供する媒体はより高級になってプロダクトデザイン化していくような気がします。既にヨーロッパでは30ポンドや60ユーロなんていう雑誌が出ており、編集も凄く濃いので高いにもかかわらず僕は定期購読しています。この辺がコンテンツに価値が有無する部分な気がします。
 

で、この場合どういうコンテンツに価値があると僕自身が考えているのか?
僕は幼少の頃からずっとモノやコトを収集しています。だから探し出す能力と収集する労力の大変さがある程度分ります。自分自身の事なので無償でやっている訳ですが、労力と能力をお金で換算した時にコンテンツ自体が高いか安いかで判断しています。特に体験が元になっているようなコンテンツは僕は思い入れが強い。時間をお金で買うとしたら、経験しえない事や、経験するには時間もお金もかかる場合。それが何百円で買えるんなら安いです。ネットでも旅日記なんかを出している人がいますが(それも経験のうちですが)そこに批評性、主観&客観性が潜んでいない限りやっぱりただの情報でしかないんですね。
 
僕みたいに自腹で情報にお金を払っている人であれば、その辺が見えてくると思うんですが、価値の有るコンテンツを選別出来ないのが今の編集者の弱さなのでしょうかね? 昔から芸の肥やしって言いますが、遊び(情報)にお金をかけないと、デスクに座ってネットサーフしても価値ある情報は得られません。自分で何が楽しいのか体感して掴まなければ、読者を楽しませるコンテンツなんか提供出来ないと思います。
そういう意味ではanzaiさんの言うようにお金は必要でしょうし、価値あるコンテンツを選別出来る能力を高めるための自己投資も必要だと思います。その上で「どんな種類のどんな量のコンテンツに金という対価がないと、世の中は維持できないのか?」が見いだせるような気がしています。
 
僕もdomusやMODO、カサベラ、アビターレや今は無きペルルイ、ヴォーグなどイタリアの雑誌を小学校の頃から買い続けていますが、イタリアの紙媒体およびネット媒体の状況はどうなんでしょうか?
anzaiさんのコメントの冒頭に「日本の社会〜」とあったので、イタリアは違う状況にあるのでしょうか?
| metabolism | 2009/03/04 8:02 PM |
休刊ラッシュですね。

僕は難しいことは語れないのですが、やはり情報に見合う対価ということをもう一度考え直さなければならないと思うんですよね。
柳本さんの言葉にある「自腹で情報にお金を払っている人」ってのはまさに雑誌や新聞を買う読者そのものですよね。
よく雑誌が売れなくなったといいますが、売れているモノは売れてる。その価値ある情報を編集者自身の目や切り口で意見として載せて行くそもそもの本質を取り戻さない限り雑誌は衰退するんじゃないでしょうか。
エスクワイア復刊を願ってらっしゃる編集の方々も時代と共にみたいなことが書かれてましたがここ最近のエスクワイアは本当に時代とともにやってきているのか疑問です。外側から見ると。

編集者の視点、意見にお金を払うという当たり前な行為にふり戻って欲しいものです。


編集者だけでなく、販売、広報など出版社もかなり価値観を変えなければ(といっても当たり前のことをただやるだけですけどね)自ら命を絶つに等しくなるでしょうね。。
| SLOW | 2009/03/04 11:06 PM |
そうですね、どこの雑誌もプレミアム版に挑戦しています。The Econimist もインテリジェンスかな?そういう知的ライフスタイルをテーマとした雑誌を2-3年くらい前(?)から出しています。

以下はたまたま昨日のオランダのニュースですが、ベルギーのメディアがオランダ主要紙を買収するとのことで、欧州でもこういうニュースは多く目にしています。

http://www.nrc.nl/international/article2168579.ece/Belgian_media_tycoon_buys_major_Dutch_newspaper
s

そういうなかで、信頼性を紙とオンラインのどちらにおいているか?という話題を考えたとき、ぼくはやはり紙のほうに信頼する人も相変わらず多いが、オンラインを信頼するようになってきているのは相対的にヨーロッパのほうではないか?と思います。

ぼくがそれを感じるのは、一般紙や雑誌のオンラインの作り方です。英タイムズ、テレグラフ、仏ル・モンド、伊コリエーレ・デッラ・セーラ・・・どれをみても、コメントやブログが組み込まれています。しかもビデオが一般的です。日本では日経の一部にビデオがあり、コメントも日経BPオンラインくらいで、あとのメジャーな場所には、そういう機能がありません(ぼくが知る限り)。

日本は定期購読率の高さで胡坐をかいてきたからか、このあたりの取り組みが非常に遅いなと思います。これがまさしく紙依存比率を逆にあげているメカニズムかもしれません。

このあたり、ぼくのブログ「ヨーロッパ文化部ノート」(下記)で今日書いたことと重なってくるのですが、フラットにさせない社会ギャップが、オンラインへの移動を妨げているような気もしています。

http://european-culture-note.blogspot.com/2009/03/blog-post_04.html



| anzai | 2009/03/05 12:54 AM |
はじめまして。木内ともうします。いつも興味深く拝見しております。

雑誌が広告で成り立っているという件ですが、アメリカだと雑誌の収入の9割以上が広告収入とのことです。だから定期購読するとほとんどタダみたいな金額で雑誌を読めますよね。発行部数が多ければ多いほど、広告枠を高く設定できるので、タダでもいいから定期購読してもらいたいという、何かこう循環するような形になっています。それほどスポンサーで成り立っているにも関わらず、雑誌が健全(に見える)なのはどうしてなんでしょう。執筆者に支払われるギャラも日本とは比較にならないですし、素朴な疑問です。
| kiuchi | 2009/03/05 1:23 AM |
slowさん
 
作り手や売り手はなぜか買い手の気持ちを忘れてしまう。
先日、山口のDegreeのオーナーに会った際に、彼はアマダナの商品を扱いたいと言っていました。以前からアマダナにはとても思い入れがあるようでした。そして年末にBALSに行ったときSALEをしていた事を伝えたら驚いていました。「あのアマダナが売れないんですか?」と。でも、彼はアマダナ商品を一つも使っていません。何故、そんなに好きなのに買わないのか(使わないのか)を尋ねると、言葉を濁しながら「ウチで使うにはかっこ良すぎるから・・・」と一言。答えは見えてるじゃありませんか!みんなそのオーナーと同じ気持ちを持っているんですよ。と僕は返しました。
 
買わない理由、売れない理由はお客さんにだけあるのではなく、作ったり売っている側も同じ気持ちを持っているはずです。第一前提として自分が一番のファンである気持ちを忘れない事が大事だと思います。意外にその気持ちがあれば、結果的に売れちゃう気がします。
| metabolism | 2009/03/05 3:46 AM |
anzaiさん
 
ヨーロッパの状況はある程度分りました。もう少し突っ込んでお聞きしたいのですが、既存の紙媒体をやっている企業(新聞社とか)のオンライン進出以外に、ネット上だけで展開している信用を掴むようなメディアは現れているのでしょうか? 今後リアル媒体よりもネットが台頭していくことになるのでしょうか?
 
日本がネットに進出しない理由はおっしゃるとおり紙媒体の変なプライドもあると思いますし、文化の違い(特に宗教上の)によるITの普及の仕方にもあるんでしょうね。日本は格差が出てきたとはいえ、もともとリアルが一億総中流というフラットな世界でしたし。そもそもIT先進国でカーストのあるインドとはネットに向ける思い入れが違うかもしれないと思います。
 
しかし、日本は現実社会が物理的にフラットと言っても個々に思っている気持ちは実際プライドで構築されていますので、(それは実際差がない部分から学歴や地位や職業などでどれだけ差をつけようと考える欲望から生み出されています。)ネットでなくてもネットであってもエラさは主張するんでしょうね。あぁめんどくさい。
| metabolism | 2009/03/05 4:26 AM |
kiuchiさん
 
日本の雑誌発展は、アメリカ文化を吸収して生まれているので、広告で儲けるというビジネスモデル自体をアメリカから学んでいるのですが、報酬の構築の仕方が違うんでしょうかね。アメリカは報酬が多いからこそ競争が生れ、出来ない人は落とされ、能力のある作家なんかがちゃんと残る事ができます。日本の場合、編集者の懐に入ってしまいますから相当有名な作家さんでない限り出版社のお手伝い的な位置にされている気がします。
 
一番の違いはやはり流通の問題だと思います。アメリカには落丁など無い限り返品なんていう制度が無いので、出版社は発行と実売の差を無くすコントロールが出来ます。書店は買取りで、買い取ってもらえる分だけ刷ればいい。
前にも書きましたが、例えば実売10万部の雑誌でも約3万件あるコンビニに1件5冊置くだけで15万部刷らなければならない。書店も合わせたら25万部〜30万部は必要でしょう。実際10万部しか売れてないわけだから15〜20万部は捨てられる。ざっくり言っているのでもう少しバランスはとっているでしょうけど、返本・処分されるリスク分も出版社はコストに入れているでしょうからコストも海外雑誌以上にかかるでしょうし、返本が予測以上に多かった場合は赤字になります。
この不透明なコストに日本の雑誌の問題が潜んでいるんだと思います。
| metabolism | 2009/03/05 4:44 AM |
オンライン情報の信頼というのは、つきつめて考えると、顔と名前を明かして書いているかどうか?という問題と直結してきますね。

よく言われますが、日本のブログの匿名率の高さ、あるいはフェースブック等でのハンドルネームの多さこういう部分が、匿名発言の善悪とは別に、情報提供におけるリスクのとり方と関係してきます。

これは街で会った見知らぬ人とのコミュニケーションのとり方(見知らぬ人の情報をどう信用するか?)という社会習慣などとも絡んでくると思います。

Twitterが先日のスキポール空港での墜落事故で役立ったという以下ニュースは、上述した背景と、ブラックベリーなど携帯端末が基本的にビジネスユーザーであることから、ある程度、行動パターンが限定されるということがありますね。


http://www.nrc.nl/international/Features/article2163667.ece/Twitter_used_as_fast_news_service_after_plane_crash
| anzai | 2009/03/05 7:16 PM |
エスクァイアはマーケティングでは日本でもっとも成功した雑誌だと思いますよ。印刷部数は公称6万部でしたが、まあその1/3と考えて、2万部刷って、広告が5000万くらい入るという超高効率な仕組みをマーケティングの力で実現したわけです。クライアントもそれを納得していた。30万部以下の媒体には広告を出稿しないと言われているトヨタ自動車も広告を出していたわけですからね。ある意味、紙媒体の理想的なカタチでした。とにかく、エスクァイアだけ出していれば休刊なんてなかったでしょうね。今回の休刊の引き金は女性誌のDear。その失敗に尽きるのではないでしょうか。外部の人まで創刊を反対していたという話ですけどね。それに耳を貸さずに推進しちゃったバカがいた。それだけのことだと思いますね。バカにはかかわりたくないですね。
| ディア | 2009/03/06 1:17 AM |
anzaiさん
 
さらにお聞きしたいのですが。
最近は実名を出してブログなどを書いている人も多く見られます。その中でも雑誌などのメディアでは執筆せず、ネットだけで活動している人もかなりいます。そういう人のエントリーを見てみると8割9割はどこかからコピペしただけのような情報で、そこに情報の咀嚼も無く、分析や批評も無く、ライターとして、ジャーナリストとしてお金をとれないようなにわかジャーナリスト。でも1、2割は本気で読み応えあることを書いている人はいます。その人は僕が知らないだけでプロなのかもしれないし、プロだけどリアル媒体から離れてネットだけで書いている人かも知れませんが、ネット社会の中で特に日本でジャーナリズム(リアル媒体では広告にまみれジャーナリズムなんてほとんど無くなってしまっていますが)みたいなものはこれから発展していくと思われますか?
 
もしくは、先日言われていたように最終的にお金だとしたら、フリーメディア意識が強いネットではお金を生むのが困難で確立しないのでしょうか?
| metabolism | 2009/03/06 4:16 PM |
ディアさん
 
今日、実はエスクァイア編集部のM宅さんと僕が考えている事と、どこか現実的にお手伝い出来る事を模索するためにお話をしてきました。
 
人の会社の内情なのでここで詳しくは言えませんが、おっしゃる通りエスクァイア自体は健全経営のようです(社内から見た話なので知らない所で問題がある可能性もありますが)。そしてDearの失敗が不良債権化している所は大きい理由ですが(僕もDearの創刊前に今時こんなのが売れるはずが無い。血迷ってるなと思いました)、他の要因も少なからずあるようですし、経済システムの変換が求められている現在において、黒字現状にあぐらをかいていたのでは将来的に失敗するのではということも考えられますし、編集の方々も今回の件で気づかされたようです。
 
何度か話しているように、黒字経営と言えど、もともと出版は儲かるものではない。だから親会社を見つけるのは非常に困難ですし、阪急コミュニケーションズや松下の作ったPHPのように企業メセナという文化意識、そこにCSRを考えると言う気持ちが無い限り拾い上げる事は難しいです。特に出版は独自の流通(委託制度)などありますから他業種には理解しづらい部分も大きいかと。本当は出版社が拾い上げてくれるのがインフラも整っているし、出版の利益について理解しているでしょうからいいとは思うんですが。
 
もう一つは自力で出来ないのか?というところです。エスクァイアのように米国の版権が絡むものはミニコミレベルのようでは契約出来ないのかも知れませんが。例えば広告を全く入れなかったとして実売の利益計上だけで黒字に出来るのであれば自力が一番まわりに左右されず、逆に広告も選んで出稿してもらえるのかもしれません。
 
今日はいろいろと僕レベルのアイデアですがお伝えする事が出来ました。今後もお手伝いする所はして、新しい雑誌のあり方の見本になる新生エスクァイアになってくれることを望んでます。
| metabolism | 2009/03/06 4:42 PM |
これまた、朝一で難しいことを書かないといけませんね(笑)。

題名を忘れましたが、ザンビアの部族抗争に関する映画がありましたね。

あのなかでBBCのジャーナリストが、コソボ紛争の取材では、おばあさんの悲惨な姿を目にして涙した、と語るシーンがあります。自分のおばあさんとイメージがダブり、心が痛んだわけです。

しかし、ザンビアで黒人たちが殺戮されていくシーンを前に、同じように泣けないと独白します。

平和維持軍は国連の決議がない限り、発砲もできない。これは人種偏見の問題でしょうか。

金がもらえるから、そこにいくわけではない。今も危険なイラクやアフガニスタンに飛ぶジャーナリストは、スクープ狙いだけでなく、ほんとうに好奇心だけということも、ないわけじゃないでしょう。

いろいろな場合があると思います。前のコメントの繰り返しになりますが、世界の人々が知るべきことが世の中にはどうしてもあります。アウシュビッツもその一つでしょう、人間が如何に愚かであるかを、常に自覚させるという必要もあります。

その知るべきことを知るということについて、これが全ての人々の自発性に頼っていて良いのか?ということに、ぼくはYESと断言できません。これは、知るべきことを探り出し伝える社会的システムがないといけないだろうと思うのです。

たまたま、その現場にいて写真をとったら、世界中に流されたということもあります。スマトラ沖の津波もそのひとつです。携帯カメラ、携帯端末、ビデオ、ネット・・・・あらゆるところで、あらゆる情報が発信され、従来の職業ジャーナリストではない人からの情報が、今までの穴を埋めてくれています。

しかし、それは偶然に期待した補完システムです。一定の定点観測的な網は、どうしてももう一方にないといけません。これは対価がないと維持できません。

田中宇(http://tanakanews.com/)の国際事情の分析は、有料メルマガをスタートするといいます。ネットで取得できる各国情報を自分で分析し、それを無料で発信してきた人間が、自分の実績が評価されてきたこと段階で一部有料化する。それだけの価値があると認められれば、人は金を払う。これは、田中氏自身が、「自分はシステムの一つとして社会的認知をうけた」と認識したからでしょう。





| anzai | 2009/03/06 5:22 PM |
anzaiさん
 
ありがとうございました。
話は違いますが、コンゴなどアフリカで起っている内戦、特にレアメタルなどの資源争奪に関してはいずれ書きたいと思っています。日本人にも大きく関わっていますから。
 
僕自身、まず好奇心を尊重し、いろいろ集めたり、調べたり、体験したりする事が多いですね。海外旅行などする時はあまり目的を持たない。なるべく空っぽの状態で行って、何でもかんでも貧欲に吸収して帰る。で、帰ってから持ってきたもの、知ったもの、体験したものを広げてみて、これをどうやって商売にするか、始めて考えます。
また、トークしたり書いたりすればお金がもらえる立場でいながらこうやってブログをフリーで書けるのもお金がもらえる所があり、そこでは言えない事があるためバランスを保つためだったりする事も多いですね。
 
anzaiさん同様、一概にネットとリアル、好奇心かお金かとは言えないし、僕にとってはどちらも重要ですね。
 
ただ、僕は紙世代の人間だからお金を払ってたとえ優良な情報出会っても、認識出来る文字だけ入手するというのでは満足出来ない所があります。めくる触感、その時の音、紙質、古本やインクの臭い、インクの滲みなど五感に感じるものはどうしても欲しい。そして形あるものを保存したいという所有欲もありますね。
 
こういう人が多いからこそケイタイ小説やブログ本が出てくるんだと思うんですが。まあ、僕が生きている間に紙媒体が消える事は無いと思います。記録メディアとしては最も古典的な石碑みたいなものもお墓や記念碑として今もちゃんと存在してますし。紙も2000年ほど続いている。残したい期間と影響力によってメディアが決められる気がしています。そうすると雑誌の概念は変わっていくのかな?
 
ネットは実用的で便利ですが、保存性を考えると個人的にリアルメディアを超える影響力は持ち得ないとは思います。

| metabolism | 2009/03/06 9:01 PM |
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