header
CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
SPONSORED LINKS
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
<< 実業家と美術 | main | イメージのギャップ >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
それってネガティブ?
僕はよく自分自身が思っている事と意見が違う人に、突っ込んだ質問をすることがあります。僕自身、別に意地悪をしているつもりも無く、ネガティブに考えている訳でもなく、湧き上がる好奇心の中に「この人はどうして自分と考えが違うんだろう?」という気持ちが出て来てしまうからです。
 
結論から言えば、僕はその相手を否定しているわけではないのです。相手がその質問に答えて、僕自身が理解できれば「なるほど。こういう考えもあるんだな」と思うし、さらには「そう言われれば、自分の考えていた事こそ間違っていた」と気づくかもしれません。
でも、結構その突っ込んだ質問が相手に悪くとられてしまうことが多いんです。
 
例えば同じ映画を見て、相手が「凄く良かった!」と言い、僕は「気持ちは分るけど、あまり良くはなかった」と思った時、まず僕は「どこが、どう良かったのか?」って聞いてみたくなる。別に僕は純粋に相手が良かったと思うんだったら、その気持ちはおかしいよ!とは言えない。だって思うんだったしょうがないからです。でも、その問いに答えられない人もいる。つまり、僕はそれぞれ自分たちの考えを議論したいと思っているだけなのだけれど、議論というものに馴れていない日本人だからか、対話として成立しないのです。
そういう突っ込んだ議論をしようとすると「あなたは何故そんな悲観的なのか?」とかと思われてしまう。
 
でも一方で、そうやって答えられない人を探っていくと「映画評論家がいいと言っていた」とか「皆がいいと言っている」とか、本当は自分の気持ちじゃない事が多いと感じる時があります。別にそれが悪い訳じゃあ無いけど、自分の気持ちにそぐわないと意味が無いんじゃないかと思うんです。
本当にいいと思っているんだったら信念といったら大げさだけど、そういった揺るぎない相手の気持ちを知りたいというのが、僕の目的だったりするのです。
 
僕は意見が違うからとか考えが違うからこの人は嫌だとか一緒に仕事をしたくないとは思いません。そこのすみ分けが出来ない人が、ちょっと問題を起こした人に対し人格否定までしてしまうような気がします。同様に、僕の意見に同調してくる人も良くいます。でも、その人に対し少し疑ってかかっている部分もあります。
僕も自分自身を疑うときが良くあります。だから何の疑いも無く僕の意見に賛同してくる人はどこか信じられないときがあります。(もちろん、誰も信じていない訳ではありません。感覚なんですが、この人は僕の意見に同調しているだけか、本当に相手自身も同じ考えを持っている人なのか嗅ぎ取るような部分があります)
 
僕の意見と同じでも、違っていても、僕は多分質問します。本当に自分自身の考えかということを。
その人それぞれ自分自身の考え方を持っていれば、僕は意見が違ってもいいと感じます。世の中自分の考えに合わないと、ダメだとか優劣を付けるけど、僕自身は好きではないけど、世の中で凄いとかいいよなあと思う事はいっぱいあるから、認めてはいるわけで、僕が質問する事はネガティブな意味で言っている訳ではないのです。
 
ここのところいろんな話をすると、出てくるのが「言葉の力」です。意見が同じでも、違っていても、正しくても、間違っていても、その人が本気で考えて出て来た言葉は強いです。そして説得力がある。
僕はクライアントと話すときも常に自分の言葉で話すようにしています。たとえ意見が違っていても。それも今年のテーマである「リアル」なのだと思うんです。
| Life | 19:45 | comments(8) | - |
スポンサーサイト
| - | 19:45 | - | - |
コメント
はじめまして、こけと申します。
柳本さんをGlyphの活動から知り、尼ヶ坂さんのところから、このブログのことを知りました。
今日は、なるほど、と思って読ませていただき、コメントを書いてみます。

自分自身の考えを持っていないとか、考えを違うところから拝借して自分の考えにしてみるということはよくあると思います。
また周りの発言力のある人やものからの発信から、こういうものだという既成概念を構える人も。

小さい頃、なぜ周りの友達は自分の考えを持っていないんだろうと思ったことがありました。
理由を考えたら、その方がトラブルなく生きやすいからという部分もあるように思いました。

自分が周りと違いすぎると浮いてしまう、という怖さ。
議論したところで新しい解決方法が見出せるとも限らないという、諦め。
同じであれば、仲間意識ができ、自分が認められたように感じて安心できる。
そんなところもあるのではないでしょうか。

一概に何かの意見に同調するのがいけないとは思いません。
そこから自分の考えを見出す場合もありますし。
ただ、違うことから世界を広げて「認める」という意識があまり一般化されていないのでしょうか。
これが浸透すれば、もっといろいろなことがよくなりそうです。

いろいろな切り口から言葉を発せられる人、
難しいことを並べるだけでなく、易しい言葉でも多様な表現で多くの人に訴えかけることができる人が
本当に力のある人ではないかと思います。

後は語り方とか、言葉の選び方ですよね。
内容がとてもいいものでも、その語りの印象で議論が残念な方向にいってしまうこともありますし。
自分の意見をもちつつ、自分の思うように相手の心に響く言葉を伝えられたらとつくづく思っています。
| こけ | 2009/01/28 12:14 PM |
こけさん
 
自分の意志を持ちながら何かを発言することはとても勇気のいることです。
 
多くの人が周りに同調するのも、違う意見で周りを乱したり、仲間はずれにならないようにしていることが強いと思うので、それを超えて発言するというのはかなりの勇気がいると思います。
 
ただ、僕は結構言いたい事を言ってきましたが(かといって自分勝手に何でも言っている訳ではありませんので)何か問題が起った事はそんなに無かったし、あった場合も言葉の誤解が原因だったので、ちゃんと話を続けていればそれも解決できています。
 
この先は怖いから行けないと思っているだけで、実際行ってみると何ともなかったみたいなことは結構あると思います。
 
でも、僕自身も正しいことが全て受け入れられないという現実も知り、問題は起らなかったにせよ、挫折感を味わう事は今でも結構あります。
昔自転車に乗れるようになるまで、何度も転んだように、やっていればいつかは出来るということを僕は思っているのですが。
| metabolism | 2009/01/30 3:01 AM |
こんばんわ、おんと申します。


毎回興味深いお話なので、うーん...とうなりながら読ませていただいています。
今回は少し見に覚えがあるような、無いような話しだったのでコメント書かせていただきました。


あまり日本人はこうだと決めつけて話したくはないのですが、昨年イギリスでの滞在中に、そこでできた日本人の友人が先生によく言われていたのが「典型的な日本人」という言葉でした。
私自身はその正確とは全く反対なので、ん?と疑問に思いましたが、日本以外の国での日本人の礼儀正しく、自分の意見を伝えたり感情を表に出すことがあまりない、という日本人のステレオタイプをまだ根強く感じました。
もちろんそれは昔の日本人としては模範的なのですが、たまにその気質が対等なコミュニケーションの妨害をしてしまったりするので外国の方から見たら少し変なのでしょうね。


なぜ自分の思ってることを自分の意志として相手に伝えないのか尋ねたところ、こけさんのおっしゃっていた自分に自信が無いのと人との衝突を避けたいという理由でした。
それから彼女と半年過ごしてみてわかったことですが、実際は彼女自身あまり何事も深く考えてなかったということでした…。


そういった出すところは出して引くところは引くというバランスがうまくとれていない日本人が今はまだ結構いて、また日本の社会がそれをなかなか許してくれないという「暗黙の了解」のような古い見えない根っこを感じます。


私なんかの場合、自分が尊敬する人や年上の方、また例えばある分野のことを話すときに、相手の方がその分野に関してプロフェッショナルな知識を持ち合わせていたりする人だったりしたら緊張してしまって、相手がいつも100パーセント正しい訳ではないと分かっているのに自動的に頭の中の判断機能が働かなくなって相手にただ同意してしまうこともよくあります。
でもそのほとんどが、一緒に話してる人の口調や態度が厳しい人だったりするので、人と話すときに相手の雰囲気に同調するという自分の無意識な癖は、そういうところから来ているのかなー、とこの文章を書いていて感じました。


話が少しそれてしまってすみません。
| | 2009/01/31 9:46 PM |
おんさん
 
僕は日本人の露骨に感情を表に出さないような性格は悪くはないかなと思っています。ただ、昔の人は自分の考えを持っていて、それをふまえた上で言葉に出すものをコントロールしていた。外国の人には分りにくいでしょうけど、日本人はいつだってそういう感じでコミュニケーションをとってきた。だから、日本人は言葉の裏に隠されている本心を相手の顔色や言葉の強弱なんかによって察していく能力が高まってきたように思います。
 
日本人は例えば「あれって、あれだよねー」なんて漠然とした言葉でもその時の前後のニュアンスで理解する事が出来ます。多分それを外国語でやったら、全く分りません。また、俳句や短歌などで養われた読解力は短い文章の中でも、その行間に隠された感情をくみとることが出来ます。携帯メールや絵文字だって日本だけ発展したのはその読解力がベースになっているからだと思います。もちろん主張することも必要だと思いますが、根本的な文化が違う外国人にはその辺は理解されにくいでしょうね。
 
それよりも僕が最近感じるのは感情が探れなくなってきたこと。つまり探るべき言葉の裏が見当たらないんです。また、文章も感情的な部分が探れないときがあります。それは対面している相手に自分の考えが無いことが原因なのか、本人自身が咀嚼できていないのかは分らないのですが。
同調したり、主張しなかったりすることが悪いのではなく、自分の考えが無い事(はっきりしていない事)が問題なんだろうなあと思っています。
 


| metabolism | 2009/02/01 1:11 PM |
鋭いご意見ありがとうございます。なんだかなるほどー、と頷いてしまいました。

あまり関係ありませんが、以前友人が原研也先生の講義でそのようなこと(ニュアンスをくみとる日本独特の文化)をとりあげていたと言っていたのを思い出しました。原先生や深澤先生のデザインはそういった言葉にはしにくい微妙なニュアンスとしての共通概念、というか共通感覚が、わかりやすく形に表れているから面白いですよね。


話しは戻りますが、自分の考えが無いことが原因なのか、本人自身が咀嚼できていないのか、それはどちらの場合ももちろんあると思います。読む側としての読解力がなくなってきているのも事実で、全体的にニュアンスをくみとりにくくしているのは今の便利な日本の状況とそれに慣れてしまった人、また時間、時代の流れなどもあるような気がします。言わなければ分からない、分からないのはいろんな意味で余裕が無いからとか。


実際自分の考えが無い事(はっきりしていない事)が問題なのは私もいろいろ思うところがあります。私自身というよりは周りの人間を見ていてですが。もしかしたら考えがあいまいというよりは、単純にそのことに対して関心が無いのかもしれません。
| おん | 2009/02/02 10:42 PM |
僕も皆さんの意見に同意です。
横から失礼させていただきます。

僕が思うに、柳本さんが書かれている
「例えば同じ映画を見て〜」の段落の話ですが、
この場合、相手の方がネガティブなんだと思います。
「議論というものに馴れていない日本人だからか」
と書かれていますが、ある事柄についての意見を、
あたかも自分自身についての事のように受け取ってしまいがちなんですよね。
対象を見誤って話しをしてしまう。
批評を、批判と受け止めてしまったり。
意見と意見をぶつけるはずが、
いつしか、人と人がぶつかってしまうんですよね。
ブログも炎上するわけです。

最後の段落を読んで思い浮かんだのは、
白洲次郎の言う「プリンシプル」という言葉です。
たまたま、神戸の大丸で、『白洲次郎と白洲正子展』を見てきたというのもありますが。
「プリンシプル」がないと、まともな議論なんて出来ないし、
海外で渡り合っていくなんていうのも出来ないという事ですね。
これから白洲次郎の著書を読んでいきたいと思います。
何だか長い独り言のようになってしまい、すみません。。。
| michill | 2009/02/03 2:34 AM |
おんさん
 
関心が無いというのは分ります。
流行っているものに対し、「それが好き」と言う人がいますが、それは「流行っているものが好き」であって「そのものが好き」という事ではないと感じる事があります。だから「どうして好きなのか?」と質問すると答えられない。
 
難しい本を読むのが好きと言っているのに、その人の読んだ本の話題をすると、ほとんど話にならない。本の中のテーマになっている事を理解できていない人がいました。流行ものが好きな人と同様、流行を追っかけている自分が好きだったり、難しい本を読んでいる自分が好きなのだと僕は思ってしまうのです。
 
関心の矛先が内容でなく表層にあるのでしょう。
| metabolism | 2009/02/03 12:07 PM |
michillさん
 
プリンシプルいいですね。白州次郎はそれがあるから曲がらなかっただろうし、GHQの人間も何も言えなかったんでしょうね。
 
そういえば、今月末に白州次郎のドラマを3回に分けてNHKでやりますね。楽しみです。
| metabolism | 2009/02/03 12:11 PM |
コメントする