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エスニックとMemphis


今日、流行通信の次号撮影がウチでありました。
テーマはMemphisです。今回miu miuの春夏コレクションで80年代に制作されたMemphisのパターンが多用されています。僕の考えるところ、今回Memphisが使われた理由は2つ。1つは80年代文化のリバイバル。もうひとつは、数年前からトレンドになっているエスニックや民族的様式の再評価です。
 
この春夏も例えば、クレメンツ・リベイロがポリネシアンだったり、イザベル・マランが東欧風だったり、最近人気の信國太志がシェーカー教だったりします。Memphisは違うでしょう?と思われがちですが、実はMemphisのベースにあったものは、世界の文化のリミックスでした。その理由としてMemphisの殆どの作品にはいろいろな国のいろいろな地名が使われています。上の写真のソットサスのランプはタヒチという名前、今回のmiu miuに多用されているパターンはナタリー・ド・パスキエのザンビア(アフリカ)というもの。パターンもよく見ると民族衣装のパターンをテクノっぽくアレンジした感じがうかがえます。
 
Memphisについて、少し解説します。Memphisはエットーレ・ソットサスという奇才によって1981年結成された、ポストモダンをコンセプトにしたイタリアのデザイン集団です。初めての展示会の準備中、ラジオから流れてきたボブ・デュランの曲のフレーズがらつけられた物で、様々な暗喩が込められています。アメリカの南部にある街で、田舎臭さの象徴だったり、ブルースの発祥地だったり、成金悪趣味のプレスリーの故郷だったり、古代エジプトの理想郷の名前だったりします。イタリアの有名メーカーのアルテミデやアパレルのフィオルッチなどの資産家がパトロンとなりました。
 
ソットサスの求めた物はモダンデザインで起こった伝統文化や職人の軽視を正し、再評価していく事。(これが世界の伝統文化を引用していくことになります)消費文化のアンチテーゼで非消費的(買いたくないデザインと値段)な奇抜なデザインを作り出していく事(お金持ちの悪趣味を皮肉った部分もありました)。今までの価値観を崩壊(大理石とプラスチックなど高級なものと安い物の組み合わせ)をすることでした。しかし、早いもの好きのカール・ラガーフェルドの目にとまってしまい、予定とは裏腹にバカ売れ、世界で大量のコピー(ラブホやゲーセンなどの内装など)も発生させたデザインブームになってしまいました。さらに最も資金提供をしてもらっていたアルテミデの社長とソットサスの考えに食違いができ、1984年時点で(実際にはもっと続きます)既にこの企画は崩壊してしまっていました。そして一時期のお祭りが終わったかのようにポストモダンという運動は忘れ去られてしまいます。
 
多分、この運動の上辺だけが大衆に利用され、本質的な部分が伝えられるだけのテクニックがなかったんでしょうね。モダン運動に対する初めての反抗期だったので。
今はもうちょっとテクニックがついたのか、最近のロマンチックやゴージャス、フォークロアなんてのも結局はポストモダン的な思想であるにも関わらず、大衆にうまく受け入れられていると思います。そういった世相もあり、Memphisはその意味を再考されるようになったのでしょう。
| Design | 05:25 | comments(2) | trackbacks(0) |
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コメント
metabolismさん、こんばんは。
最近ちょうどメンフィスの本を読んでいたところだったので、実にタイムリーな話題です。クラフトさんのブログでも今ソットサスねたが盛り上がっていて継続中ですし。miumiuのMemphisパターン、我が妻によるとミウッチャさんは建築・デザイン好きですし(現代のデザイン・パトロンですよね)同じイタリアンだし、今日銀座のバーニーズに行きましたが、確か例のパターン・モノもあったような・・・。今度またじっくり確認してみたいです。僕が今読んでいる本にはメンフィスのデザイン・コンセプトは『問題なのは食べること、飲む事、セックス、それに睡眠、下へ下へとどんどん落ちていくことだ。世界とは感覚が復帰するゾーンだ』とソットサスの言葉が書かれてありました。それはインテリジェンスとは異なるもっと感覚的なものの意なのかなあ、なんて思いました。これを読んでいて現代のスタルクの思考方を思い出してしまいましたが。そして結果『ジャーナリズムに消費されるデザイン』になってしまった。metabolismさんがおっしゃっていた様に消費文化に対するアンチテーゼの非消費的なもの、機能の為のデザインに対するところの非実用的なデザインの筈が、大量に消費され、陳腐なものになってしまった現実(おっしゃるようにあの頃ディスコはみんなあんな感じの粗悪なコピーでしたね)。それはそうと日本語で読めるソットサス、少ないですね。何かお勧めの本がありましたら御紹介お願いします。
| FORM | 2006/03/07 12:45 AM |
FORMさん
FORMさんのいう感覚的なものとは、ソットサスの生の姿、イタリア人の気質みたいなものでしょうか。僕は、ブラウン的なモダンデザインが合理性、知性のデザイン(目を瞑っても自然に指があたるところにスイッチがあるとか)なら、オリベッティのようなモダンデザインは感性のデザイン(なめらかなボタンが触ってみたくなる)だと思っています。ソットサスが求めた物は、モダンという合理化の中で忘れようとしたラテンの血の(人との繋がりや職人のこだわり)の復活ではなかったのでしょうか?Memphisに関わらず、ソットサスの生き方そのものがラテンがベースになっているのですが。
 
僕の知る限り、ソットサスに関する詳細な本は出ていないような気がします。特に、アソシエーツやメンフィスのようなユニットのまとめた本などはありますが、50年代の活動(ジョージ・ネルソンの会社に在籍した頃のものなど)や60年代のインド哲学、文化大革命の影響、ギンズバーグやケルアックなどビート系の作家と交流や出版活動をしていた頃、70年代のグローバル・ツールスの活動などをまとめた物は殆ど洋書でも存在しません。ソットサスが生きているうちに誰かまとめてくれるといいんですが・・・
| metabolism | 2006/03/07 11:08 AM |
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