数日前の雨で急に寒くなったこともあり、久々に風邪をひきました。
昨晩のパーティもあって、今日は体調が悪く、夜まで寝込んでいました。
本来であれば、AXISでID展のパーティがあるのでそこで仲間とあって、食事でもということになるんですが、そんな気分でもなく、寝ながらテレビをみることに。
BS日テレで『山口智子の旅 北斎とドガ「生きること、仕事をすること」』というスペシャル番組をやっていました。
この番組、彼女の企画によるもの。この番組もそうですが、僕自身山口さん本人と話す機会もありそういう芸能界というフィルターでは見えない部分で、とても共感することが多いのです。
特に共通性を感じたのが小林市太郎氏の美術評論をリスペクトしていること。僕も彼の評論は中学時代に読み、美術に対する考え方の多様性を生み出すきっかけとなりました。彼の批評は、他の評論家が論じるような構図や文化的な意味ではなく、とても人間的で主観性に富んだものでした。僕がこうやってブログで書いている内容も、もしかしたら彼の影響も多少あるかもしれません。山口さんも小林氏の評論に開眼したそうで、それはとても興味深いことでした。
僕もいつも旅をするとき、文化の交流を想像したりします。先日オーストリアに行ったときも、ロココやバロックという西洋の様式はトルコやアラブ圏の文化交流を想像できます。中国の餃子がシルクロードを通ってイタリアでラビオリに変化した感じと似ています。北斎も東インド会社を通してベルリアンブルーという顔料を入手し、浮世絵の技法にもレンブラントのライティングを思わせるものが存在し、好奇心旺盛な彼は、西洋の文化にとても影響を受けていたことが分かります。一方、西洋では宗教芸術という不可侵な意識があり、浮世絵のような大衆芸術は日常の中にこそ本質的な美が存在するという特に印象派など19世紀以降の芸術に相当な影響を与えました。
番組の中でも北斎漫画に描かれている雀踊りのステップとゴヤの描く踊り子のステップの共通点を示しています。ゴヤは学生時代、輸入された北斎を見たと言われています。レンブラントを知った北斎のように、ゴヤの心にもあの自由でダイナミックな北斎は衝撃だったでしょうね。
今、情報がリアルタイムで行き来できる時代に置いても、日本のコミックなどの表現は海外に影響を及ぼしていますし、ダッチデザインの自由さには僕は常に影響を受けています。これが、まだ情報が無かった時代だったら飛び上がるほど驚いたでしょうね。お互い影響を受けたような文化を感じるとき、僕はいつもその当時の人の気持ちになりきって想像してみています。
写真は、晩年北斎のパトロンだった高井鴻山の依頼で長野の小布施に来た際にお寺の天井に描いた鳳凰の肉筆画です。老いて増々ダイナミックになっていく北斎のパワーには脱帽です。北斎は宇宙、特に常に輝き道しるべになる北斗七星が好きで、生涯改名を多くしましたが、宇宙や北斗七星を連想させる名前をつけています。鳳凰の絵にも隠し絵として富士が描かれていたり、天井画そのものが宇宙を表現しています。これもまた、西洋の教会の天井に描かれた宇宙観に似たものを感じます。