横浜に行ったついでに
横浜美術館でやっている『GOTH展』を見てきました。
個人的にはMOTでやっていた
Space for your futureや森美の
六本木クロッシングなんかよりも良かった。Gothという分かりやすいテーマだったからでしょうか?
Gothといってもゴシック調なんかの歴史から現代のゴスロリみたいな物への系譜を紹介しているのかなあと思っていたら、本当に最近のGothだけだったので驚き。個人美術館ならまだしも、公的なところでここまでやるとは思っていなかったので。
ゴシックというとルネッサンス前の様式なんですが、この言葉はルネッサンス以降に言われた名前です。未開の森の中を歩いているような不気味なコネコテの装飾で、ルネッサンスの頃の洗練されたクリエイターにとっては、不気味で猥雑な物=野蛮=ゴート人で、そのゴート人を差別する用語として使われました。ゴート人はドイツあたりの先住民族で(北欧もそうだという説もあります。現にスウェーデンのヨーテボリと言う地名はGoteburgと書き、ゴートの土地が由来です)文明が栄えたローマ人にとっては原始的な生活をしている野蛮な民族だという認識が強いのです。ですので、ゴシックと言ってもゴート人が作った物という意味でなく、ゴート人が作ったような野蛮でダサイものという意味なんです。
もともと宗教の概念は原始時代に生まれました。自然に生える作物や動物を追いかけ食していた人たちにとって、日々変化する状況(収穫の有無)は脅威だったと思います。でも、自分たちの生まれる前からどんなに状況が変わってもそこにあるもの(大きな岩や大木、そして沈んでもまた昇る太陽)は尊敬に値し、そんな自然の崇高さを讃えるところから始まっています。今でも地方に行くと岩や大木をご神体として奉っているところは多いですよね。文明が発達する頃になると例えばエジプトでは太陽と王が同等に扱われるようになり、それが後に偶像崇拝へと変化します。
だから、特にカトリックが世界を支配していた頃にはこういった壮大な自然の力は最大の脅威であり、そういう物を崇拝している人たち(多神教)が本当は怖かったんだと思います。ずっと後ですがサルトルの『
嘔吐』のように、理性的な人格構成をされた社会の中で本能のままに自由に伸びる大木は受け入れたく無い恐怖だったに違いありません。
ゴート人にとってはとんでもないとばっちりだったと思いますが、現にローマはゴート人によって滅ぼされたので、そんな恐怖もあったのだと思います。
ただ、少なからずドイツやスウェーデンには恐怖を感じてしまうものがあります。
グリム童話をそうですし、スティッグ・リンドベリの
絵付けのかわいさの中にもよく見ると気持悪い感じがすることがあります。スベンスク・テンの
ヨセフ・フランク(彼はオーストリア人ですが)のテキスタイルもツルや葉脈が血管のようになっていて、恐さを感じる事があります。
かわいいけどグロい。綺麗だけど怖い。こういった2面性を持ち合わせているのがGothの本質なんだと思います。実際はかなりグロの方に寄ってるんですが。
ゲアハルト・リヒターの作品で髑髏と火のついた蝋燭を描いた物があります。
同じモチーフで
ロバート・メイプルソープの写真もあります。というか、中世くらいから静物画ではとりわけ髑髏や蝋燭などが描かれています。どちらも不気味な感じがするんですが、モノの瞬間を切り取り、儚さを表現することが本質的な部分です。だから人間の行く末のある髑髏もいつかは消えてしまう燃えている蝋燭も儚さを表現しているのです。そう考えると、ゴスロリの美学は儚き物へのあこがれなのかもしれません。
今回の展覧会では過激な表現や性的な表現が多く見られましたが、こんな部分を許容する公的な美術館があることが嬉しく思いました。
写真はDr.Lakraというメキシコのアーティストの作品です。入れ墨の彫師でもある人物ですが、彼の作品が欲しいと思いました。日本の浮世絵の関取の体にタトゥーを書き込んでいます。物欲とは別に、他のアーティストもみんな良かったです。