ティオティワカンは紀元前200年〜紀元700年に栄えたメキシコでは今のところ最も古い文明だそうです。シティから1時間ほどのところにある世界遺産なので午前中行ってきました。エジプトのピラミッドと中南米のピラミッドの大きな違いは,前者は四角錐で王の墓として建造されたものであるのに対し,後者は四角錐の階段型になっていて宗教儀式のために建造されたものということです。どちらも天に神がいることを信じているので,ピラミッドの真下から頂上を見上げると本当に太陽に近づけそうに感じてしまいます。当時の人もそう信じたでしょうね。
写真は神様の石像。ティオティワカンの入り口に複製が置かれていますが、こっちは本物。スペイン人が入植してきた時に、いたずらされてボロボロに。その時の鉄砲の跡で穴がところどころあいています。
ケツァルコアトルの神殿といわれる一番小さいピラミッド。表面は装飾で覆われていて、蛇の首に羽根をつけたケツァルコアトルという水と農耕の神様と、トラロックという眼鏡番長のような雨の神様がレリーフになっています。
上の方はスペイン人が見つけてボロボロにされてしまいましたが、その下は当時埋まっていて無傷で発掘されています。
ここの凄いのは,紀元前(日本では縄文時代)に既に都市計画が完成していたことです。死者の道と呼ばれるメインストリートを中心にほぼシンメトリーに建物が配置されています。神殿などの跡を見ても装飾や柱の位置までシンメトリー。そして,権力者の住居跡を見ると,水洗トイレの跡や,下水道などが既に完備されています。
真ん中の窪みは水洗トイレの跡
もう一つは,天文学が進んでいたこと。太陽のピラミッドでは,冬至と夏至の日に太陽がピラミッドの頂上を差し,ピラミッドに隠れるそうです。都市の角度がこれに基づいて設計されているということです。既に現在にほぼ近い時間の概念と暦が完成していたそうです。そして階段状になったピラミッドは,52年ごとにピラミッドの上にピラミッドを被せていくことからこういう形になったようです。
そして,当時の天文学者は最も権力がある人物として豪華な家を与えられていました。その住居跡に行くと壁や柱はすべて装飾されています。
そして中央には水が貯められていて,星がそこに映り込み占いをしていたそうです。
この遺跡はそもそも宗教的な意味を持っていて,死者の道では古代サッカーの試合が行われていたそうです。周りには観客席もあります。そして,試合で優勝したチームのキャプテンは,最も誇り高い英雄として生け贄になります。
貧乏くじをひいた人が生け贄になるのではなくて,当たった人が生け贄になるんです。そして中央の月のピラミッドの上で英雄は殺されます。その後火葬にして,その灰を太陽のピラミッドの頂上に上げます。これで英雄は天の神に贈られたということになります。
今は石がむき出しになっていますが,建物全部(プラミッドも)には厚さ5cmくらいの漆喰が塗られ,さらに表面は赤く塗られていたようです。当時は相当派手だったでしょうね。僕たちが言った時にちょうど,当時の儀式の再現のようなものをやっていました。
それで,僕たちは究極のパワースポット、太陽のピラミッドに登りました。これがかなりしんどい。既に地上も標高2000mを超えている上,頂上は空気が薄い。しかも階段が急。緩やかなところで45度、ひどいところは写真のように直角に近い!登る時も降りる時も手をつかわなければなりません。
(これは比較的緩やかな方)
(犬もグッタリ)
(酷いところはみんな、手をついて昇り降りしてます。上から見るとほとんど絶壁)
そして僕たちもどうにか登りました。天頂から月のピラミッドを見た風景。
手前が死者の道です。
そして,頂上の中心には1cmほどの小さな鏡のようなものが埋め込まれています。当時ここには,すべてのエネルギーが集まるといわれていたそうで、ここをさわった人間は願い事が叶うといわれています。だからもう取り合い。
写真に写っているおばあさん、ずーっと離れません。そんなにお願いごとがあるんでしょうか?僕は触れませんでしたが、妻は触ることができました。
900年も続いた文明がなぜ滅びたのかは明確な証明がされていないようですが、最大で20万人を超える人口になった際に建物に使う森林を伐採しすぎて、水不足になったということが大きな原因になっているようです。1000年以上前に既に環境問題は始まっていました。僕たちもそうやって滅んでいってしまうかもしれません。
この辺は観光地なのでお土産売りが徘徊しています。僕たちが歩いていると「オモイデ」とか「メカケニオミヤゲ」とか「ヤスイ、タダドウゼン」とか片言日本語で話しかけてきます。300ペソ(3500円くらい)のものが無視しているとどんどん下がってしまいには20ペソ(300円くらい)になります。ほんとぼったくり商売です。で、なぜか僕たちに一番必要な水を売っている人が一切いない。多分水を売った方がかなり儲かると思いますよ。
そしてお昼頃にシティの方へ戻りました。
途中、壁に手書きの上手い広告が見えました。
メキシコはビルボードみたいなものがほとんどなくて、高速道路脇にはこういった手書きの看板があるんです。それが味もあるし上手い。
それと、山にはびっしりと苔のように様に家が密集しています。
これらは田舎からやってきた人たちで、勝手に国有地にブロックを積み上げて自分たちで家を建ててしまっているそうです。素人が作った家なので雨期には土砂崩れで流されてしまうとか事故は絶えないそうです。そして、不法居住でも税金はかかるわけで、建物のほとんどが未完成になっているのは、建設中なので住んでいないと税金逃れをするためだそうです。よく見るとパラボラアンテナが付いていたり、インターネットなんて書かれているので決して下層の人だけではなさそうですが…
街に戻ってきてまず先にバラガン建築を見に行くことにしました。ただ、バラガンの建物は財団が管理していて、事前にアポイントを取っておかないと中に入ることはできないようです。日曜日ということもあって、僕たちはとりあえず外側だけ見に行きました。が、やっぱり外側ってそんなに面白くない。まず、どういう外観か知らないと、他の外観もバラガンみたいな建物ばっかりなので分かりません。ヒラルディ邸=ピンクというのでかろうじて分かったくらいです。
隣も似た感じ。
ガイコツのかんばんがかわいい。
外観でいったら、バラガンよりもいい家は周りにたくさんありました。その後バラガンの自邸へ。ここはもっと分からない。
財団の看板が無ければ見過ごしてしまいます。そして、どこからどこまでが家なのかも分かりません。バラガンを見たい人は是非中を見た方がいいです。事前にアポイントをとりましょう。僕も今度来る時はちゃんとアポ取りをしようと思います。でも、“バラガン”という名前に執着しないこともお勧めします。普通の家やインテリアでもモダンでカラフルな色使いと民芸家具のコーディネートをしている所はたくさんありますから。
その後、フリーダ・カーロ美術館へ。撮影禁止なのでお見せできないのが残念ですが、フリーダの家が再現されていて、そこに飾られている民芸品や織物、刺繍、マヤ文明の出土品、蔵書、19世紀頃の絵画など、どれもいい。ここに飾られているような味のある物たちが現在どこを探しても見当たりません。
今日は、2000年の時空を超えるモダン建築の旅でした。2000年前のモダンと最近のモダン。買い物も充実していたし、収穫ある一日でした。