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インクルーシブ・デザインとエクスクルーシブ・デザイン
 最近僕はクドいほど社会とデザインの繋がりについて話したり、書いたりしています。
でも誤解しないでいただきたいのは、僕自身はエクスクルーシブ・デザインを尊重しているということです。社会性=インクルーシブ(日本的解釈で)ではないと僕自身は考えています。
 
日本ではインクルーシブデザインとユニバーサル・デザインは同義語で扱われています。エクスクルーシブはその逆、個人のためにあるデザインです。
もちろんユニバーサルという考えは重要だと思います。でも社会全体を取りまとめるデザインはとても難しい。そもそも社会とは何か?社会が認めたデザインが正しいかという疑問が大いに残ります。
 
結局のところ個が集まってグループになり、グループが集まって地域になり、地域が集まって社会を形成しています。森だってよく見れば1本1本の木で成り立っています。
社会と言えども利用する人は個でしかありません。個の満足があってこそ、それをとりまとめた社会があると思うんです。
 
僕は多分世の中ではコレクターとかデザインマニアとして知られています。自分では余り言わないけど、間違ってはないから言われて当然だと思います。マスプロダクトを仕事で関わりながらも、オークションやアートギャラリーでモノを買い漁っています。だからデザインは社会のためだけにあるものという認識はしていません。個人だけを満足させるためのデザインも重要です。でも、デザインは適材適所だと思っています。個人、グループ、地域、社会に求められていくアウトプットは違います。その場に応じた対処をしてこそ機能するものだと思います。個人だけが満足する物と社会が欲する物は違います。しかし、多くの個人が満足するものこそ社会という概念が成り立つと思います。当たり前の事かもしれないけど、様々なところに同じ力で表現していることが多い事を目の当たりにします。結局そのバランスがごっちゃになっている事が多い。
 
ただし、社会は大きなコミュニティです。自己満足ではなく相手の気持ちも考えなければなりません。好き嫌いは個人の判断だけど、社会という中にいるのであれば、客観性を持たなくてはなりません。デザイン的に嫌いでも機能と言う意味で理解しやすいものや、ウチのじーちゃんだったら使いやすいだろうな。という思いやりみたいなものは必要です。だから同じ個人のためのデザインであっても「自分のため」と「自分が考える誰かのため」という違いだけは認識しておかなくてはなりません。
 
それと、重要なのは個人のためのデザインを主張するためには個人がちゃんとデザイナーを支えなくてはなりません。ちゃんと買うということです。個人的なデザインをすればするほど、デザイナーは生活を維持するのは困難になります。好きなデザインを残したいと思うのであればちゃんとそこにコミットしなくてはなりません。その大きな行動が「買う」という事だと思います。ヨーロッパではちゃんとパトロンがいて、個人が満足する物を購入し、デザイナーやアーティストを支えています。パトロンまで言わずともそういった個人の支えがなければ維持はできません。相手もそれを分かっていて、言うだけの人と買う人では信頼関係が全く違います。僕個人もそれをやって来て、とても感じます。
美術館でもコレクターが作ったところが僕は好きです。買うという行為はとてもハードルが高い。それを乗り越えなければ分からないものがあると思います。そういう行為から集められたコレクションはモノとしての魅力を感じさせてくれます。そして、アーティストの気持ちも観客にちゃんと伝わってくる。
 
「柳本さん、最近考えが変わってきましたね」と言われる事がたまにありますが、僕自身はまったく変わって無いのです。
 
追記:インクルーシブについて分かりにくい部分があります。実際の意味によるとエクスクルーシブの集合体が社会性を持ち、インクルーシブになるようなので、僕が言っている事と変わりなく、じゃあインクルーシブでもいいじゃん。ということになりますが、日本ではユニバーサルデザインとごっちゃになっている感があり、本エントリーはそこに抵抗した文章になっています。つまりユニバーサルデザインは障害者や幼児・老人に優しいかもしれないのですが、個人の尊重する、例えば「モテたい」とかという部分はあまり反映されていません。エクスクルーシブは機能だけでは無いそういう欲望の部分を満足させる意味を持っています。
| Design | 04:23 | comments(25) | - |
DESIGNEAST 00

先日のiida発表会の打ち上げの際に、DESIGNEASTの実行委員会メンバーでもあるY原さんから応援を頼まれてましたが、ギリギリになってしまい、スミマセン。
 
東京、福岡とデザイン関連のイベントが定着し出しましたが、ついに大阪でも動き出すことになったようです。しかも名前がDESIGNEAST。なぜ関西でEAST?と思ったんですが、世界の東側という意味だそうです。東京が偉いというわけではありませんが、東京を差し置いてよくぞ世界の東の中心は大阪だ!と大きく出たもんだなと思いました。
現実に内容は大阪近県を中心とした国内の来客にターゲットを当てているし、聞くところによると海外のゲストに打診する時に「東京じゃなくて、大阪なの?」とごねられる事もあったそう。まだまだEASTとなるにはハードルは高いのかも知れません。
 
そして、東京のイベントはトレードショーを中心とし、福岡は繁華街を巻き込んでデザインの面白さを一般に広げていこうとする試み。では大阪はどうなるのか?と思った。
この不景気で東京のイベントはスポンサーが付かずかなり難航しているようです。100%デザインも今年で最後になります。そもそも日本のバイヤーは、展示会でライブのやりとりをするよりも、カタログをもらってウチでじっくり品定めをする傾向があり、会場では反応が全く見えない。海外からの出展者はさぞかし不満だと思う。サローネに出品するデザイナー達もみんな「日本のお客は反応が全く無いからミラノに出すんだ」と言っています。こんな状態でトレードショーをやっても成果はないだろうし、大阪の会場は中之島らしく、心斎橋、梅田、なんばなんかに比べると人ははるかに少ない。一般を巻き込んでいくには難しい立地だ。それ以前に他の都市でやっている事をそのままやってもうまくいくとは思えないし、大阪は大阪なりの展開をする必要があると思う。
で、その答えがトークセミナーを中心とした内容だった。地味だけど僕は納得でした。
 
僕も最近、トークイベントが増えているけど、このところ聞きたい、知りたい人が増えているように感じる。デザイン本も作品集やビジュアル系より、テキスト系の方が売れているようです。それにトークイベントは会場と椅子さえあればゲリラ的にどこでも出来てしまう。お金もかからないし、規模を広げていく事も容易です。あとは、どれだけ巻き込めるかかな。地方からトークだけ聞きにくる人はよっぽど業界人かマニアだろうし、

そして僕自身は、デザイン業界だけでなく、究極的にはおばちゃんも聞いてみたくなるようなスピーカーとデザイン関係者を結びつけ、賛同する人も反対の人も街の中のカフェやショップ、ギャラリーでそれぞれゲリラ的にトークイベントが行われるとイベントの奥行きが広がっていき地域に根ざしたデザイン啓蒙が出来るんではと思っています。いろんなセミナーで建築家の都市論やデザイン啓蒙の事を聞くけど、結局のところ社会にコミット出来ていない。結局は業界内で話しているに過ぎないと感じているからです。そういう意味では分かりやすく伝えることも必要です。
 
ただ、デザイナーズウィークのように大人な諸事情を持ったイベントと違い、若いなりのエネルギーと手探りながらも前に進もうとする気合いみたいなものは感じられます。転ぶのを恐れて何もしないより、転んでも転んでも、立ち上がって前進している人達の方が僕は尊敬します。これを機に、本当にDESIGNEASTの名にふさわしいイベントに発展していく事に期待してます。来年は必ず行きますね。


| Design | 12:31 | comments(4) | - |
デザインジャーナリズムとは一体何なんだろう?
 何度かエントリーした、shop btfでのトークセッションが終わりました。
 
いや〜疲れた! 一人で喋ってもこんなに疲れないのに。3時間という長丁場もあったと思いますが、言葉と一緒に出てくるエネルギーみたいなもののキャッチボールがとてもずっしりと重かったのが一番の要因の気がします。さらに進行もやっていたF崎さんはさらにお疲れだったことでしょう。
 
3時間も文句も言わずお聞きいただいたお客さんにも感謝です。
 
自分たちの言いたい事は結構言ったつもりですが、そういえば、デザインジャーナリズムとは一体何なんだろう?という根本的なテーマの総括はされていなかったかもしれません。
個々には持論のようなものは出て来ていたので、あえて総括する必要もなかったのかもしれませんし、そもそもそんなに簡単にまとめられない事かも知れません。
 
僕はトークの中で、
出来上がって市場に現れたものを批評する事の弱さ。(自分の批評がどれだけ、そのものの今後に影響し、市場に影響をもたらせるのか疑問)ということと、最近仕事で市場に現れる前のものを批評(制作に関わる)し、生み出す方が影響あるのではないかというようなことを話しました。
かといって、市場に現れたものを批評するのに意味が無いということは無いとも思います。
僕は僕なりに良いものを生み出すために制作過程で批評していますが、それが正しいとは限りません。だから、それを誰かに批評してもらう必要も感じます。またそれとは別に、モノの考え方、モノの見方を多くの人に知ってもらう必要もあります。
 
世の中を変えるために政治家になる人がいますが、政治家にならずとも方向性(マニフェスト)を理解し、自分の考えを体現してくれる人に一票入れる事も重要だからです。
でも、それには自分の考えを明確にしなければなりません。そして、分りにくいマニフェストを分りやすく説明できるジャーナリストの存在意義もあります。
 
F崎さんがブログでエントリーされた通り、僕も僕の思っている事に賛同してもらえることはそれで嬉しいのですが、以前エントリーしたこともありますが、意見は違っても根本的なところは賛同している事もありますし、もちろん全く正反対の考えだったとしても、ダメとは思わないし、むしろ僕の方が間違っている可能性もあります。
やはり「沈黙(言う事があるけど言わない)」「無関心」の方がよっぽど怖い。
 
別に前回のイベントに対し僕はアジったわけではないけど、結果的にそれが火種になり今回のトークイベントが企画されトーク→ネット→トークと有機的に繋がりました。多分前回のトークイベントよりもさらに関心は高まったと思っています。そして、さらに今回のトークに対し何か意見を言ってもらえると、その波紋はもっと大きくなり、他のところにも飛び火して、根本的に社会がその問題に対し向き合わなくてはならなくなるくらい発展するかもしれません。
 
個人的にはもう少しH塚さんの話を突っ込んで聞いてみたかった。打ち上げも対角線で一番席が離れていたので、その辺がオフレコでも聞けず残念。H塚さん。また別の機会にお聞かせください。
 
もう一つ気になったのはライブ配信でした。
これはS木さんのところでも言及されていますが、リアルに参加する意義みたいなところを少し欠いてしまったかなと思います。(それだけの理由ではないと思いますが、結果的に40人ほど予約者が来なかったようです)
配信されているからこの事についてはしゃべれない。ということは僕自身ありませんでしたが、わざわざ会場に来てくれている人に対してのサービスとしてオフレコタイムがあっても良かったかなと思いました。
あと、LIVE配信を見ていた人は言いかもしれないけど、その後3時間も無編集の映像を見るのも、自分だったら面白いかなあ?とちょっと疑問に思います。
 
 
 
前回トークに参加し、今回はお客さんとして参加していただいたO田さんから「ウェブマガジンは発展するか?」というような質問が出ました。
 
既存のメディア、テレビや雑誌にはそれぞれ特有の構成があります。現在は過渡期なのでウェブ上でも従来の紙メディアに近い構成のもとウェブマガジンは存在していますが、僕は恐らくウェブなりの表現がもっと確立すると思います。
前回の各ブログのやりとりを読者はリンクを飛びながら読んでいたはずです。それ時点で無意識のうちに読者は自分で編集した一つの対談ページを完成していたことになります。これがウェブにできる自由さの気がします。
ブラウザ(インターネットを立ち上げると最初に出てくる画面。ニュースや検索エンジン、天気予報などが一面で構成されているもの)を例えば検索エンジンはGoogle、ニュース欄は日経、お気に入りのブログなど個人個人が自由にカスタマイズするようになったら(すでにそういうソフトはありますが)、それで自分が編集長のウェブマガジンが完成するのではないかと思っています。ブログのように自由に自分で解説できるメディア世界こそウェブの媒体としてのあり方にも感じるのですが皆さんはどうでしょうか?
 
| Design | 23:58 | comments(0) | - |
Less and More?

遅ればせながら、府中市美術館で行なわれている「純粋なる形象」展を見に行ってきました。
府中は20年くらい前に1年ほど住んだ事があります。しかし、この物覚えがいい僕が全くと言っていいほど駅前の雰囲気を覚えていないんです。もちろん20年で駅ビルなんかなど相当変わってはいるものの、街並まで変わるはずないのですが。。。
 
この展覧会は昨年大阪のサントリーミュージアムから始まったものです。ご存知の方は多いと思いますが、BRAUNでデザイナーをやっていたディーター・ラムスの作品を中心に展示しています。
 
BRAUNやディーター・ラムスといったらこのブログでも何度となくエントリーしてきました。人は置かれている状況などによって物事の受け取り方が変わりますが、僕もその度にい受けた想いが変わっています。今現在、僕はデザインという枠から一歩足を出したスタンスにいること、と言いながら様々なプロダクトデザインの開発でデザイナーと交流が密になっていること、それと散々デザインを見たり使ったりしてきたことなどもあり、2005年にアクシスで行なったBRAUN展に関わった時と変わらない想いもあれば、変わっている部分もあることに気づきます。
 
ディーター・ラムスは凄いと思います。また彼のデザインポリシーはBRAUNという組織とそれを取り巻く人々がいたからこそ生み得た奇跡だとも思います。
デザイン10か条は重みもあるし、納得できる。それを前提としてあえていうと、ラムスにあまりにも傾倒する危険性もあります。
60年代にひげそりメーカーであるジレット社にBRAUNは買収され、90年代位からジレットの影響力が高まり、ラムスは経営者と折り合いがつけられずに退社しました。現在ジレットはさらにP&Gに買収され、より大衆的なアプローチになっています。
ここまで多くの人に絶賛されるBRAUNデザインが何故無くなったのでしょうか?
 
初期のBRAUNは市場の4%シェアを(それもトレンドリーダー)握ることを考えていました。4%には有名デザイナーや建築家が該当しました。彼らが実際使ったり、自らの空間で用いたりすることによってその周りの20%位のフォロワーを囲い込んだのです。今でいう「セレブ御用達のこだわりの逸品」みたいな売り方をしていたわけで、これがラムスの嫌ったマーケティングそのものでは無いでしょうか?
 
それが利かなくなった大きな理由はリーダーからユーザー側に主導権が変わったからです。これは豊かさと時代の流れです。要は昔は物が少なかったのでリーダーの視点などが選択肢の支軸になっていましたが、物が多くなり、生活スタイルも様々になってくるとスタイルに応じたものの選択が要求されます。この流れについていけないものは淘汰されていくのです。同じ方向のデザインでもアップルはちょっと違います。アップルはプロダクトだけではなく、それを取り巻くツールやアプリケーション、ソフトで世界観を作っています。
IBMはハード権利を売ってしまった。オリヴェッティも失敗し、スティーブ・ジョブスが作ったNEXTも失敗しました。ハードだけ作っていたデザイン企業は衰退していったのです。これが時代の潮流です。
先人のデザインをちゃんと評価するのは重要ですが、どこかしこりが有る感じがします。もしかすると「あの頃はこんないいものがあった」というどこかノスタルジックな気持ちがそうさせているのかもしれません。
 
現にラムスの作品も皆、50~60年代の作品に注目しますが、現代の作品に対しコメントしている人を知りません(誰か好きな人がいたら教えてください)。
同じデザイナーが同じ哲学を持ちデザインしているのであれば現在の作品も評価できるはずです。でも近作を僕は良いと思わない。
多分復刻したとしても余り売れないと思います。もうすでにアップルが現代的な展開をしているのですから。
 
 
それとよく見るとわかってくるのですが、ツマミやボタンの配置が限りなく規則的に、そしてデザインコンシャスにまとめられています。シンプルながらも僕たちがBRAUNのデザインに魅了されるのは視覚的な法則をふんだんに使っているからです。
 

BRAUNで最も有名なプロダクトでもあるSK4ポータブルプレーヤー。これはウルム造形大学の工業科部長だったハンス・ギュジョロとラムスの合作ですが、赤線で引いたように空きの間隔や配置がグリッドによって決まっている。プロダクトデザインでありながらグラフィック的な処理をしていることが分ります。これがカッコいいと思わせる秘密。
装飾をシンプルにするという装飾がBRAUNのデザインに見ることが出来ます。決して装飾が無いわけではないのです。 
 
グラフィック的な視点からBRAUNを分析している人は余りいないと思いますが、そこには当時のスイスやドイツで盛んだったモダニズムの哲学が踏襲されています。多分、その後多くのデザイナーがこのBRAUNプロダクトを模倣する際に、その哲学的部分を切り捨ててしまったと思います。それがモダニズムの劣化です。シンプルゆえ簡単に模倣できますが、コクのないスープのようにモダンデザインはどんどん生み出されます。その嫌気が60年代末のラディカル運動やその後のポストモダンを盛り上げるきっかけになりました。
奇しくもBRAUNを生み出したウルム造形大学は68年に閉校します。こういった流れもBRAUNのデザインを存続していけなかった理由ですが、この劣化が起らなかったとしても、しょっぱいものをずっと食べていたら甘いものが食べたくなるように、人々は本能的に変化を求めていたのでしょう。
 
今の僕の見方からはデザイン10か条では足りない要素がまだあると考えます。
僕はモダンもポストモダンも好きです。だからロバート・ベンチューリが「Less is Bore(少ないことは退屈だ)」と言った言葉とミースの「Less is More(少ないことは豊かだ)」、そしてラムスの「Less and More(より少なくより良いものを)」とのバランス加減が重要だと思っていて、ラムスの言葉やデザインをそのまま鵜呑みにしてはいけないなと感じるのです。
| Design | 23:23 | comments(1) | - |
石立鉄男と倉俣史朗
最近未整理だった雑誌の切り抜きをファイル収納し始めています。特に未整理で多かったのが1965年から72,3年の建築・デザイン誌です。
 
ご存知の人も多いのですが、僕は毎月相当な雑誌を購入し、それを切り抜きファイルしています。雑誌には様々な記事が掲載されています。特集、連載コラム、映画評や書評、トピックスなどなど。何年も経ってあの記事ってどこにあったかなあ?なんて探していると大変です。だから僕はカテゴリー別に切り抜いた記事をまとめてしまいます。例えば映画だったら監督名で分類されています。さらに監督でも記事が多くなると何冊にもファイルが増えるため、例えば「小津安二郎 1964-Vol.2」とかとします。そのファイルには1964年に公開された映画評、やインタビュー記事、映画パンフレットやチラシ、その後ビデオやDVDが発売された時の評論などが入っているので、サッと検索できるのです。
 
同様にデザイナーやら文化人やらファイルを分類して整理しているのですがその中で特に気になったのが倉俣史朗の記事でした。
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| Design | 22:50 | comments(0) | - |
僕にとってのデザインジャーナリズムって何だろう?
 編集者、デザインジャーナリストでもあるF崎さんのブログ「ココカラハジマル」で最近何回かやりとりをさせていただきました。前回エントリーでも少し触れた「デザインジャーナリズム」についてトークであまり聞けなかった事もあり、その消化不良になっている部分を訊ねてみたわけです。
 
(前回エントリーで不適切な言い回しがありましたが、それについても「ココカラハジマル」とS木さんのブログ「フクヘン」でやりとりがあり、誤解ある表現なので削除してもいいのですが、こういった相互関係や言葉の問題を第三者にも読んでいただきたくそのままにしておきます)
 
唐突ですが皆さんはデザインジャーナリズムをどうお考えでしょうか?
 
デザインマニアな僕は批評的視点を持ちつつもデザインの世界の中を泳いでいました。
しかし、企業やビジネスとしてデザインと関わるようになった頃から、デザインとはなんなのか疑問に思うようになってきました。
11月のデザインウィーク時に会場の一つ外の道を歩いていると、そんなイベントなんか全く知らない人が大勢歩いている。
家電量販店で携帯を見ていると横にいたギャルがデザイン携帯を見て「チョー使いにくそう」と言っている。
爆発的に売れている商品なのに流通のバイヤーが飽きてしまい、棚から外されてしまう。
 
僕が仕事で関わっているところの多くはデザインというものが軽視されて、都合がいいところだけ便宜的に使われています。多くの場合、デザインはかっこいいものとかエッジの利いたものとかという認識しかありません。それはデザイナー自身もそういうものだと認識している人もいるでしょう。
デザインに対する一般の誤解を感じれば感じるほど、僕はデザインに関わってきた僕自身を含め、どこかデザイン好き向けの身内受けすることをやっていたのではないかと思うようになってきました。
また、デザインに興味の無い人を上から目線で(例えば分らない人はダサイとか)見ていなかっただろうか?とも思う事もあります。
実はこの気持ちが見えない壁を作り、誤解を生み出しているのではと感じるようになってきたのです。
 
もちろんデザインジャーナリズムはデザインに向けて必要でしょうが、この誤解を解くにはデザインを誤解している人向けにコミュニケーションを取っていくしかありません。
たとえデザインという言葉を使わなかったとしてもデザインはどれだけ人々の利害関係と結びついているかを伝えなければならないと思っています。
 
デザイナーに対しても、前回のエントリーのように自然や先人に畏敬を持ってもらいたいと思います。そしてデザイナー達がクリエイティブと思っていない世の中の人達は極めて本能的にかつ的確にデザインを捉えている事を知る事も重要だと思います。
おばちゃんやギャルのほうが、より本能的で的確だと僕自身も感じる事が多々あります。
 
僕は幼少の頃、変な子供と思われていました。親にも訳の分からないガラクタを集めていると思われ理解してもらえませんでした。僕はその頃みんなに理解して欲しかった。そこで僕が考えてあげく発見したのは「相手の身になる」ということでした。つまり、相手が興味がある切り口であれば関心を持ってもらえるのではというものでした。
その1つが「価値」です。TV番組「なんでも鑑定団」によって多くの人が見向きもしなかったものがお宝になりうるということで関心を持ち、大衆に愛される長寿番組となりました。
 
4年ほど前、BRUTUSで「切手デザインをなめんなよ!」という特集前半を監修させてもらいました。(後半の美術切手はS木さんですよね?)切手は絶大なマニア市場がありながら、彼らの文脈の中で価値観が定められ閉鎖されていました。だから外側から見る人は「オタク」という偏見で見てしまいます。僕は切手にはもっと多様な楽しみ方があるはずだ(僕自身そういう観点で集めていたので)それをBRUTUSといった開かれた媒体で取り上げてもらい、その後かわいいという観点で切手を集める女子が爆発的に増えました。
 
エアライン、鉄道、僕も関わってきたこれらのものも同様に、今ではかなり大衆的になってきたと思います。
 
宗教や民族学をお笑いの観点から大衆に浸透させるみうらじゅんや「アメトーーク」のOO芸人にも似ています。
 
こういったことはデザイン業界にも通じると思います。人は直接の利害関係がないとなかなか興味を持ちません。どのようなアプローチが利害関係と結びつき、デザインの誤解が無くなることに繋がるひとつの要素だと感じています。
 
社会性といったら大げさですが、デザインの文脈から一歩出る事が僕なりのデザインジャーナリズムなど思っています。
もちろん、これだけがやり方では無いですし、僕は信じていますがやり方を間違っているかも知れません。それでも信じているのは実際これまで何度か成功してきたからです。
 
僕のスタンスはデザインマニアが喜ぶよりいいものを批評することでなく、どうしたら大衆がデザインに興味を持つかという部分です。だから最近は専門誌やデザイン的アプローチより外側で仕事をすることも多くなっています。
でも、僕自身はやっぱりデザインマニアです。多分この気持ちも無いとデザインに対し愛情ある関わり方が出来ないんだと思います。
| Design | 23:04 | comments(13) | - |
着眼点
 お世話になっている勝ちどきのShop btfdezain.netを主宰しているO田さんとデザインジャーナリストのF崎さんのトークショーがあるということで、デザイナーのトークはそれなりに聞く機会はあるけど、伝える側のトークってあんまりないので、これは!と思い行ってみました。
 
その前にF崎さんのブログでかなりの意気込みを感じ、期待が大きかったのですがその割には核心に触れる話が余り飛び出さず、ちょっと寂しかった。思うに会場の一番前の端にF崎さんのクライアントであるMハウスのS木さんが居たので、なかなか喋りにくいんだろーなーとは感じました。僕だったら結構言ってしまう事が多いです。よく編集部がウチに打ち合わせに来る際、かなり辛口批判をしたりします。企業もそうだけど大抵の場合当人達が一番その事を分っている訳だから「こいつ嫌な奴」なんてことにはあまりなりません。僕と当人は問題意識を分っていますが、第三者はあまり知る人は少ないので、僕はこういう機会こそそこまで踏み込んだ発言をするべきだと考えています。まあ、立場は人それぞれですから僕がトークする場を与えられた際は話をしたいと思います。
 
話を元に戻しますが、お二方はキャリアも長いし(O田さんは僕より少し年下ですが、学生時代から執筆などしていましたから)僕も少なからず同じような仕事をしているので「うん、そうだよな」という共感できる部分は多かったです。特にモノごとの見方の多様性という部分には僕もずっとここでも仕事でもいい続けている所なので編集に関わる最も重要な視点なんだろうなあと確認する事が出来たと思います。まあ、深い話はトーク後の飲み会で聞けばいいやと思っていたのですが、F崎はトーク終了後すぐに帰ってしまったので残念。また別の機会にじっくりお話をしたいです。
 
2部としてO田さんが昨年仕掛けた「日本史展」でキャスティングされたキャノンのデザイナー、S水さんとその上司のI井さんを交えての「愛のバッドデザイン」トークが行なわれました。
彼らはどこかお笑いのような感覚でやっているプロジェクトのようですが、僕は感動してしまいました。「バッドデザイン」と括ってしまうと心外なのかもしれませんが、彼らの選ぶものは、世の中で「このデザインいいよね!」と言われず無視されているものをピックアップしています。だから「無視されたアノニマスグッドデザイン」も多いのです。
 
僕もいつも日常の中の何気ない部分にモノごとのヒントがあると思っています。今回の感動した部分は、お二人のかけあいにありました。紹介される写真がスクリーンに映し出されるとS水さんはチョイスの理由をディテールやマテリアルなどかなりデザイナー的視点、論理的に解釈します。文豪I井さんの解説、というか詩の朗読は感性と着眼点の面白さを広げてくれます。見事なバランス! 
 
もっと感動したのはS水さんのいう「ノスタルジー」。
多くの場合、チョイスされた物は幼少の時代に体験した中から見いだされたものが多い。例えばカスタネットやよく田舎の家にあったトイレからニョキッと出ている煙突のような換気扇、お祭りでもらう金魚を入れるビニール手提げ、牛乳のキャップを外す針のようなオープナー。でも、僕は話を聞いているとノスタルジーじゃないんじゃないかと思いました。
 
例えばチューペットを選んだ理由についてかすかに残る匂い(製造工程の中でチューペットは中身のジュースに浸けて中身を入れるため、ジュースが外側に付着し、洗浄しても多少匂いなどが残っている)だったり、牛乳瓶の口に被せたビニールに関しては、剥がす時に部分的に接着された部分が外れる音だったり、カスタネットは赤青に塗られた塗装の質感だったり、子供の頃に体験したものは五感で記憶されている。ノスタルジーと言えばノスタルジーだけど、よく子供の頃の体験がその後の人生に大きな影響を与えると言われるように、僕たちが生活する現代の感性はその頃に養われたんじゃないのかなあと思います。ということは現在僕たちが選択しているモノごとの無意識の部分に大きな影響をもたらしているはず、単なるノスタルジーではなく現在進行形なのだと思うんです。
そして、デザインの認識が無かった幼少の記憶は多くの人の共感として結びつき、購買に結びつくとしたら、デザイナーの作る物はどうあるべきかという根本の問題にも関わってきます。
 
誰にも見向きもされないものにもデザインはあり、長年にわたり形状進化が無い物が多いため、日常に埋没し、皆がデザインだと余り認識していない部分。前に鋏について書きましたが、何百年以上形に変化が無い、つまり完成されたデザインなのです。
それでもデザイナーは鋏やナイフやフォークをデザインする。それについては僕も肯定はしているんですが、最近のデザインを見ているとあまりにも本質から逸脱し、形状としてとらえ、それをデザイナーの個性としてとらえようとしている感じを受けます。S水さんたちのトークを聞いていて、彼らのそういった物への敬意と愛情を感じたのです。僕はそこがデザイナーにとって大事だと思うんです。先人の遺してきたものにちゃんと敬意を払いつつデザインする清さは忘れてはならない部分だと思います。
そして無視された日常のデザインを発見することも重要なリサーチ活動です。ル・コルビュジェが世界を回って描いた遺跡のスケッチやイームズが撮り貯めた素材などの写真を見ると、彼らがいかに発見し、名も無きクリエイター達に影響され、愛情を持って自分たちの活動に組み込んでいったかがわかります。最近のデザイナーとかを見ていると、先人は先人でもル・コルビュジェやイームズのリデザインでしか無い事が多いのです。ネットで検索すれば出る程度でモノごとを思考しています。僕は膨大な収集をするので事例にはならないけど、いつも多くの人にリサーチや体験の少なさを感じます。
 
S水さんのバッドデザインは一見お笑いだけど、僕は本質を捉えたリサーチ活動だと思いました。そしてこんなことを会社の仕事の一部としてやっているキャノンという会社が羨ましく思いました。S水さんは自身でやっているバッドデザイン的な作品とキャノンでの仕事は条件が違うだけで、思考は同じだと言っていました。今回の話を聞いてようやく理解できた気がしました。そしてこの大事な事を忘れてしまっている多くのデザイナーにもっと聞いてもらいたいと思いました。
 
その後O田さんやS水さん達と飲み会へ。席が離れていて話が余り出来なかったのですが、トーク観客として来ていたK藤さんT田くんN山さんH水さん、K藤さんが誘ったらしいぽむ企画のH塚さん、建築ジャーナルのY崎さん、10+1のS藤さんK戸さん、btfのスタッフさんやO田さんの元教え子も参加していて、某建築家・某デザイナー批判や批評が飛び出し盛り上がっていました。飲みの席なので批判話はここでは控えておきます。
みんな業界の人達なので、なかなか諸問題について意識確認が出来ました。特に僕はあまり交流の少ない建築関係の人の方がはっきりものを言うのでもう少し突っ込んだ話をしてみたいと思いました。
| Design | 23:57 | comments(0) | - |
究極の道具

5月に21_21で開催予定の「骨」展のために今回ディレクションするY中俊治さんが来ました。
 
僕はデザイナーでないのでメインの作品展示には参加しませんが、骨を広げる展示コーナーでいろいろ貸し出しをする予定で、その辺のコレクションを確認するのが目的でした。
 
僕は特に骨を集めているわけではないのですが、製薬メーカーなどの骨格模型なんかを売るほど持っていたりします。また写真のような手術器具も大量に持っています。今回は骨がテーマですが、道具の骨組みも含まれるということでこういった道具にも大変興味があるということです。
手術用具は医療専門のもので、一般に売られることはまずありません。それはもちろん世界でも同じ事。上で紹介している鉗子は第二次大戦中にブルガリアの陸軍医療部が使用していた物です。専門ではないのですが、古くはローマなどで使用されていた手術器具から2000年以上の歴史的なものを持っています。変わり種はデイビッド・クローネンバーグの映画「戦慄の絆」で使用された手術用具のプロップも持っています。こういった手術用具だけでも展覧会ができます。
他にも製図用のコンパスなどを探しているそう。もちろん僕も19世紀の物を中心に集めているので、この辺も展示されるかもしれません。
 
この前知人会った時に「道具をデザインできるデザイナーってなかなかいないよね」という話になりました。特に専門性の有る道具ってとてもシビアですよね。大抵の場合、使っている職人自らが業者に頼んで作ってもらうことが多いようですが、使用方法など徹底的に理解しないとデザイン出来ない。かっこいいフォルムというより、実用性が100%求められているから、専門的な人が使っている道具は究極の用の美を兼ね備えています。何百種類もある上のような鉗子も全部使用方法と使用場所が違う。そしてその場所で使うための配慮も徹底的に行なわれています。間違って他の場所を傷つけたら大変ですからね。
 
プロフェッショナルな道具には機能美が宿っています。だから僕は集めてしまうんでしょうね。骨もそう。なるべくして今の形になっている。これが細胞によって自然に出来るのが凄いですね。体も備わっている道具。例えば手だって殴る拳になれば手をつないでロープの継ぎ目の役割もする。つまむこともできるし、かきあつめることも、液体をすくうこともできる。こんな多機能な道具は未だ存在しないでしょう。僕たちそのものが究極の道具を兼ね備えているんですね。
| Design | 23:52 | comments(0) | - |
わたし大好き

ここ半年仕込んでいたプロジェクトの発表会が本日行われました。プロジェクト名は「iida」。auを手がけているKDDIがauとは違ったアプローチ(auが機能を中心に開発されるプロジェクトなのに対し、iidaはデザインやアートなど感性軸から開発するプロジェクト)でケータイライフを作っていこうという試みです。
 
これまでauから出してきたau design projectanother work*sはこのプロジェクトに吸収されることになります。
iidaとは「innovation」「imagination」「design」「art」の頭文字を取った造語ですが、昨年から名前は聞いていたのですが、本社のある「飯田橋」ってのもネーミングに関わっているとかいないとか。
携帯などの開発には1年ぐらいはかかるわけで、今回発表されたI崎さんデザインの「G9」もそもそもはデザプロ企画として考えられていたもの。草間さんのものはかなりiida寄りの企画ですが、本質的にiidaらしい端末が出てくるのは来年くらいでしょうね。
 
昨年7月にanother work*sという携帯周辺グッズプロジェクトが始まりましたが、そこで発表したU山君の植物風充電器「Midori」がマスプロダクトされることになりました。
またそれにあわせて通常の充電器も黒だけではなく、白、水色、ピンク、茶が発売されます。多くのインハウスデザイナーに聞いたところによると携帯などのデザイン開発でも充電器というものは不可侵でどんな大物のデザイナーも充電器に関わることをタブーとされてきたようです。でも僕たちはそんな内情は知らないし、白い携帯なのに白い充電器が無い事自体がづっと疑問に思っていたのです。U山君の「Midori」はそのタブーに最大限挑んだ商品といえます。色を変えるだけでも業界としては画期的なことで、今後のデザイン開発に大きな風穴を開けたのではないでしょうか?
 
今回は端末が中心の発表だったのでanother work*s第2弾としては地味だったのですが、今回もいろいろなデザイナーに関わってもらいました。もとNEC時代から実際docomoの端末デザインなどをやっていたK本さん。彼は携帯式の充電器を考えました。NOSIGNERくんは水たまりのような携帯用滑り止めと最大3人で音楽を聴くことが出来るコネクタを。K谷くんは携帯画面に貼る保護シート、紅一点、M本さんは動物型の携帯クリーナー、H本さんは充電器のコードがまるでぐちゃぐちゃに絡まったようなトレイを、K間田さんは携帯のバイブ振動を軽減するラバーストラップをそれぞれデザインしてもらいました。U山くんのMidoriのように出来るだけ多くのデザイナーさんの商品化を目指します。
 

K本さんの携帯充電器
 

K谷くんの画面フィルム
 

M本さんの動物クリーナー
 

NOSIGNERくんのコネクタ
 

同じくNOSIGNERくんの水滴型グリップ
 

K間田さんの振動軽減ストラップ
 

H本さんの混沌コードトレイ
 
何よりも、今回のパーティの主役は草間さんだったことは間違いないでしょう。宇宙と交信するエキセントリックなおばあさんですが、空気を読まないのに話し始めると、その場の空気を全部自分に向けてしまう、インパクトだけではない強い生き方を感じてしまいました。彼女は「わたし大好き!」っていう言葉で作品のコンセプトを全部まとめてしまうんですが、僕たちが小賢しくデザインをいじっていることがちっぽけに見えてしまうほどの強烈な存在感と、「わたし大好き!」という究極の存在意義を見せつけられた気がします。普通のおばちゃんとは違うかもしれないけど、普通のおばちゃんにも通じる何かをここでも感じてしまったのです。「わたし大好き!」に込められた深層心理を僕はもっと知ってみたいと思っています。
(上の写真の草間さんが持つBOXも万華鏡のような携帯「水玉で幸せいっぱい」)

草間氏のプレゼンテーション風景
 
パーティが終わり、U山くんはじめ、T井君などAW*s vol.1組、今回発表が出来なかったSくん、Design TideのA木くん、燕子花のS水さんプロデューサーをやってもらったY嵜さん、などなど総勢20人強で2次会に。30代前後の有力なデザイナーがこれだけ揃うこともなかなか無いでしょう。ここに今テポドンでも落ちたら、日本のデザイン史のなかで、この世代が空白になってしまうのではないかと思うほどです。この中で僕は最年長で、ほぼひとまわり彼らとは世代が違いますが、「デザインって何なのか?」みたいなことを話し始めると次から次へと話に入ってきて、みんな真剣に考え、語り出す。人間的であること、プリミティブであることなんかが今回は話のテーマになっていましたが、皆は僕が見てきたことに興味があり、僕は彼ら世代の考え方に興味があり、とても深い話が出来ました。この世代の面白さはお互いを尊重し、紹介し合い、有機的に結びついていること。建築家でもこの辺は熱いですね。
社会とデザインの関係をもっと俯瞰で見ることが出来る。そんなデザイナーになってくれることを少し先輩の僕は期待しています。また、定期的に飲みましょうね!
今度は終電で京都に帰ってしまったY原さんも是非一緒に!
| Design | 23:57 | comments(0) | - |
自分で気づく

ここでも何度かエントリーしている「僕らの空想日記展」が銀座TEPCOで始まりました。29日まで開催してます。
今日はトークセッションもあるので、ちょっと早めに会場入り(といっても夕方ですが)メールでは何度か確認していましたが、僕の提案する「モンスター・ケーブル」の実物をみるのはこれが最初。モンスターのドックを含め、3本のケーブルを開発。その1本が上の延長コードです。
 
作品は人形作家のペロクーンM川さんにお願いしました。グロかわいいペロクーンの人形は前からファンで、特注でウチ用に何か作ってもらいたいと思っていたのでこれは絶好の機会だと思いお願いした訳です。

インテリアデザイナーのK山正道さんやシューズデザイナーのM原康裕さん(シューキーパーを別注)、パリのセレクトショップ、コレットのサラ、そして昨年末オープンしたTOKYO CULTUART by BEAMSで取り扱われるなど業界にもファンが多いようです。
 
「僕らの空想日記」ブログを既に見てもらっている人はご存知かと思いますが、僕のテーマは「発想の転換」と「気づき」(これはトークセッションの時にも話しましたが)です。今までの空想生活、そして今回のイベントのキャスティングを見て、かなり真面目なアイデアが出ると最初に察しました。今回はイベントという部分が強かったので、真面目に考えながらも見た目が面白いものを出そうと考え、このアイデアを思いついたのです。
 
真面目に考えたのが「発想の転換」と「気づき」というテーマでした。「発想の転換」は普段ネガティブに思われている所をポジティブな変換にすることです。パソコンやAVまわりは配線コードでぐちゃぐちゃになります。多くの人はそれをネガティブに感じ、隠してしまいます。僕はアクセサリーをじゃらじゃらくっつけてるみたいに装飾してそのまま見せられるようにしたいと感じました。もともと僕の家で使っているBLESSのコードが元ネタでしたが、僕はもう少しキャラっぽくして人格みたいなものを追加したかったのです。八百万の神って言うけど日本人がモノに持っている精神性みたいなものを作品に込めました。写真はありませんが、モンスターのドックは口からと肛門からコードが出るように設計しています。で上で紹介したコードは「コショコショ」というケバケバ毛玉みたいなキャラが数珠繋ぎになっています。
 

そしてこれは「たすけて〜」というキャラクターのUSBケーブルです。会場にはモンスターのドックと肛門から「ウンコちゃん」というコードがもう1本展示されています。
 
もう一つのテーマ「気づき」は、こういったあまりデザインされないコードという部分に「何かやりようがあるんじゃないか?」と気づかせるということです。僕の提案した作品はどちらかというとアート色が強いし、好き嫌いもあると思います。だけど、これをきっかけにいろんなデザイナーがそこに着目し、それぞれのコードのあり方(もしかしたらコードレスも含めて)考えてくれたらこの企画は成功かなと思っています。
 
18時からはエレファントデザインのN山さん、Landscape ProductsのN原さんと僕の三人でトークセッションが開かれました。1人では1時間って結構長いんですが、3人だとあっという間に過ぎてしまいさらに時間オーバー、TEPCOの閉館時間になりその後のコーヒーチャット(お茶をしながらの交流会)がせっかく用意していながら中止になってしまいました。それでも3人がそれぞれ微妙に違ったポジションなので出てくる話がなかなか面白かったのではないかと思いました。
 
トーク終了後、デザイナーをしている女の子に作品を見てくれと頼まれました。作品を見てどうか?どこが悪いか言ってくれと言われました。
僕はそれを見ても相手には悪いけど「いいんじゃない?」しか言えない。「どこか悪い所があったら…」と言うという事はどこか自分で満足していない部分があると思います。だから、僕がああだこうだ言うより自分がどこに満足しないのか、自分が他人だったときその作品を見てどう思うか?の方が重要だとだけ返しました。大抵の場合自分の中に答えがある事が多い。もっと深く自分自身の気持ちを探る事が必要だと思います。作品は就活イベントのパンフレットだったのですが、1番大事なのはいかに興味を持って読んでもらえるかという事。その子の作品は気にしてもらうフックになるようなギミックがついたデザインでした。それはそれで第一段階はクリア出来ると思います。でも最終目的はそれを読んでもらうことであるならば、もはやデザインだけではダメです。読みたくなる内容など編集的な部分も重要。お金を出してでも欲しいと思わせるクォリティにすることがいい作品になるのではないでしょうか?それには、自分がお客の目線になって客観的に考える能力を養う事の方がデザインを綺麗にするよりずっと重要です。それは教えられる事でなく、僕は気づかせる事しか出来ません。
 
たまに「何をしたらいいか?」とか「どうしたらいいか?」って尋ねられますが、僕はそんな事分らない。僕はいいと思っている事をやっているつもりだけど、それが他の人にとっていい事かは分らない。それよりも「何のためにするのか?」を自分に問いかけた方がいい。大抵の場合答えは自分の中にある。その中で自分の出来る事をやればいいと思うんです。人に尋ねるのではなく、先人の教えや本やこういった展覧会やトークイベントなどを通して何か気づき、自分自信で明確にしていくものだと思います。

追記(2/7):Landscape Productsから画像をいただきましたので、追加アップします。
 

モンスター・ドッグとケーブル達。
 

トークセッション風景。N原さんとN山さんの頭の上からなんやらモコモコ出てます。
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